人間って正しさと正論を履き違えているよな2
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前提の話をすると、何か身近に不和が生じると宗教的な観点や身分や障害や事情という誰しも精査しづらい「弱者のマント」を着て話をし始める人が増えたしょう?同情っていうのは注目を浴びるには十分有効的だと思うけども、不透明な「正しさ」まで引っくるめたらまたそれはそれは危険な事で。
聴衆を得るにはまず内容より見てくれなんですよ。
集団心理的に守らなければならないという一方で集団心理を利用し始める。何故なら当人は認められていく自分に恍惚を得て最初抱いた感情とは別の世界観から話をし始めるようになるのが常だから。一般的な感覚より優勢されやすい言葉を使い始める、もう止まれないってことでしょう。当初の怒りや不満など解消されたはずなのにここで止まって偽者の烙印を押されるのを恐れて余計な嘘をつきはじめる よって日常生活においての正しさというのはあくまで「不透明な多数決」であって、ことこれが裁判等になると大抵が破綻していく。何故なら言論統制がハナから存在していないから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています