女は劣等種だから人権は必要ない
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将棋のプロ棋士に女はいない
なぜなら知能においても女は遥かに劣るから
囲碁のプロ棋士も女は女流という格下のリーグを作り雑魚同士でやらせないとタイトルが一生取れない
研究職も同じでノーベル賞受賞者は一生現れない womenつまり亜人間明治の法律にも女は無能力者と書かれてたからわかるように
歴史的に能力的に社会的に見ても女と障害者は同意語
病名をつけるならy染色体欠損症か(低知能、小脳、低緊張、低身長、内臓疾患、
骨脆弱性、貧血、情緒障害、出血症、空間障害、運動障害、
それに伴う低い社会的地位、皆無に近い業績) よく考えると障害者はサヴァン症候群のような一分野に
限れば常人より遥かに優れた才能を持つ人間が結構な割合でいるから
人口の半分を占め全般的に能力が低い上何の特技のない欠陥だらけの
女より人口比的に知的業績的には人口数パーセントしかいない障碍者の方が上か
ASDは人類の進化形とも言われてるしな 発明のように能力がより成果に反映する分野ほど女が少なくなる
これも閾値を高めるほど難しく難易度が高いほど男の優位性が大きくなるということに一致している
簡単なほど男女差は小さくなる たしかに女と障害者は
能力的にも歴史的にも社会的にも業績的にも立場が似て類似点が多い
いや障害者そのものか
女を障害者と考えたら男女関係がわかりやすいね >>2
じゃあプロ棋士でも研究職でもないあんたも劣等種じゃん
これが正解 マリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリーは、現在のポーランド出身の物理学者・化学者である。フランス語名はマリ・キュリー。キュリー夫人 として有名である。 1867年11月7日、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。 ウィキペディア
1911年にはもう女でノーベル受賞者でてんじゃん 例えば勉強が男よりできる例えのときはこうだ
東大出の女と中卒の男を比べて、ほら女の方が勉強できるでしょ?
全くもって女らしい浅ましい卑怯極まりない論法である
例えば仕事が男よりできる例えのときもこうだ
仕事できないからってできる女に嫉妬するな、実際仕事が男より余裕でできる人はいっぱいいるけど?
仕事できない男に対して仕事できる女を比較対照として男より優れてると豪語する
全く持って馬鹿丸出しである
仕事できない男と比べるなら、仕事できない女と比較してどっちがマシかを比べるべきである
仕事できる女と比べるなら仕事できる男を持ち出してきてどっちが優れてるかで語るべきという当然のことも理解できない
アホな生き物それが女
それからもう一つ
人類の歴史を今まで振り返り、社会に名を残した人物、貢献した人物、有名な学者
男性と女性どっちが多かったか・・・・・
わかりやすく言うとノーベル賞受賞者の男女の数、オリンピックの記録が男女でどっちが優れているかなどだが
社会において 平 均 的 に 男女どっちが仕事こなしてるか?社会に貢献してるか?
これこそが男と女どっちが優れた種であるか理解できるだろう >>13
お前のような排泄しか取り柄のない無能男が男女の優劣を論じる自体が間違い
お前は人間になり損った何一つ普通にできないポンコツ 女は感情でしか動けないノータリンが多いからな
ほんと人間社会にとっては生かしておく価値はないよ
殺処分して回った方がいい正真正銘の粗大ゴミ 反論や否定は自由だけど
個人への人格批判や根拠のないレッテル貼りではなく
主張の論理性に対して言うべきだ >>19
スレそのものが根拠のないレッテル貼りで
非論理的で非生産的なのに今更何言ってんだ
アホなん? >>21
そちらにはそのように結論が出ているかもしれないけど
その情報って明確に共有できている事かな?
前提の共有は大事なことだと思うんだ なんだか随分と嫌われちゃってるけど
何なら俺は反論のお手伝いをしているまであるのだよ
そろそろお出かけの時間だからこれまでだけどね! 人権は必要ないは言い過ぎだけど最近ちょっと調子乗りすぎだよなフェミニストとか >第1回模試
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