自由契約選手との交渉が解禁となった12球団合同トライアウトの翌日の11月9日に真っ先にアプローチしてくれたのが巨人だった。
「最初に声をかけてくれた球団に無条件でお世話になる。いろんな球団の話を聞いて比較などしない」と決めていた。
 原監督からも電話があり複数回話をした。
 先行した報道などでは「巨人のベンチの雰囲気を変えるムードメーカーとしての期待」という獲得理由が伝えられていたが、原監督はムードメーカー説をキッパリと否定したという。
「ムードメーカーじゃない。戦力として考えている。ひとりの野球人として戦力として考えているので、自信をもって飛びこんできて欲しい」
 その指揮官の言葉が心に響いた。
「ホークスをクビになって、どうしようかと思っていたときに、そうやって見ていただいた方がいるんだと思うとうれしかった」
 移籍に何ひとつ条件などなかった。

松田は外野転向を視野に入れている。巨人との交渉過程でフロントサイドから「外野はできないか」の打診があったという。
「2010年に13試合レフトで出ているんです。サード、一塁、代打、ムードメーカーという立場だけじゃなく出場チャンスを広げるために挑戦したい」
 2010年にWBCの韓国代表だった李机浩がソフトバンク入りしたため三塁で守備のかぶる松田が13試合レフトを守ったことがあり、無難にこなした。外野手用のグローブは、元チームメイトの柳田悠岐のグローブを本人から新天地での活躍の激励を兼ねてプレゼントされたという。
 外野は、丸佳浩だけがセンターの定位置を確保していて、外国人選手としてアダム・ウォーカーだけが残留したが、まだ2枠は確定しているわけではない。松田は「レギュラーを狙うつもりでやるし、準備をする」という。