自分を大きく見せるというのの大半は防衛本能だとは思うんだけど
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その中でも、自分の行動を"国単位"で考え過ぎる合理主義者は良くも悪くもまた別の意味合いを持つと思う。
その個人を国益とし何万石の価値があり兵糧はいくらかというのは一般的に考えて目視ができない 一番わかりやすいのはその人間の年収と周辺にいる人間を見るのが早いとは思うが、収入源が至って闇でも年収は高いとされるし善人を囲っているだけで善人の皮を被る悪人も勿論存在するということを頭に入れておかねばならない 何が言いたいのかと言うと些細なトラブルでも大事にし、大した能力も無いのにパワーポーズだけをやたら使う似非ロシアやアメリカのような振る舞いをするタイプには注意が必要だ。本人らは至って正義のそれでいるが、注目すべきは"極端な利害関係"が発生しているか否かが大きい 要は普段声の小さい後衛兵士が周りを押し退け前衛で興奮していたとしよう。そこには間違いなく戦争後に充分暮らしていける戦果としての報酬があるはずだからだ。それが極端な利害関係が生まれれば生まれるほど損する人間がいるという計算を踏まえているかいないかでは全く意味合いも価値も変わってくる。戦旗を掲げられさえすれば敵陣の旗でも構わないという事が起こらない事も稀ではない わたしは人を"単位"で見る、その人が持つ貯金額や車の数や仕事で抱える人間の数やわたしが直に見た功績の数々や友人からの良い噂や悪い噂の数々とそれを覆す証明の数を
その単位の中での現状を見て、周りに助けられている好人物と周りを利用しているだけの人間の違いを理解しないとならない 国益としてどのくらいが自分の力なのか、周りの力を上手く使って楽をしているだけの米露なのかも見極められるはずだ。すなわち上げる必要の無い他人の"単位"の養分にされ過ぎてやいませんか?という簡単な話です、共存の中に狂気は生まれ安心の中の見えない絶望を見極めなければならない おまえ爺か??
読み手のことを考えずに駄文を平気で連ねてる様は軽度自閉症そのものだぞ 等身大で生きる難しさを分かっているが故に個を殺し他者にその役目を委ねる人が多い、役回しと言うんだろうがその環境の中で"最適任"であっただけで本人がそれを望んでいるとも限らない。その我慢や役回しも無意識に"極端な利害関係"を生んでしまう。万人の楽が個の死を生むとも言えるのではないかと、そうわたしは思うのでした _
( ゚∀゚)
( ∩ミ)
⊂彡つ ヒュンヒュン
し∪彡 フロムすら正義への個人の一体化は否定しなかったけど
正義なんてうさんくさいもの、一番に否定するべきだったのにね
いかようにもでっち上げられる魔法の言葉だわ 前に全体主義が主流になっていった時期の不可解さを司馬遼太郎は「魔法使いが杖をふった」って言ったのよ 結局金が発生する場において"愛"を錯覚してしまうという事は多いし、大抵が金で片付く世なら所謂正義は"金"では無いという反証もしなければ辻褄が合わないとも言えるはず、ならば個人は自分の入口と出口を掲げるべきだしそこに矛盾があるとしても個人で「何人分の通るスペースを設けているのか」というのも人を見る基準にはしてはいます >>11
俺は個人が正義を養うことはとても重要だと思う。信仰でも。それはとても強いことだ
魔法の杖どころじゃない
日本人というか体育学校の連中をみてれば上下感情に基づいてグループや群れになる生存戦略はいまもなお保存している
内部統治には従順さしか求めていない
日本円が下落低迷するわけだ 世界→国→地域社会→個人のようなものは=であって厳密には=ではない。過半数的というのが10人規模での話なのか1000人規模での話なのか明確にすると良くも悪くも印象は違うのに、人は良い方に見せかける。
法の穴と一緒で個人の能力を見誤らせるのは罪な事。決して全てが正義では無い、何故ならそれはただの個人的な夢想を周りに突き合わせているとも限らないのだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています