人って自己の「成長」を過大評価しがちだと思うんです
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自信を持ち自己哲学を養うというのは尊き事ですが、大抵の人がそれを心の中に閉まっておかず拳銃の試し打ちのように周りへ発表したがるでしょう Aさんは決まり切ったルーティン仕事で朝から晩まで10年間ほぼ同じ人と接しています、Bさんはたまに働きますが基本的に自宅で副業や趣味の日々を送り多種多様なネットの友人達と接しています。
この例はどちらがどうということではなく、Aさんが主に養っているのは社会規範でありBさんが主に養っているのは多様性という世間的なポイントの違いです 変な例えやめろ 分かりやすく簡潔にまとめられないならここで発表するなよ なので毎朝自分のご飯のレジ打ちをしてくれているコンビニ店員の方にも自己哲学やマイルールは当たり前のようにあるはずです、ただ発表の場はまず無いでしょうしする必要が無いのかもしれません では何故人はレベルに応じた自己哲学を見極める事ができないのでしょうか。それは単に"習慣"の違いです、経年で一様にそれっぽい話をし始める人がいてもその人の自己改革の素振りは見えますが受け売りである場合が多いでしょう
発信力という点で見ると、リツイートや災害呼びかけが最たる例です。その人の発案ではなくともリンクして伝える"役目"を請け負うのは素晴らしい事ですが、何故か発信側から意見を言っている矛盾というのがあります 発信元の情報を正確に伝える伝令の役割を忘れ、リツイートした自分の自己哲学の話にすり替わっていたりするでしょう。それがスレタイにおける「成長」の過大評価に近い例だと思います、こういった思考を続け有益かつ瞬間風速的に力のあるソースに頼りきりになってしまいます。懐疑的であれという事ではなく人は楽で"1番隙がなくイケている"事にばかり注目しそのソースを過剰に信用してしまいます 上澄みの情報は商品でもありますから後乗りした他者が肉付けや改正を少しでもするとそれはもはや"別物"です。ただそこに行くまでの道のりはただの後乗りですから薄っぺらく見え、人によっては一切の信用は得られないでしょう ですから「何故普段世話になるコンビニ店員の自己哲学に寄り添わず、あたかも自分の自己哲学は"政治家"の自己哲学側に寄っているのか」を考えると、大半の人はほぼコンビニ店員の自己哲学と同じ側なはずです。そうじゃ無いと言う人は自分が一般人の一般論が政治家や専門家側だと思い込み迷惑なクソリプを送ったりしてはいませんか?それが自己の過大評価です。
刷新的である必要性を問われたら、そういう人は『単なる暇潰し』と嘯くでしょう、暇潰しでそう言った人の時間や体力を奪っていることに気付こうとしない 「成長」というのは社会の順応性の高さであることは間違いないですが、その「成長の実感」というのが厄介で自分本来の位置付けを見失わせ余計な万能感に支配されてしまう事があります。他分野にも自分が学んだ事だけの分野の観点で要約してしまう、それは一重に自分が費やした時間や過去への美化であり大層な事ではないのです。シリーズモノの新作、連続ドラマの新シーズンに評価が甘くなるのと同じです。正当な総合的評価では無いわけです ある映画の一コマで「わたしの信念は、わたしがわたしの人生の主役や主人公では決して無いこと」と言っていました、それは一瞬退廃的かつ悲観的に見えますが、総合的に見るとその人は既に"自分なりの幸せ"を見つけていて、他者にそれを教えず1人で噛み締めたいというような傲慢さも窺えました。ですがわたしは先述のように心の奥に仕舞うことが自己哲学の精査や強さの根幹だと思っていたので納得しました 要約:ツイッターやってる一般人は雑魚
てことでおk? >>7
こういういろいろな思想が知りたくて
匿名掲示板にきてる >>21
個人の感情の機微や繊細さだけを主張して、周りとの棲み分けが大雑把すぎるTwitter民なら或いは >>20
単純に1さんの自己哲学がこころに秘めることであるだけで
周りに話すことが自己哲学のひともいるだけやない??
自己哲学なんて
ひとの数だけあるのやから
そのひとにとって正しければ
そのひとの自己哲学として完成してるよね 価値観の受け売り
Twitterでは簡単に自分の主張をゲット出来る
受け売りでない本来の自分を見出すべき >>25
前提的にはそうです間違いない。ただ目的を持って集まるなら身分相応な事を各々がやっていれば自ずとPTA会長はこの人で書紀はこの人でという役割が発生して然るはずですが、皆んながPTA会長で分断したら目的を放棄していることに等しいと思います。ここではTwitterのような娯楽の話ではなく、場に応じた取り決めや最低限の社会のカテゴライズの話だと思って貰えれば この>>1は何も言っていない
どうすればここまでゴミな論理を組み立てるに至るのか知りたいくらいだ >>26
悪い事では無いですが「システムだけを手っ取り早く手に入れた方が楽だし早いしお得」という想像力の『無駄』に気付かないことが致命的です。こういうタイプが返金騒動などを起こすのだと思います 価値観の受け売りによって価値観が同じ感じになってそれじゃあ色んな立場の人がいる意味ないですよね?ってこと? "「成長」の発表の場"なんて割と限られていて成人式だとか友人の結婚式などの"節目"であるからして意味があるわけで、良い歳してダラダラ同じ面子と同じ酒場で他愛もない話で成長を見比べるなんてものは、青春小説や創作落語の世界だから良いのであって現実にいたら目も当てられないものです >>31
その話に踏まえるなら「自己哲学のピラミッドを作る場合ならば同格を見極め対話をし、気に入ったピラミッドを見つけたならばその中で立場を上げようだとか欲を出さずに本来の目的をさらに順応すれば良いはずなのでは」という感じですね。ただの経年変化を自分の能力の進化や成長だと思い込んではいないか、という話ですかね大まかに言うと ですから主義主張というものが都合によって変わったり状況に応じた例外を出すのも、完全な自己哲学を形成し他人の万事をそれに当てはめる事も同等に愚かだと思います
成長を止めるのは「成長期の煙草と大人になった成熟度の倒錯」だと思います 最終的には"在るべき姿の保全"です、周りの棲み分けの認識と並行して自己の存在意義の最終精査や断捨離を誰しもが無意識に進めているはずです 変化が無い人も長い目で見ると変化はしていますが「変化と成長」の違いは明らかに違います、それはダイエットと同じで日々の取り組み方の総量の差でありそれが成長です。
ですので他者から与えられた役割だけをこなしただけで自己の指標が無いのならば、それは"変化"であり"成長"では無いと思っています
『変化しただけの人ほど成長を語る』 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています