こんな人生もあるんだよって話
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昨日が初スレ立てで迷惑かけるって始まりから
同スレタイで立てたんですが知識足らずで。
落ちちゃったんでまた立てました
昨日深夜から朝方まで続き待ってくれてた方もいたんで本当にすみません
もし見つけて頂けたら幸いです
書いてきます * スレ立て初めてだから迷惑かける
*
* 普通じゃない人生やった
* きっと誰かの役に立つだろうから書いてく
*
* 質問はなるだけ全て返すよ
*
* スペック 25才 男 170cm
*
* 双子の妹と兄の3人兄弟
*
* 早速語ってく
* 人生を語る上で最初の記憶は、いつかの夜に兄と両親の喧嘩をボロ家の階段の隙間から覗いてた事だ
* 毎日の様に喧嘩していたな
* 父親の顔を覚えてもいないが、その記憶はしっかりと残ってる * 当時3歳頃だったと思う
* 1つ歳上の兄はそれ以前の記憶もあるようだ
*
* 二卵性の男女の双子で産まれてきた俺には一分だけ遅く産まれた妹がいた
*
* 両親の喧嘩の度に妹が泣くから妹の耳に枕を押し当てて起こさない様に気を遣っていた
*
* それから程なく父親の姿を見なくなった
*
* その後20年程経った今も会っていない * 小さい頃の母の教えで覚えているのが
* 「兄ちゃんなんだから妹を守りなさい」だ。
*
* その言葉が今の俺を作る基礎だったんだと思う
*
* 母親は当時から毒親だった
* 毒親を持つ人には分かると思うが
* 毒親の考えは予測がつかないものだ
*
* トイレのドアが閉まっていない、靴が綺麗に並んでいない、何かと理由をつけては子供達に激しく当たり散らしていた * この頃は3人一緒に罰を受けていた
* 誰がやったかなんて分からない様な些細な事ばかりだったからだ
*
* ある日いつもの様に罰として二階の屋根に3人で締め出された
*
* 瓦屋根は滑りやすくて危ないんだ
*
* 妹がトイレをしたいと泣いた
* 落ちない様に手を繋いで用を済ました妹が
* 拭く物が無いと泣いていて二階の屋根にまで伸びていた木の枝から葉っぱをちぎって泣いてる妹に渡した とても惨めだった。 * この時の妹を見て守らなければと思った
*
* 小さいながらにその為に自分がすべき事は分かっていた
*
* 母親の当たりを自分に仕向けるだけだ
*
* とても簡単な事だった
* 今まで誰がしたかも分からなくて3人で受けてきた罰を一身に受けた
*
* 何もかも自分がやった事だと言った >>7
遅くなってすみません
立派な中卒社畜なものでサービス残業をしてました
昨日はありがとうございます 辛く無い訳なかった
どんどん1人でいる時間が増えて
暴力、暴言、飯抜き、家から締め出され
日常茶飯事だった
この頃はまだ5歳で愛情が欲しくて何度隠れて泣いたかなんて数え切れない
父親も居なくなってたし唯一の親だったから
でも人間って凄いよね
そんなに小さくても耐える為に強くなろうとするんだよ >>7
遅いし迷ったのですが見つけて貰えて嬉しいです * 辛くない!悲しくない!寂しくない!って
*
* 自分に言い聞かせた
* 自己洗脳みたいなもんなのかな
* 徐々に1人で受ける罰に慣れてきた
*
* ところが毒親だ そう甘くない
*
* 俺が泣かなくなって感情を押し殺すようになるとそれが面白くない母親は兄と妹を対照的に可愛がる様になった
*
* これが素晴らしく苦しかった
*
* 人を傷付ける天才だったんだと思う
*
* どんな仕打ちにも強がる事で耐えていた
*
* この時に覚えた強がりは今の自分にも身に染みて残っている * 兄と妹が可愛がられるようになって
* 1人でクローゼットの中に閉じ込められる事が増えた
*
* 妹の誕生日祝いが壁越しに聞こえてて声を押し殺して号泣したりもした
*
* 妹だけで良かったのにアンタまで産んでしまった
*
* 何度も言われてきた言葉だけど
*
* お陰で25才になった今も誕生日の日は携帯の電源を切って1人で海見たりして黄昏れてる
* そして小学生になった >>11
ありがとうございます!
昨日気付いたらスレ落ちてて申し訳無さで一杯でした
知識足りなさすぎた…申し訳ないです そして小学生になった
*
* 小学校に入学してすぐ児童相談所を経由して児童福祉施設に入所した
*
* 初めての児相、施設は親が精神病院に入院する期間の一年半程だった
*
* 初めての小学校の記憶は特に無い
* 計10回転校したりで記憶の容量が足りて無いんだと思う 母親が精神病院に入院したのは父親との離婚絡みでの事だった
*
* 小さい頃から朝まで続く説教の中で良く父親の話が出ていた
*
* 母は俺が父親似だから嫌いだと言う
*
* 「アンタの父親は私の友達の家に忍び込んで下着を盗んだり、私とのセックスを隠し撮りしたビデオを売ったりしてたクズ」だとか色々な
*
* そういった父親の話を何度も何度も聞かされた * 妄想癖もあるし、離婚の時に父親に暴力を振るわれていたなどと、嘘を紙に書かされたりした覚えもあるから事実は知らない
*
* 母はそれで精神的におかしくなったと慰謝料を取る為に入院したんだろうと思う
*
* 俺の中での事実は、10才の頃父親に会いたいと泣いて頼んで連れてかれた場所が刑務所で、面会謝絶されて顔を見る事も出来なかった事が最後の事実だ 初めての児童相談所は楽しかった
母が居ないから兄弟と沢山話す事ができるし
とにかく自由だった
先生も優しくておばあちゃん先生って呼ばれてた先生がいるんだが
とても可愛がってくれた
お孫さんが書いた絵を俺にプレゼントしてくれたりとにかく優しかった
夜に決まった時間に寝る習慣がなくて児相の就寝時間に合わない俺にずっと優しくトントンと背中を叩いてくれて思わず泣いた 児相はだいたい2ヶ月の間に親元に帰るか施設に行くか等の判断があってその後施設に入ることになるんだ
そして児相を経て初めての児童福祉施設へ入所した
男女合わせて1〜18才までの100人程で生活する訳だ
初めての施設は施設に良くあるイジメや暴力等は特に無く
とても平和な日々だった
キリスト教系の福祉施設だったから
シスターさん達に挨拶すると良い笑顔で会釈してくれた
家にいる時と違いとても伸び伸びとした一年半だった 児相はだいたい2ヶ月の間に親元に帰るか施設に行くか等の判断があってその後施設に入ることになるんだ そして児相を経て初めての児童福祉施設へ入所した
男女合わせて1〜18才までの100人程で生活する訳だ
初めての施設は施設に良くあるイジメや暴力等は特に無く
とても平和な日々だった
キリスト教系の福祉施設だったから
シスターさん達に挨拶すると良い笑顔で会釈してくれた
家にいる時と違いとても伸び伸びとした一年半だった 施設に入る為に転校が必要なので2校目の学校だったがここでも直ぐに馴染んだ
学校の思い出で覚えてる事は少ないが
妹が生まれつき目が悪くて
今みたいにレンズが薄くないからメガネが目立って
妹のメガネをバカにしてる同級生をとっちめたぐらいしか嫌な思いはしてないな
学校での俺はとても活発でムードメーカー的な役割で目立ってないと気が済まない性格だった 初めての施設を経験して、小学2年生の終わり頃にに母が退院した
兄弟3人揃って一年半ぶりに家族が揃った
帰ってきて直ぐの頃は母が優しくなっていて嬉しかった
名前で呼んでくれる事は殆ど無かったのに名前を呼んでくれるんだ
それだけで嬉しかった
3校目の学校にも直ぐに馴染んで
これからの人生が幸せに向いて進んでいる気さえ
していた
だけどそう長くは続かなかった 一旦話変わるけど
昨日から見てくれてる方もいるので
昨日ハッピーエンドになるの?ってコメを貰ってたみたいで
長く掛かるのでとても大事な事だと思って。
ハッピーエンドでは無いです
今現在はその人生で得た価値観で自由に生きてるつもりなのでまだエンドでは無い。 笑
でも今も孤独を強く感じるし簡単に恋にも踏み込めないし
それでも大事な人を大切にする事は覚えたし
沢山人を傷つける事も傷付けられる事も経験した
真っ直ぐにはなれなかったけど
色んな場所で愛情を貰って沢山失敗しての今です
半年前ぐらいに大麻で捕まって
出てきて直ぐに施設の恩師が亡くなっちゃって
母より受けた愛情も返せてなくて
立派が何かも分からないのに、立派になって感謝を伝えに行こうなんて思ってて
本当にまだ間に合うなんて事無いんだって
苦しい思いもしました
そんな25歳の今です
全然ハッピーなんかじゃないですがそれでも良ければ続きを見てください
2日目なので遅いのはすみません
頑張ります 児相の先生が家への訪問を辞めると直ぐに昔の母に戻った
むしろ酷くさえなっていた
男遊びが増えて次々と彼氏が家に来た
その彼氏達もろくな人間がいなくて
母に言われるままに俺が問題児で母を苦しめていると聞いて暴力や暴言は当たり前だった
そして直ぐに別れて新しい男、その繰り返しだった 母が退院して引っ越した町は山の麓の町だった
団地だったから母の発狂は周囲には知れ渡っていたんだと思う
母は仕事をしていないので夜通しで毎日のように説教を受けていた
トイレに行きたくなったらトイレに行っていいですか?と頭を下げ許しを乞わないとトイレにも行けない 恥ずかしながら漏らしても行かせてもらえない時も何度もあった
説教の内容なんて本当にどうしようも無い事ばかりで理由はなんでもいい様な感じだった
余りにも返せる言葉が無くて「ちゃんとします」このちゃんとしますを何千回と言った たまに家を追い出されると、座って何時間も何時間も同じ説教を食らうより家の外に居た方が楽な事に気付いて
家を出て行けと言われると喜んで外に出る様になった 夜に家を追い出されると子供だから最初の方は家が見える場所までしか行けないんだ怖くって
だけど冬でも裸足に薄着で追い出されるから同じ団地のお兄さんや大人の人に心配かけちゃって
服を貸してくれて一緒に謝りに行こうなんて事も何度もあった
その度に玄関から顔を出す母は人が違ったように優しそうな顔をしてうちの子が迷惑かけてすみません〜と普通なフリをするんだ
とても怖かった そして家に入ると何で近くにいるんだ周りにも迷惑だから遠くにいけってまた追い出されて
そんな事を繰り返すと嫌でも行動範囲が広がってきちゃって夜の町にも慣れた
家出?とゆうか強制ではあったけど
家出に慣れ出すと家にいるより気持ちは楽だから2日、3日と帰らなくなった 一度も心配して探されたりなんて無かったし
帰ってきても直ぐに追い出されるか朝まで説教だから帰りたくなかった
警察に補導されるとのちのち親が異常に発狂するから警察車両が通ると物陰に隠れたりして難を逃れた
ご飯にはいつも困ってたが深夜のコンビニの店員さんが弁当をコンテナの上に置いてくれるようになってからは助かってた 親に愛されてない惨めな子だって思われたくなくて親が病気で働けなくて貧乏だから徘徊してるって嘘ついてた
あの時の店員さんに謝りたい
いつも深夜だから気付いてたかなやっぱり >>38
ありがとう( ´ ▽ ` )ゲンキデテキター 冬で寒くって色んな団地の駐輪場から自転車カバーを盗んでは公園の植林の中の寝床に集めてて
いつもの様に徘徊して自転車カバーを盗もうとしていたら団地の2階から大声で大人に怒鳴られて逃げても捕まえるから待っとけと言われ
逃げたけど普通に捕まった とても怖いおっちゃんだった
何で夜中にカバーなんて盗もうとしてるのかと聞かれ何も言えなくて
家に連れてかれた
何か察して何も聞かずに、座って待ってろ
素直に待つと生姜焼きとご飯を作ってくれた
刺青がどんぶりだったからヤクザだったんだろうけど凄く優しい人だった 公園に溜まってる不良の兄ちゃん達に缶コーヒーを奢って貰ったりバイクの後ろに乗せて貰ったり
シンナーを教えて貰ったり教えた人が他の不良にタコ殴りにされてたり
色んな事があった この頃の学校は行ったり行かなかったり半々ぐらいだったと思う
登校した時はずっとふざけて皆んなを笑わせて
目立ちたいから喧嘩も沢山して
とことん強がって頑張ってた だけど本当の俺は、両親にも愛されてない惨めな人間で。
家に帰らないと学校にも行けないし、服も汚いから登校時間になると、物陰に隠れて登校する同級生や学校の人達からコソコソと逃げまわっていた 学校で強がってる分現実が辛かった
でも当時は同情されたり惨めだと気付かれる事が
死ぬほどに嫌だった
友達の家族の話なんて聞くと苦しくて苦しくて
そのうち給食費の事先生に言われて学校にも行きづらくなった 小学3年生のこの頃から妹に変化が起きた
小さい頃に決心した妹を守る為の行為で
母に嫌われ続けてきたのに
妹が母に嘘をついて俺を追い込む様になってきた
何もしてない俺に殴られたとかそんな嘘をどんどん吐いて母の当たりが余計に増した 妹が自分を母から守る為にやり出した行為だと分かっていた
それでも守りたかった妹からそんな仕打ちを受けるとは 思ってもなくて本当に苦しかったし
子供だったから耐えられなくて妹への嫌悪感が次第に増していった
そして家族で信頼できるのが兄だけになった 兄とは仲良くて親の隙を見てベランダからパンを投げてくれたり
一緒に自然が近い町で沢山遊んだ
たまに夜遊びにも付き合ってくれて
兄がいなきゃ本当に生きていけなかったと思う
俺が家に居ないと母の当たりが兄に向くので
たまに兄も追い出されると2人で色んな冒険をした 深夜の山の中に登って行ったり火遊びなんかも覚えたし夜中の池で泳いだり野生児みたいだった
でも素直に楽しかった 兄と少し壁があるとすれば
兄は母方の婆ちゃんに可愛がって貰ってる事を隠していた事だけだった
母方の婆さん以外は、母が疎遠なのと亡くなっているのとで親戚なども繋がりが無かった
俺は早い内に兄が婆さんに色々な買って貰ったり遊びに連れて行ってもらったりしている事を知っていたが言えなかった あんな母親だから婆ちゃんの愛情だけでも独り占めにしたい気持ちは痛いほど分かってたからね
それに俺は婆ちゃんにも嫌われていた
母が俺以外と出掛ける時は婆さんの家の掃除などを1人でさせられてた
婆さんの俺を見る目はいつも怒りがこもってて
それが何故だか今も分からない
婆ちゃんはアンタだけが小さい頃にお婆さんと呼ぶから嫌いだったと言っていた
兄と妹は婆ちゃんと呼んでいた
未だに理解が出来ない 兄との壁を壊したくて婆ちゃんの話をした
最近の事だ
数年ぶりに連絡を取り深夜から朝まで海を見ながら昔話をした
俺が独りを感じる理由がそれだったんだって
でも兄の気持ちは分かってたから
未まで言えなかったって 恩師が亡くなってもし兄が亡くなったらって考える様になりとても怖くなった
母の仕打ちを1番身近で知っている兄が亡くなってしまうと俺の苦しみや悲しみも無くなってしまうんだ
母は自分がしてきた事を絶対に認めないから
こんな人に話しても信じて貰えない俺の人生は兄だけが生き証人なんだってそれでやっと隔たりを感じてた話が出来たんだ
すみません
9歳頃に戻ります 児相に保護してもらう事が増えた
2ヶ月児相で過ごして家に帰り1週間後にまた児相に戻ったりなんかもあった
直ぐに施設に入れば?と思うかも知れないが
自分が居なくなった後の母の毒の受け皿が兄や妹に向くのが嫌で離れ辛かったし、子供だから母の愛情を受けたくて母の変化を諦めきれずにもいた 母の毒は強くなるばかりだった
発狂する度に包丁を持ち出して一緒に死ぬだの
死んでやるだのと暴れるので包丁を隠す事が良くあった
母は俺を泣かせたいんだと気付いてたから
母が気持ち良くなる様に嘘泣きをしながら兄と包丁を隠して母にバレない様に隠れて「なんで嘘泣きしてまでこんな事せやんと?笑」「まじでずっと狂っとる 笑」って笑いあったりしてた この頃の母の狂ったエピソードといえば
寝ている俺の腹を蹴り付けて起こして
電気を付けた母が号泣しながら
「アンタみたいな人間がいるからぁあこんな可哀想な子がいるとよぉぉ!」って叫んでて
腕に抱えたタオルに何かを包んでてタオルに血が沢山染みてて
俺は本当に母が人を殺したのかと思った
頭も冴えてないし本当に怖かった
事実は轢かれて死んでしまってる猫だったんだけど本当にそれくらい意味分かんないぐらい狂ってた 余りにも色々ありすぎて何歳ごろの出来事だったかごちゃ混ぜになってるので
母のエピソードを端折って書きます
兄とタバコを吸ってるのが母にバレて説教から何故か母の肩をカミソリで切らされる
「アンタは人の痛みが分からんから切りなさい」
??タバコは??
目の前で大量に薬を飲んで服薬自殺未遂をして救急車を呼ぶ事3回
「アンタがいる世界で生きてたくないからアンタが死なないなら私が死んでやる」
小さい頃は服薬自殺未遂が気狂いの得意技だと知らなくて本当に俺のせいで死のうとしていると思って何度死のうと考えたか分からない そんな日々を過ごして10歳になった
俺は母との毎日に疲れて、母が毎日の様にけなしていた父親に会いたいと思うようになっていた
母がどれだけ虚言癖があるのか良く知っていたから、母が言う父と本当の父は全く違うんじゃないかと思ってたんだ
母の説教中に父に会いたいと言うと母は笑って言った「会わせる代わりに約束しろと
約束は父に会わせる代わりに父と会うならもう母と一生会わないって約束だった 俺はもう母と過ごすのは無理だと思ってた
本当に殺されるかもしれないって怖さも常に少なからずあるし
父がまともなら学校の友達みたいに普通になれるんだって思うとそうなりたい
それだけだった
強がる必要もなく素直に笑えて
家に帰る事も楽しみでそんな毎日が羨ましかった
小さい頃から同級生の皆んなの事を子供だと思ってたし子供になりたかった 泣きながら父か母を選ぼうとしてる俺の事を見て母は嬉しそうだった
俺が兄と妹に会えなくなるのが辛くて泣いていたのを母は分かってたんだろうか
俺は心の中でお前に会えなくなるのが辛くて泣いてるんじゃない!って思ってたよ
嬉しそうなのがとても悔しかった そして父の元へ行きたいと言った
母は「分かった 連れてく と嬉しそうだった
車に乗る前に、兄に大人になったら絶対会いに行くけんねって泣きながら伝えた
車が動く時めちゃくちゃ辛かったのをハッキリ覚えてる
何時間か移動して昼になってて
母が最後のご飯だって言ってファミマのオムライスを買ってきて泣きながら食べた
めちゃくちゃ美味しかった 母がもうすぐ着くよって言って見えてきたのは刑務所だった
本当に混乱した
何故刑務所?捕まってるなら父の元へ行ける訳が無いじゃんって
遊ばれてたんだって気付いて、もう言葉も無くて
母に「父と住むんやろ?って言われて
もうなんて言えばいいか分からなくて黙ってた
降ろして帰るって言い出してどうせ警察沙汰になるからそれはしないって分かってた
謝らないと済まないから何度も嘘泣きして謝った
母に「じゃあ連れて帰ってやるから面会して出てきたら育てて貰える様に頼んでこんね と言われ
面会の手続きで紙に書いてあった父親の名前を意識して覚えようとした
面会のルールなどの説明があり約30分間程、面会が出来ると説明を受けた
30分の内に何を伝えようかと必死に考えてた
顔もはっきり覚えてない父に会えるんだって緊張もしてた 結果は面会拒否だった
頭は真っ白だった
何で?何で?
拒否されるなんて予想にも無くて
父という存在も俺を受け入れる気は無かった
両親に愛されてないと確定してしまって辛かった
帰りに母から「アンタこれからどうすると? と言われて何も言えなかった 団地に着き車から降りると何も言わずに母は玄関に入っていった
俺はそのまま家出をした
夜になるまで公園でボーッとしてた
必死に覚えたはずの父親の名前を忘れていた
地面に何度書いても最後の文字を思い出せなくて少し笑えて泣けてきた
街頭も消えて寝床の自転車カバーにくるまって
昨日の今頃何してたか思い出した
母の説教が始まってたなーって
全然寝てなくて大変な1日だったなと思った
疲れたし寝ようと思っても
寝れる訳なくて
涙止まんなかった
そして施設に入ろうと決めた それから程なくして
児相に入りその後施設が決まった
新しい集団生活が少し楽しみだった
また転校も伴う訳で
もう転校にも慣れてたから
次の学校や施設はどんな感じだろうと楽しみだった
施設の入所日に施設を案内してくれた先生が最近亡くなった恩師だった
最初に入った施設と全く違ってて
自由が少なく様々なルールがあった
そして施設の中の子供達の関係性もハッキリと違った
最初の施設の様に年上には〇〇兄ちゃんって感じの兄弟みたいな感じではなくて
隠れてイジメや暴力が当たり前で
当然上下関係もあれば派閥みたいな関係性もあった 気にすんな続けて
明日以降立てる時はここのurl貼って続きから書いて ここから施設の話になります
あんまり下系は良くないかと思ったけど
それも人生だし今に繋がってる事だから書いてきます
俺の性の目覚めは小学2年生の最初の施設だった
18歳までの子供らがランダムで部屋に振り分けられてたから同室に高校生なんかもいて高校生が待ってるエロ本を貸りて見てた
雪山で緊縛された裸体に赤い蝋燭を垂らしてるエロ本のシーンをめちゃくちゃ覚えてる 笑
同室に男女は混ざらないけど
食堂やテレビ部屋や遊んでる時間は男女混ざるから女子ともよく話たりするんだ
俺はよくハーフ?って聞かれる顔で
小さい頃は可愛かったみたいで年上の女の子に結構可愛がられてた
高校生の姉ちゃんに多目的ホールに呼ばれて行くと大きいカーテンの裏に呼ばれて沢山キスをされて胸を舐めるよう促されなすがままだった
凄い衝撃で性に目覚めたのはこの時だったとおもう
それから週1ぐらいで隠れて会ってた
大好きなナルトのアニメが放送されてても手で招かれると直ぐに飛んでいった
セックスはした覚えは無いがキスや身体を舐める事はもう大好きになってた
ちなみにオナニーを覚えたのもこの頃だった
精通もきてないから透明だったな
本当にあのお姉さんは罪深いと思います
感謝してます ありがとう >>69
何の画像と何の動画だよ 笑
お前が何か困ってる様な人間なら何かしてやりたいがお前に構う事でお前に得無いんなら相手せんわ >>70
分かりました
成程そんな手が…ありがとうございます 施設の中で男同士で色々やってる人が一定数いて
可愛い顔してたからか高校生の男がパンツで布団に入きた事があった
絵描くのが好きだったから枕元に鉛筆と紙があって咄嗟に鉛筆で腕を刺した
この時に強くならないとそういった事をされる側になってしまうって怖くって、直ぐに人に手を出すようになった
最初の施設ではあまり見なかったが
2回目の施設では自由も少なくて男女の隔離も最初の施設に比べると酷かったから
高校生が小学生に舐めさせたりしてるって話もあったし
2回目の施設では自分を守るつもりで人を追い込んだりイジメや暴力を当たり前にする様になっていった
自分が標的にされない様に権力もってる男の歳上にキスされたりしても嫌な顔せず我慢してたりもあった
結構嫌な思い出だな
2回目の施設は小学生男子と中学生男子と高校生男子で階が分かれていた
最初の施設では小中学生も幼児さんも高校生も同じ部屋だから年が離れてる分イジメや暴力が少なかったんだと思う
2回目の施設では2つ上に敵わない先輩がいたけど小学5年になると小学生男子の中で1番権力を持つ様になった
昨日までイジメをしていた人間をイジメられる側に突き落としてきた自分にもその危険がある事を分かってたから
とことん皆んなを傷付けたり他が仲良くなりすぎない様に干渉したり仲悪くさせたい人同士で喧嘩させたり陰口を密告すると良い扱いをしたりして
必死になってた
この頃にはとっくに真っ黒になってた
苦しみも悲しみも良く知ってるはずなのに
一般より立場が辛いはずの、大事な仲間にすらなれた人達を更に傷付けた 俺のやってる事を先輩に告げ口されて
体格も歳も全然違う先輩にシバかれる事も沢山あった
お前らもやってる事じゃねぇかって思ってた
凄い優しい先輩や守ってくれる先輩もいた
俺は弱すぎてズルすぎてそんな立派になれなかった
同じ小学生男子の年下の子が高校生に慰めものにされてるの知っててもその子が寝てる時に水を被せてベランダに放り出して「お前舐めさせられよるんやろ 気持ち悪りぃ 嫌なら嫌って自分で言えや弱者が なんてこんな感じだった
本当は守る事も出来たのに
俺は自分の事ばっかりだった
何度も施設の先生を泣かせてしまった 何か意味不明なマウント取られた気がするが
自分語りでの人生相談みたいなのしてて貢献意識でやってたのかよ立場が逆だろ
匿名掲示板でテリトリー作ってる時点で滑稽だと思うがw 施設の先生もハッキリと別れてて
仕事として先生をやってる先生と
親代わりとして先生をしている先生の差を感じてた
親代わりとして心で関わってくる先生達は
仕事が終われば帰ればいいのに毎日の様にサービス残業して泊まりの勤務でもないのに朝まで俺の性根を直そうと話かけてくれてた
何度も何度も何度も何度も
母親とは全く違った
同じ様な朝までの説教でも言葉も表情も全てが違った
「皆んなの痛みが分かるでしょ 皆んなを守れる力があるでしょう 自分が被ってきた痛みを人に向けて誰が幸せになるの? 泣きながら話しかける先生を忘れてないよ
なんで当時に変わらなかったんだろうって今でも後悔してる
先生の苦労を思いを感じ取れてるのに
先生の愛情を無駄にしていた
感じとれない人間が道を誤る事は仕方ないと思ってる
そんな人を身近に見てきたからどうしようもない事も分かってる
俺は感じていて、そして分かっててやってた
どうしようもない人間だった >>76
なんだテリトリーって?
何をそんなに必死になってるのか分からん
興味の無いものを見る習慣が俺には無いしな
そもそもどうしたい?
スレを消して欲しいのか?もしそうだとしたら
わざわざコメに書き込みに来るのと自分でブラウザバックさせる労力を考えないのか?
考えないでも分かると思うが
匿名も何も俺個人を晒すだけで済むならどうぞ宜しくと思うが俺にも甥っ子や姪っ子が居るからな
誰にも話せないけど誰かに聞いて欲しい事もあると思うしもしそんな人が聞いて欲しいって言うなら現状は変わらなくても話聞いてあげれる人がいるってだけで心安らぐ人もいる訳じゃん
もしそんな人がいたらどうにかして電話番号でも教えて話聞くよ
ここで個人情報晒すのは別に俺の顔や刺青や大麻で捕まった時の裁判所の通知なんかは晒してもいいけど施設いました毒親でしたなんて証拠は無いから残念だけどな
別に信じてくれなんて言ってないし
俺の情報から施設で辛い目見てきた人達のトラウマ掘り起こす様なきっかけになるような事は話さない様に意識してるつもりだが
それであなたはどうしたいの? 明日も6時半から仕事なので寝ます
スレ落ちてたらURL貼って続き書きます
テンポ悪くて申し訳ない VIPというか5chには一部話の通じないおかしなのがいる。気にしない方がいい >>78
いやいやwそれじゃ、貴方にも分かりやすく話します。
個人情報に関しては、執拗に干渉する気も漏洩する気もありません
私は必死に煽るつもりではやっていません。VIPでは普通のノリなので、気にしないで頂いて結構です
匿名掲示板は、人種、国境、問わず、誰でも話題を出せる、誰でも自由に相談に乗ってくれる場なので
どうぞ、このまま話しを続けていただいて構いません。頑張って価値観の合う人を見つけて下さい。応援しております。
>>83
見苦しいのでもうレスしない方が良いですよ。誰もあなたの考えていることなんて興味ありません。 すまんな、この>>1思ったより良い奴だ
そんなにマウント取ってくる気には感じられない
だが、俺は俺のやりたいやり方でやる
俺に気にせずこのまま続けてくれ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています