福音に書いてあるイエス・キリストの行いや言動の中に何一つ問題は見つけられなかった
そもそも彼は居たのかと疑う人もいるかもしれないがキリスト教として彼の教えが広まる最初の過程で信者が殺害される事は想像できるわけでそれでも伝道した人たちがいて大いに広まったんだからそれは命をかけるだけの価値がある真実だったと考えるのが自然だ

ガマリエルが言ったように偽物なら自然と消えただろう

しかし一番大事なのはそこに書いてあることが本当であって欲しいと願うか否かでありそれを決めるのは心である