芸術作品のパクリとオリジナルの間に境界線は引けない
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まんまコピー
ちょっとだけ見た目を変えたコピー
半分くらいアレンジされたコピー
アイディアはまんまコピーだがほぼ別物
発想のきっかけになっただけで別物
どこにどういう根拠でもって境界線を引くのか
引けると思う人は引いてみて(なぜそうなのか根拠を添えて)
なお裁判でパクリと認定されて賠償金が生じるさいの判断基準とは別の話 たとえば音楽のロックのできはじめのころ
今で言うなろう系みたいにパクリやテンプレ通りの凡作が山のように出てきて
その中にビートルズみたいに光るものもたまにあってジャンルになっていった
パクリ作品の山がなければロックというジャンルは存在せずロック文化もない 2と3の間かな
34はコピー元に敬意を払ってるとか、それに対するアンチテーゼとか
コピー元自体が作品のテーマにかかるならありじゃないか
2は前衛芸術とかでやりそうだけど俺にはわからん >>4
そういうのは個人的な判断であって
人によって違うし一般的にもそうだとは言えない 称賛されるものとそうでないものも同じこと
何故かポジティブな評価の話題だとそういう話をする奴がいないよね
「よい」とされるものに厳密な定義がないことについては疑問視しないで
大衆がそう持て囃すことをそのまま受け付けようとするのに
都合の悪い評価には謎の疑問を差し挟もうとする たとえば小説家は小説を読みまくってる人が多いけど
どんなにオリジナリティがあるように見えても
既存の作品を読んで得た知識などを材料にしてできるもんにすぎないぞ
それはフィードバックと言われるがこれとパクリの間に境界線なんかない 明確な境界がなかろうと
作品はそれに触れたものの受け取り方が全て
名作として持ち上げられるものがそうなのだから逆も然りでしかない
「作品外の情報や同調圧力のようなもの」も含めて、押し並べて同じ話 >>6
いい悪い、面白いつまらないという感じ方も
現代のどの技術を使っても客観的に数値化できないよ
脳内電位の変化や神経伝達物質が出た量なんかは測れても
それは感じ方そのものではない >>8
最初から一般的にはここだという境界線は引けないって話しかしてないよ うんだから
境界がない、なんてことを述べたところで何も変わらないよ
同じものとは扱われない
パクリとして叩かれるものとそうでないものは曖昧なまま存在し続けるだけ
それこそ、個人がどう受け取るべきなのかという基準など未来永劫ないのだから パクリとオリジナルに境界がないんじゃなくて
どんな評価にも境界などないだけ
芸術作品とは個人の感覚に訴えかけるものでしかないから 要は「パクリと判断されて世間的にそう結論された」ものがパクリとなるだけ
じゃああれはどうなんだ、これはどうなんだ、と言ってもそれは関係ないこと >>12
一般的にここだってパクリとオリジナルの境界線は引けないって説を俺が出して
俺はお前の引いた境界線は一般化できないと否定した
それが俺の最初の説と矛盾してるって話はどこに行った
「境界がないって言ってもしょうがない」ってのは別の話だぞ >>13
あれはパクられた側が商業的な実害をどのくらい受けたかとかから判断されるだけで
どんなに作品が似てても利益が出てなければ実害がないと判断されて棄却されるし
しかも法的には著作者の死後何十年もたったらで著作権フリーでパクリ放題になる
どんなに似ててもパクり放題
あれは別の判断基準だよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています