哲学を学んだら論理的になれるのか?
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愛とは何か?生きるとは何か?
という抽象的なことを、言葉を使って論理的に説明していく学問じゃん
哲学者によって答えは変わるから、絶対的な解はないだろうけど、大事なのは結論に至るまでのプロセスだと思う
ひろゆきは論理的な人の代表だけど、彼もこういう抽象的なことに対して(結論が万人に当てはまるかはおいておいて)論理的に説明するじゃん
何が言いたいかというと、哲学学んだら、ひろゆきみたいに抽象的なことも論理的に説明できる能力がつくんじゃないか?と思った 哲学をする/哲学を生きる
もしくは
論理的思考法を学ぶ
かと思った 弁証法って哲学の考え方らしいけど、そのまんま小論文の書き方に使ったりするから間違ってないんじゃね >>1
ない。
あと、ひろゆきは論理的じゃない。あれを論理的というなら論理をわかってない。
ひろゆきは具体と抽象を行き来するのがうまいだけ。
論理的=説得力ある
は勘違いも甚だしい。
人間は感情の生き物なんだから論理的なほどに納得できるってのは違うだろ。
なら論理的ならお前はなんでもやれることになるだろ 社会で起きてる出来事を分かりやすく説明できるようになるには、構造に目を向けることが大事かなと思う
世の中は使う側と使われる側がいる、という構造に目を向けて
使われる側が奮起し、使う側に反発すれば世の中は変わる、という考え方(唯物論)
これはマルクス主義という哲学になる
哲学を語るには、あるいは社会を語るには構造に目を向けるのが大事だな 哲学じゃダメだな
例えば討論するにしても論理だけではダメなのよ
経験や知識を論理で組み立てるわけでな
論理は主役ではないのよ
仮に論法がどうしようもなく苦手な奴でも経験や知識が抜きん出た奴には勝てないよ
要は論拠だらけの話に何の経験、知識も無い奴が自慢の言葉遊びでどうやったら勝てようか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています