毎日新聞 2022/3/16 11:07(最終更新 3/16 11:10)

 「事件がこのまま風化することが、何よりも怖い」。大阪市北区の雑居ビルに入るクリニックで2021年12月、スタッフや患者ら計26人が犠牲になった放火殺人事件で、
死亡した院長の西沢弘太郎さん(当時49歳)の妹(45)が毎日新聞の取材に応じた。「こんな事件が二度と起きない社会をみんなでつくりたい」と訴え、
悩みや苦しみを抱える人たちを支える活動も始めた。「もう決して、新たな被害者が生まれてほしくない」と願う。大阪府警は16日、死亡した容疑者を書類送検し、捜査を終結した。

 12月のあの日、携帯電話に流れてきた火災のニュースに目が留まった。「北新地の心療内科」。胸騒ぎがして現場へ向かうと、既に被害者が搬送され、警察官に聞いても状況が分からなかった。
「無事でいて」という願いは通じず、夜には最悪の知らせが届いた。「これは夢なのかな」と現実を受け入れられなかった。






たんすから見つけた手紙の束

 事件から2週間が過ぎたころに、実家で弘太郎さんの部屋を整理していると、たんすの引き出しにしまわれた古い手紙の束を見つけた。高校時代、埼玉県の医大に進学した兄に送った十数通の手紙だった。

 「私は大学受験に向けて勉強頑張っているけれど、お兄ちゃんの国家試験の方が大変だと思うから、頑張ってね!」。そんな励ましや、何気ない日常のことがつづられている。
返事は一度も来ず、読んでくれなかったのかと思っていたが、30年前に送った封筒がすべて保管されていた。便箋には、何度も読んだと思われる折り目も付いていた。「お兄ちゃん、取っておいてくれたんだ」

 2人兄妹で、大阪府松原市で医院を営む父親の背中を見て育った。いつもクールで、何でも淡々とこなす兄。記憶に残っているのは、医師を目指して勉強に励んでいた姿だ。

 仕事の話はほとんどしなかったが、10年ほど前に弘太郎さんが心配そうに漏らした言葉を覚えている。「働き盛りの人も、心の病気になりやすいんだよな」。
JR大阪駅に程近い北新地に心療内科を開いたのは、その数年後だった。「働いている人が訪れやすい場所に作りたかった」と、都会で開業した理由を人づてに聞いた。

https://mainichi.jp/articles/20220316/k00/00m/040/076000c