オーストラリア、W杯出場決定!PK戦までもつれ込むペルーとの激闘を制し、5大会連続6度目の出場へ

大陸間プレーオフが13日にカタールのアル・ラーヤンで行われ、南米予選で5位に入ったペルーと
アジア予選プレーオフを制したオーストラリアが対戦した。

ロシア大会に続く本戦出場権獲得を目指す両国は、スコアレスで90分が経つ激戦に。

両者チャンスを作るも、最後の局面で得点を決めきれない展開が続き、延長戦でも決着が付かずPK戦へもつれ込んだ。

PK戦はオーストラリアの1人目のキッカー、ボイルがGKガレーセに防がれてビハインドに。
ペルーは3人目のキッカーアドビンクラのキックが左ポストに直撃して振り出しに。

サドンデスに入り、ペルーの6人目のキッカーヴァレラのキックをGKレッドメインが止めて決着。

この結果、オーストラリアのW杯本戦出場が決定。5大会連続6度目の出場を決めた。

1974 アジア/オセアニア最終予選で韓国に勝ち初出場
1974にイスラエルがオセアニアの暫定メンバーへ
FIFAはアフリカとアラブの対戦を避けるためにオセアニアをアジアとアフリカから完全に切り離す
1986 オセアニア1位としてヨーロッパとプレーオフ スコットランドに負け敗退
1994 オセアニア勝者として北中米カリブ2位カナダに勝利、しかりアルゼンチンに負け敗退
1998 イランに2引き分け、アウェーゴールルールにより敗退
2002 ウルグアイとのプレーオフで1勝1敗で得失点さにより負け敗退
大会予選中のアメリカ領サモア戦で31-0で勝ち国際試合最多得点を記録する
2003 初めて時差無しで観戦出来た日韓大会を遠して国民のサッカーへの関心が高まる
オーストラリア首相のジョン・ハワードがオーストラリアサッカー改革を決意
サッカーを通じたアジア進出のプランを描く
2005 政府の後押しを受け初のプロリーグ「Aリーグ」発足、Jリーグ同様に地域制をコンセプトに据える
(以前に存在していたのはNSLというセミプロ、各移民のチームで争いがありイメージも悪かった)

2005 ウルグアイとのプレーオフを政府支援のチャーター機にマッサージなどを用意して望む
1勝1敗でPK戦を4-2で制し32年ぶりに本大会へ出場する 大会ではベスト16に進出

2006 AFCへ転籍する。OFCとAFCの双方の了解が必要だったが念入りにロビー活動を行った
オーストラリアサッカー連盟はアメリカ英語のsoccerの使用をやめFootball Federation Australiaへ改名
オーストラリアサッカー連盟キャロル運営部長
「世界で最も急成長しているアジアのマーケットに関わりたかった。
オーストラリア特有のスポーツ、クリケット、オージーボール、ラグビー、ラグビーボールはアジアとの接点が無い。
接点があるのはサッカーのみだ。サッカーの試合を通して、
国、文化、経済的な意味でもアジア進出をしたかった。」

2009 最終予選全8戦中の第6戦で本大会出場を決める
2017 アジア3次予選3位で4次予選へ、4次予選では延長の末勝利してプレーオフへ。合計スコア3-1で勝利。