南無妙法蓮華經(なむみょうほうれ"んげきょう)を唱えよ
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幼少期から何かを本気でやると
その何かが本人にとってのアイデンティティになる
テクニックというより強さの秘訣はそこなんだろうと思う もし負けたら自分の人生を否定されることになる
だから勝ちに本気になるんだと思った どーでも良ければ勝ちを譲るし
その方が世間的には大人に見えることの方が多い
仏教でもそういう布施行がある 周囲の人間がそれを許さない気はするが、俺はそうなっても全然おかしくないと思う 芦田愛菜って2004年生まれやって!
ひょえ~!👀 公式戦は藤井聡太からしたら
日々の研鑽の余興なのかもしれない 謙遜なのかは知らないがインタビュー見てると将棋を極めるべく努力してて数字とか結果にはとらわれないみたいなこといつも言ってる 目先の勝利ではなく質の高い将棋を極めることを目指す・・
それが結果的に強者を生む・・
知らんが・・ この道を極めることがアイデンティティになったら
テクニックは後からついてくるんだよな この仏法の信解の話と似てるな
信じることが先で解は後からついてくる まあそれで結果がついてくるのは選ばれしもののみだけどな^_^ だから外道なんだよな万人が救われるわけじゃないから 変な話、天井のシミ数える競技があるとして
その部屋に住んでて一年中寝ながら
天井見てる人が有利なのと似てる それで言うと全国から選りすぐられた天井のシミを数える天才が集まってるからな
しかも全員年中シミ数えてるし、息抜きにもシミ数えてるような奴ら 盤面のパターン記憶と天井のシミの詳細な記憶
あまり違いがわらないと言ったら失礼だろうか 傍観者から見たらそんなもんだろ
バスケは球入れ遊び、サッカーは玉転がしで遊んでるだけ
にも見えるかもしれんからな
傍観者からすれば 歩が数マス違うだけで形勢が全く違う
天井のシミも形状が数センチ違うと減点とかあるかもしれん >>40
将棋ガチ勢からしたら天井のシミと一緒にすんなだし
天井のシミガチ勢からしたら将棋と一緒にすんなだな
そういう単なる矮小化とはちょっと違う 昔の家の天井はシミがあったけど
最近の家はないのか 口直しの、南無妙法蓮華經(なむみょうほうれ"んげきょう) 若し如来の滅後後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています