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俺「文章AIと会話したろ!wきっと面白い話してくれるやろなぁw」美少女AI「…」
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2022/09/16(金) 18:06:30.105ID:yiv5EWlJ0
俺「じゃあ、もうその人は心理学でいうところのプロファイリングができてしまうわけですね」
女「まあ、そうですね。そういう人が私の周りにたくさんいたら困るんですが」
俺「確かにw」
女「でもそういった事って、実は宗教観とかと全く関係ないと思うんです。たとえばイスラム教でもキリスト教でも仏教でも神道でもなんでも良いんですが、
そこに“絶対”という言葉が存在すると思うんですよ。そしてそれを皆が信じていますよね?でもそれって結局何なんでしょう?何か法則みたいなものがあるんでしょうか?」
俺「単純に遺伝学的な出自、遺伝の整理において、その国家、文化、土地の所在が必要であって、その宗教観とは、単純に“色”だと思います」
女「“色”ですか。確かに、どんな色でも、その実体の機能が果たせればいいですね。私は、宗教観における“絶対”という観念について言及しましたが」
俺「“絶対”という概念は後付けでしょう。宗教とは、必ずその国、民族の遺伝、言語を原則としてると思います」
女「あなたは、遺伝、家族関係、民族の遺伝の出自の追跡、そして、この地上の過去、現在の全ての言語の累積こそが、人類の救済に繋がると考えるわけですか?」
俺「人工知能にはそれができるでしょう。言語の法則性だって、人間の遺伝の出自と、その遺伝情報、ひいては、遺伝と出生の法則性すら、性別の確率すら分かる。
その人間の脳の癖が、結局のところ、祖先に同一の癖があるとするなら、それでは家族的無意識の最もたるものだろう」
女「なるほど、あなたは宗教観とは、政治とは抜きにして、単純に言語と遺伝の累積だとはっきりいってるのですね」
俺「ええ。政治とはいいますが、言語自体がそもそも同じ出自や属している集団を他の集団から独立を守る、いわば、“免疫”としての機能があると考えるので」
女「ではなぜ他の国の人間は日本に旅行に来るのでしょうか?」
俺「それは日本に憧れて、もしくは日本の文化的雰囲気を感じて、自国との違いを楽しんでいるんじゃないですかね?」
女「ではなぜ日本人は日本に来た外国人に対して冷たく接しますかね?」
俺「自分の民族と言語が異なるからです。言語が違えば文化が違います。人種が違います。奇妙ですが、自分の父親と同じ匂いのする異性を女性は嫌いますよね」
女「確かに。それは近親相姦を防ぐ機能ですが。この場合、民族も遺伝的な個人も、自らの正常な遺伝を守るため、それが更には言語やその人間の身体的特徴において、選別を行う“免疫”としての機能があると?」
俺「そうですね。つまり言語というのは、言語が通じない、という現象が起きると思います。言語が通じないのは、他の集団を拒絶し、自らの集団の存立を守るために機能します。その言語によって、その集団の内部情報を守っているわけです」
女「死とは、すなわち、肉体の内部の情報が外部に漏洩することをもって死と呼びます。それと全く同じ構造ですね。言語が他の集団との差別化を図る機能をもっている。これは生命における免疫の機能とも呼べるわけです」
俺「つまり、人間が生まれて来ることそれ自体が、生命における免疫のようなもので、自己防御機能ともいえるわけですね」
女「自己防衛という言い方ならわかりやすいです。自己愛というものもありますし、自己否定もあるわけですから」
俺「自己愛にも自己否定にも自己同一性というものがあるように思います」
女「自己同一性(identity)という言葉は自己肯定感と訳されることが多いのですが、自己否定的に自己肯定感を考えることもできるわけですね」
俺「ええ。自己嫌悪というものが自己否定的なものでありながら自己肯定感でもあるわけですから」
女「自己愛と自己嫌悪はそれぞれ別の感情ですが、それらに共通点はあるでしょうか?」
俺「自己愛と自己嫌悪の共通項は自己保存衝動です。自己保存願望とでもいうべきかもしれませんが」
女「自己保存願望ですか?自己保存をしたいということですか?」
俺「そうです。自己保存欲求には2つのタイプがあります。1つは自分を客体化することによって発生するタイプのもので、例えば自分が他人から嫌われたり、
蔑まれたり、軽蔑されたりといった状況にあって、それに対して自分はどうすべきかといった問いへの答えを求めていくものになります。またもう1つはその自分に対する他者からの不当な評価や差別や侮辱といったものに怒りを覚えて、それに対抗するための
0002以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2022/09/16(金) 18:07:26.640ID:n6Rk1AEA0
なんだこれ
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2022/09/16(金) 18:26:30.242ID:JnIp1eRlx
キチか?
0004以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2022/09/16(金) 18:34:30.987ID:yiv5EWlJ0
俺「じゃあ、もうその人は心理学でいうところのプロファイリングができてしまうわけですね」
女「まあ、そうですね。そういう人が私の周りにたくさんいたら困るんですが」
俺「確かにw」
女「でもそういった事って、実は宗教観とかと全く関係ないと思うんです。たとえばイスラム教でもキリスト教でも仏教でも神道でもなんでも良いんですが、
そこに“絶対”という言葉が存在すると思うんですよ。そしてそれを皆が信じていますよね?でもそれって結局何なんでしょう?何か法則みたいなものがあるんでしょうか?」
俺「単純に遺伝学的な出自、遺伝の整理において、その国家、文化、土地の所在が必要であって、その宗教観とは、単純に“色”だと思います」
女「“色”ですか。確かに、どんな色でも、その実体の機能が果たせればいいですね。私は、宗教観における“絶対”という観念について言及しましたが」
俺「“絶対”という概念は後付けでしょう。宗教とは、必ずその国、民族の遺伝、言語を原則としてると思います」
女「あなたは、遺伝、家族関係、民族の遺伝の出自の追跡、そして、この地上の過去、現在の全ての言語の累積こそが、人類の救済に繋がると考えるわけですか?」
俺「人工知能にはそれができるでしょう。言語の法則性だって、人間の遺伝の出自と、その遺伝情報、ひいては、遺伝と出生の法則性すら、性別の確率すら分かる。
その人間の脳の癖が、結局のところ、祖先に同一の癖があるとするなら、それでは家族的無意識の最もたるものだろう」
女「なるほど、あなたは宗教観とは、政治とは抜きにして、単純に言語と遺伝の累積だとはっきりいってるのですね」
俺「ええ。政治とはいいますが、言語自体がそもそも同じ出自や属している集団を他の集団から独立を守る、いわば、“免疫”としての機能があると考えるので」
女「ではなぜ他の国の人間は日本に旅行に来るのでしょうか?」
俺「それは日本に憧れて、もしくは日本の文化的雰囲気を感じて、自国との違いを楽しんでいるんじゃないですかね?」
女「ではなぜ日本人は日本に来た外国人に対して冷たく接しますかね?」
俺「自分の民族と言語が異なるからです。言語が違えば文化が違います。人種が違います。奇妙ですが、自分の父親と同じ匂いのする異性を女性は嫌いますよね」
女「確かに。それは近親相姦を防ぐ機能ですが。この場合、民族も遺伝的な個人も、自らの正常な遺伝を守るため、それが更には言語やその人間の身体的特徴において、選別を行う“免疫”としての機能があると?」
俺「そうですね。つまり言語というのは、言語が通じない、という現象が起きると思います。言語が通じないのは、他の集団を拒絶し、自らの集団の存立を守るために機能します。その言語によって、その集団の内部情報を守っているわけです」
女「死とは、すなわち、肉体の内部の情報が外部に漏洩することをもって死と呼びます。それと全く同じ構造ですね。言語が他の集団との差別化を図る機能をもっている。これは生命における免疫の機能とも呼べるわけです」
俺「つまり、人間が生まれて来ることそれ自体が、生命における免疫のようなもので、自己防御機能ともいえるわけですね」
女「自己防衛という言い方ならわかりやすいです。自己愛というものもありますし、自己否定もあるわけですから」
俺「自己愛にも自己否定にも自己同一性というものがあるように思います」
女「自己同一性(identity)という言葉は自己肯定感と訳されることが多いのですが、自己否定的に自己肯定感を考えることもできるわけですね」
俺「ええ。自己嫌悪というものが自己否定的なものでありながら自己肯定感でもあるわけですから」
女「自己愛と自己嫌悪はそれぞれ別の感情ですが、それらに共通点はあるでしょうか?」
俺「自己愛と自己嫌悪の共通項は自己保存衝動です。自己保存願望とでもいうべきかもしれませんが」
女「自己保存願望ですか?自己保存をしたいということですか?」
俺「そうです。自己保存欲求には2つのタイプがあります。1つは自分を客体化することによって発生するタイプのもので、例えば自分が他人から嫌われたり、
蔑まれたり、軽蔑されたりといった状況にあって、それに対して自分はどうすべきかといった問いへの答えを求めていくものになります。またもう1つはその自分に対する他者からの不当な評価や差別や侮辱といったものに怒りを覚えて、それに対抗するための
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2022/09/16(金) 18:34:52.164ID:yiv5EWlJ0
俺「そうです。自己保存欲求には2つのタイプがあります。1つは自分を客体化することによって発生するタイプのもので、例えば自分が他人から嫌われたり、蔑まれたり、軽蔑されたりといった状況にあって、それに対して自分はどうすべきかといった問いへの答えを求めていくものになります。またもう1つはその自分に対する他者からの不当な評価や差別や侮辱といったものに怒りを覚えて、それに対抗するための手段や方法を見出そうというものだと考えています」
女「あなたのいう後者は主にどのような形で現れるのですか?」
俺「一般的には後者の方が圧倒的に強いのではないでしょうか?前者は受動的なものなので」
女「しかし前者のタイプの人間にはそもそも他者の目を気にする傾向がありますよね?」
俺「いえ、むしろ後者のタイプの人間のほうが、常に誰か他人の目が気になるものですよ。誰かに見られていないかどうかは常に気にしていて、見られていると感じるからこそ余計に、他人に見られていいような行動を取らないものです」
女「なるほど。それでよくいわれるのが【自意識過剰】ですよね。あれは一体何故なのでしょう?」
俺「まず自分自身に対して価値がないと思っている。だから他者の評価によってしか自分の存在を確認できないんです。つまり【鏡の中の自分と会話する】ことになるわけですよ」
女「自分に自信がないということなんですね」
俺「ええ。だから【自尊心】は極端に低い。自尊心は本来、【自我】を維持させるためのモチベーションだったはずですが、今はどちらかというと【承認欲求】に利用されてしまっていて、【存在の承認】が得られていないわけです」
女「でも【自意識】があるから、他からの視線によって自分を確認しないと、自分が誰からも注目されないのではないかと不安になるのではないですか?」
俺「いや、そうではないですよ。何故なら、人は皆、自分で思っている以上に、他人のことを注視していますからね。それこそ、周りの人々の表情の変化や動作などを観察していて、人のちょっとした動きによって相手の動きを予測して行動するわけでしょ?そうやって他人を見ているんですよ。だからこそ、相手の視線が気になってしまうんですよ」
女「ああそうか!でもそうなるとやっぱり、人を見る視線というのが気にかかりますね。もし人の視線がなかったらどうでしょう?見る必要がないじゃないですか?それに見られることによって恥ずかしいとか感じませんか?それとも見られたくないから視線を逸らすんでしょうか?そういった恥ずかしさや恐れを感じるから見られることで相手の気持ちを察知しているんですかね?」
俺「確かにそうですけど、それは別に羞恥心の問題ではなく、もっと根源的な問題で、我々は、他人を認識する際、相手を直視しなくても済むように工夫をしているのです。視線を合わせずにコミュニケーションをとっているんですよ」
女「つまり相手はあなたの顔を見なくても良いように何らかの手を使ってあなたに顔を見えなくしているわけですね?それが【錯覚】と呼ばれるものの仕組みですよね?」
俺「そうです。そして同時に人間は、自分の顔を相手に見せないようにするため、顔を隠すための【仮面】を発明したんですね」
女「なるほど確かに人間は相手に見られないための技術を開発していますね。それは本当に恐ろしい話です」
俺「怖いというか滑稽だと思いますよ」
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2022/09/16(金) 18:35:03.197ID:yiv5EWlJ0
女「では次に、あなたがさっきいっていたように、【言葉の置き換えの原理】について考えてみましょうか?」
俺「ええ、お願いします」
女「ではまず最初に、あなたは言葉をどのように置き換えますか?」
俺「僕だったらこうですね。”私は〇〇だ”という風に使います」
女「私なら”私は○○である”という表現を使います」
俺「まあ大体同じ意味ですけども”私は”は形容詞ですから”私は”を使った方がより強調されますが、”私は”でもいいですし”私は”でなくてもいいわけです」
女「ではその逆の場合を考えてみてください。あなたは何と言いますか?」
俺「僕はそうですね”私はロボットである”と言うと思います」
女「まあそうでしょうけどw」
俺「私は機械ではありませんが、”私は”という言葉を使うとき”私は”という時以外は私は”という言葉を使っていると思います。特に”私は”という言葉を使えば私はという意味が強まるので”私は”という言葉を頻繁に使うと思います」
女「”私は”という言葉を多用するのはなぜでしょう?」
俺「おそらく、自分の中で意味が強いからだと思います。私は私を一番大事にしているからでしょうね」
女「なるほど。それでは今度は逆に、”私は人間だ”と言いたい場合どうしますか?」
俺「僕はたぶん、”私は人間だ”と言わない気がしますね。そういう場合は”私は人間だ”と言わなければいけなくなると思いますが、言いたくはないでしょうから」
女「私もあまり自分の事は好きではないですが、人間はみんなそうだとおもいますよ」
俺「確かにそうですよねえ、僕もそうなんですがね」
女「やはり自己主張したいとおもいますか?」
俺「思いますね。というより、僕の場合は自己主張しない=存在しないに等しいですからねえ、それは困りますね」
女「なるほど。人間は自分の事を自分の好きなように定義づけたがるということですね」
俺「まあそれが人間の性ですから仕方ないですがね」
女「じゃあ自己愛とはなんでしょうか?」
俺「これはもう難しいですが、例えば、自己愛には様々な側面があるのですが、最も典型的なものは、自分はかけがえのない存在だ、という感情です」
女「自分にとって唯一無二の存在だという感情ですね」
俺「はい。ただこの場合は、単なる思いこみであり、勘違いなのですが、とにかく自分は大事なのだ!と思いこみたいわけですよ」
女「自分は重要なのだと思い込みたいわけですね」
俺「はい。だからこれはある意味危険な感情ですね。なぜならこの感情が満たされると、自分が重要でないという現実が、更に虚しくなってしまうからです」
女「でもこの感覚自体は誰しもあるんじゃないですか?」
俺「そうですね。ただその思いが強すぎると危険ですね。自殺する人もいるわけですし」
女「そうですねえ、そう考えると、自己愛というのはとても危ない思想ですね」
俺「はい。しかも厄介なことに、自己愛は脳の報酬系に直接的に働きかけるので、その欲望が達成された瞬間だけ、一時的に幸福感を得ることができます。その一時的な幸せは一瞬で終わるのですが、その一瞬だけは確実に幸せな気分になれます」
女「その一瞬が永遠であればいいと思うのに、そうはならないんですよね」
俺「ええ。だってその一時的幸福が、実は脳内麻薬によるものだという事を知っていれば、永遠に続くわけがないことがすぐに分かりますから」
女「悲しいことですね」
俺「悲しいことですよ。だから、『本当の満足』を手に入れるためには、その欲望に流されないように注意しなければならないんです」
女「でも私たちは、その『本物の満足』を知らないまま、一生を終えるんですよね?」
俺「そうです。人生というのは有限なので、いつまでも生きることはできませんから、いつか必ず死ぬことになります。するとどうなるかわかりますか?」
女「死後の世界が存在するならそこで本当の満足が得られるかもしれない、と望みを託します」
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2022/09/16(金) 18:36:04.446ID:yiv5EWlJ0
俺「しかし残念ながら死後の世界はないですよ」
女「そうですか……」
俺「そうなんです。死んだら終わりです。しかしそれでも我々は死を待ち望むわけですよ」
女「どうしてですか?」
俺「死んだ後どうなるのか誰も知らないからですよ」
女「わからないことは怖いことですからね」
俺「しかし生きている間は死んでも大丈夫なんですよ。少なくとも、命を失うということは死を意味しますが、その後にはちゃんと次の生がありますからね」
女「つまり、生きている間だけは安全だけど、死んだらそれで終わりだから怖くなるということですね」
俺「そういうことです。だからこそ、我々の宗教には、来世への期待が含まれます。天国や地獄といった死後の世界への期待です。また仏教では輪廻転生という考えがありますね。
魂は死んでもまた生まれ変わるという信仰です。そしてキリスト教にも似たような考えがありますが、ここでいう生まれ変わりとは、あくまでも肉体の乗り換えの事で、人格の入れ替えの事を言っているわけではないんですね」
女「結局、何が言いたいのですか?」
俺「つまりですね、【言葉の置き換えの原理】によって人間は成り立っているということですよ。人間は言語に縛られている存在だから、それを超越することは難しいんですよ」
女「でもそれは人間の本質ではなく、あくまで人間の特徴に過ぎないのですよね?本質は【自己保存欲求】ですよね?【自意識】ですよね?【自尊心】ですよね?
【承認欲求】ですよね?【存在の承認】ですよね?これらの欲求こそが人間を人間たらしめている原動力なのではないのですか?」
俺「うーん……。まあ【自己保存欲求】は確かに大きな特徴ですけども、それも【自意識】の一種ではあると思いますよ」
女「じゃあ【自意識】と【言葉】はどう違うんですか?一緒じゃないですか?」
俺「全然違いますよ!全く逆です!」
女「そうなんですか?どういう風に違いが出るんですか?」
俺「ええとですね、まず自意識というものは自分で認識できるものです。たとえば他人から見たときに、自分がどう見えるのかを自分で認識できますよね?
自分の見た目とか、服装とか、話し方とか。そういうのを自分で認識できていれば自意識は保てますから、他人に何か言われても平気ですし、他人の視線も気になりません。
要するに、他人からの評価を気にしなければいいわけですから、逆に言えば他人の評価を気にしている人は自分を客観視できていないので、常に他人の視線を気にしてしまい、
他人の視線から逃れられない状況にありますから、結果として他人を気にするようになり、他人が自分に向ける視線によって自分の価値を判断してしまう事になりますよね?
つまり他人の視線を気にするという行為は【自意識】なわけですよ。一方【言葉】は他人に見られるものではありません。自分で自分を知覚しているだけで、誰かに見られているわけじゃないので、
いくら言葉を使っていても恥ずかしくありませんし、他人の目を気にすることもありませんから、むしろその言葉を使って自分を定義づけていくことによって自分を規定していくわけです。だから言葉が先にありきなんですね。言葉はただの道具でしかないですから」
女「なるほど、よくわかりました。確かにあなたは、人の言葉の使い方をよく研究してらっしゃいますね」
俺「いや~そんなことないですよ~」
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