私たちに幸福になる権利はない
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幸福というものはどこまでいっても主体的なもので本人にしかわからない
本人が幸福と思えば幸福だし、不幸と思えば不幸である
というか正確に言うとそれも怪しくて人間はある程度、自分の感覚を倒錯的に偽ることができるので、いま俺は幸福だ、と自分で自分に言い聞かせることによって幸福と感じ、或いはまたその逆もあって本人もよくわかってない場合が多い
要するに幸福というのはそのように判然としないものであり、人のそのときどきの脳の状態に過ぎないものであって、権利という言葉とはまったく馴染まぬものである
よって追求する権利はあれど、幸福の権利を法は保証しない。というかそんなことができようはずもない。 幸福作ってなくて不幸ばかり作ってる奴が幸福になれるわけ無いよね >>8
盲目的にレールに沿っていきるとふと虚無に襲われそうじゃない?フィクションだけなのかなあれ 例えば蝶の標本を集めることが幸福と信じた男が幸福になるかどうかはわからない。
集めれば集めるほど、まだ足りぬ、まだ足りぬ、という焦りが募って思うに任せぬ現実と集めたいという気持ちの間で板挟みになり、呆れ果てた妻子は去り、蝶のことを主体に考えて疎かにした家業は傾き、経済的にも困窮、その結果、蝶もあまり集められなくなって満ち足りぬ思いを残したまま死去する場合も少なくないのかも知れない。
この人の場合、蝶の蒐集さえしなければ、つまり幸福追求さえしなければ幸福になったかもしれない
このように私たちには幸福になる権利を有していない
あるのはあくまでも幸福を追求する権利のみである まずそも幸福とはなにか、幸福になるとはどういうことだろうか
勉学に励んだ後、職を得てカネを稼ぎ、妻を娶り子をなし、財を築いた後は子に譲って楽隠居、知識や経験を活かしいくつかの著述をなし、また趣味の分野に於いても若い人から一目置かれ孫、玄孫に囲まれて大往生といったところか
しかし先にも言ったように幸福とはそのときどきの脳の状態であって持続するものではない
例に挙げた人だってその間、目まぐるしく幸と不幸、快と不快の間を行き来していたに違いなく
例えば美しい女を迎えて幸福の絶頂だったときもあれば、その妻の不貞を知りながら黙って耐えていたという苦しい時期もあったかも知れない つまり絶対的幸福というものはない
あるとしたら悟りか発狂か死であるが、いずれも経験したことがないのでよくわからない そんなもん言われなくてもわかるわ。てか幸福に限らず絶対的なもんてあるの?今んところいつか死ぬくらい? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています