ゴーストオブ対馬をクリアしたんだけど過大評価されすぎだよね
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絶対未プレイ勢がムービーとかだけで判断してるよあれ絶対 私はキャラデザが嫌すぎて途中でやめたのでこのゲームを評価する権利を持ちません オープンワールド入門としては良いと思うけど器用貧乏な作品ではある >>2
まぁみんなブスだしね
志村の叔父さんくらいだよイケメン 風で行き先を表示するのは
没入感損ねなくて良いと思う >>3
入門かなぁ
マップは常に出せてないし
まぁワープ箇所はたくさん作れるけど ホライゾンもそうだけど
サブイベがちゃんとイベントしてるのは高評価 会話のテンポが字幕を置き去りにするの草生える
日本人に監修させとけ 俺は好きだったが
景色綺麗だし、戦闘はばっさばっさやれて気持ちいいし、ロードは短いし
高速扉明け閉めとバーサーカー政子と石川先生と謎和歌はどうにかして欲しかったが >>12
洋ゲーってそういうとこ雑よね
ホライゾンでも思った 地形が使いまわしだらけですぐ飽きるのがな
砦なんかの敵も復活しないの多いし 砦攻略の戦略が選択肢全然なくて自由度無くてつまらんかった
ブレワイがいかに自由にプレイできるかを知るだけだった ただMってだけの煽りか
ゴーストオブ対馬やってる事への煽りかと思ったのに 出来はいい
出来はいいが何故かすぐ飽きる
どこが駄目かと問われればうまく説明出来ないが
目立つ粗が無いのが逆に飽きさせるのかもしれない >>24
攻略に自由度がないからだよ
やれることが限られてて工夫の余地がなく攻略がワンパターンになるから飽きる >>19
いや、飽きずに最後までやって、トロコンまでやったな
地域が変われば景色も変わるし、戦闘も隠密やったり、飛び道具使ったり、真っ向勝負やったりと色々出来たから楽しめた 敵が9割人だからかな
そういうコンセプトなんだからしょうがないけど >>26
マジか凄い
セキロはトロコンできたけどツシマは無理だった
マルチモードもやったの? >>28
マルチはちょっとだけやったけど、合わなくて止めたな
トロコンまでやったのは、日本の原風景の歩いて、侵略者から国を守るってロールプレイングに惹かれたとこが大きかったんだと思う >>29
完全に向き不向きだね
俺なんか作業に感じちゃって志村殺して終わりかと思ったらまた攻略箇所増やされて絶望感だったもん
ブレワイはバイク入手までやり込めたけど 飽きっぽい自分が最後まで飽きずにプレイできた数少ないオープンワールドゲームだわ タカがやられたとこで一回やめちゃって壱岐来てから最後までやった
猿神無双したけどこんな力あったらタカも影も救えたじゃないか 前回好評やったからまた書くわ。1度読んだ事ある奴はワンパターンな奴だもバカにしてくれ。
コトゥハーンとは何者か?本人は「チンギス・ハーンの孫にしてフビライの従兄弟」と名乗っていた。
チンギス・ハーンの子供が何人いたのかはハッキリしていないが、その子孫達の中で『ハーン』の称号を名乗る事が許された第一夫人ボルテの産んだ4人の息子、長男ジュチ・次男チャガタイ・三男オコダイ・四男トゥルイの血をひく者達だけだ。
だからコトゥハーンもこの4人の内の誰かの子供(つまりチンギス・ハーンの孫)と考えて良いだろう。
この内四男トゥルイは除外して良い、フビライハーンがトゥルイの息子だからだ。フビライの従兄弟と言う事はトゥルイの子ではないと言う事だ。
続く 鎌倉時代なのになんで畳があるんだコラ
なんでだれも烏帽子かぶってないんだコラ
なんでまともな鎌倉時代の鎧が全然実装されないんだコラ
なんで太刀じゃなくて打刀なんだコラ
って文句言ってたらエンディングまで行った 綺麗にまとまったゲームで俺はなかなか良かったけどな
途中で飽きる現象はオープンワールドゲームではあるあるだからこのゲームに限ったことじゃない気がする >>38
ブレワイは飽きなかった
FF15はロードの長さと変わらないイケメンたちとの冒険が嫌だった
そもそもオープンゲーそんなにやったことなかった ストーリーが退屈で途中で飽きてやめちゃった
ウィッチャー3は飽きずに2週目出来るのに何が違うのか 山と砦ばっかりで飽きる
オープンワールドはロケーション多彩な方が面白いよ >>40
ウィッチャー3はすげえ雰囲気よくて好きだなあって思ったんだけど何か色々と煩雑で序盤で放置してしまった
逆に対馬は俺はこのゲームを理解してやるぞ!って力入れて構えなくてもすんなり理解できて分かりやすかった >>43
正直、ウィッチャー3は序盤挫折して放置してた
ふと思い直してプレイし直したらドハマリしたから、
対馬がかならとっつきやすいゲームデザインになってるのは分かる
PS4でプレイしてもロード一切気にならないし
けど中盤に飽きる、なんかうんざりする
ストーリーが平坦で、キャラに魅力を感じないからだろうか >>34
タカに関しては竜三が悪い。
>>35続き
そもそもチンギス・ハーンの王位継承?(実際にはハーンの地位と直轄領の継承)はチョット特殊だった
、いやモンゴルにおける財産継承そのものが他の国とは全く違うモノだった。
通常、父の財産は長男が継ぐ事が多い。日本でもヨーロッパでもエジプトでもインドでも中国でもそうだ。
だがモンゴルでは、成人に達した男は嫁を迎えたら父の財産を分けてもらって独立する。そして父が死んだ時最後に残っていた末っ子が父の財産全てを継承する。この財産には父の妻・愛人も含まれる。
その為モンゴルでは末っ子をオッチギン(囲炉裏の番人)と呼んで特別な存在として扱っていた。
で、モンゴルの風習に従えば末っ子のトゥルイがチンギス・ハーンの財産を継承すべきである。
また、征服した中国や中央アジア東欧の風習に従えば長男ジュチが継承すべきだ。
だがこの長男ジュチには問題があった。第一夫人ボルテはチンギス・ハーンがまだ何の武力も持たず一族からも見捨てられていた頃の嫁で、
敵対するメルキド族に誘拐されてしまい、チンギス・ハーン(当時はまだテムジンという名前だった)が友人や父の知人の力を借りて自力で奪還したという経緯があった。
だが奪還した時ボルテは妊娠していた。この為チンギス・ハーンはジュチは自分の実子とは認めなかった。
しかし同じ親戚同士の一族がまとまって遊牧生活を続けるモンゴル人にとって外部の血が入るのはむしろ喜ばしい事という考えもあって、「妻が産んだ子供は自分の子じゃなくても自分の子供として扱う」という風習もあった。
この為チンギス・ハーンもジュチを渋々自分の長子として扱っていたという経緯があったのだ。
続く >>45続き
更にココで次男チャガタイの問題が出てくる。
コイツは凶暴な性格だった為、兄ジュチが父の実子じゃない可能性があった為に何かと「本当の長男は俺」という態度をとった為に長男ジュチとの仲が最悪だった。
そして、よりによって4兄弟の中で最も戦場で活躍したのは長男ジュチだった。
その戦上手を利用して、チンギス・ハーンは長男ジュチに「中央アジア以西(つまりロシア西部とヨーロッパ)切り取り放題」の許可を与えて体よく追放してしまったのだ。
ジュチもコレに反抗して帰還命令を出しても帰って来なくなったりした。(単にシルクロードを通ってコビ砂漠を越えて帰還するのが大変だからという理由が大きかったとも思うが)
この為長男ジュチを後継者にしても次男チャガタイを後継者にしても、せっかくの広大な領土が分裂して内輪揉めするのは目に見えている。
更にモンゴルの風習に従って末っ子トゥルイを後継者にしても、ジュチやチャガタイと年齢が離れ過ぎている上に、凶暴な2人の兄を御す事は出来ないと考えられた。
ソコでチンギス・ハーンが考えた結論は「本来一番継承権の無い三男オコダイを後継者にする」というモノだった。
こうしてチンギスの死後、クリルタイ(モンゴルの王位継承会議)でチンギス・ハーンの遺言通りにオコダイが二代目ハーンに就任した。
ジュチはチンギス・ハーンより先に亡くなり、その領地はジュチウルスと呼ばれ息子バトゥが継承する。
次男チャガタイは中央アジアを任され、本拠地とされるモンゴル高原と中国西部と攻略中の中国北部はオコダイハーンと弟で本来の正当後継者のハズのトゥルイが共同で経営するという変則的な領土継承になった。 任意でかっこいい納刀と礼エモートできて最高の侍ごっこゲーだった
それ以上でも以下でもない >>46続き
本拠地におけるオコダイハーンと弟トゥルイの経営は二人の仲が良かったお陰で当初上手くいっていた。
ところがオコダイハーンが重病にかかって危篤状態になってしまう。
弟トゥルイはショックを受け毎日「兄の病が治ったら代わりに私の命を捧げます」と天に祈った。
この祈りが通じたのか?オコダイハーンの病は治り、代わりにトゥルイが急逝してしまった。
オコダイは大いに嘆き「私の後継者は私の息子達からではなくトゥルイの子供に継がせる」と宣言する。
しかしこのトゥルイの死には「このままオコダイハーンが死んだら後継者は兄弟継承でトゥルイになる」と考えたオコダイハーンの妃(オコダイの長男グユクの母)が、トゥルイを毒サツしたという噂があった。
そしてオコダイハーンが死んだ時、その後継者は弟トゥルイの子供達から選ばれずに、結局オコダイハーンの息子であるグユクが就任する。
だがココで事件が発生する。新ハーン・グユクが就任式の前に何者かに毒を盛られて半身不随になってしまったのだ。
幸い一命は取り留めたモノの、ハーン就任式では1人で座っている事も出来ない状態だったらしい。それでもグユクハーンはその後2年間命を保ち続けた。
その間トゥルイの長子モンケが暗躍し、グユクの死後はモンケがモンゴル第4代目ハーンに就任する。
続く >>49
第4代モンケハーンは初代チンギス・ハーンを彷彿とさせる大変有能な人物だったが、その猜疑心の深さと残虐性もチンギス・ハーン並みで
(チンギス・ハーンは晩年猜疑心が強くなり、モンゴル統一時に大活躍した弟カサルと不仲だった)
自分のハーン就任に反抗したオコダイハーンの息子達やチャガタイ(チンギス次男)の息子達を次々に粛清し、ついには片腕と頼んだ弟フビライまで一時的に追放してしまう。
そのせいで前線で指揮をとる将軍が足りなくなり、ハーン自ら対中国南部の最終決戦に出陣。ソコで風土病に罹りアッサリ死んでしまう。
そうして再びハーン継承問題が勃発、モンケの末弟が首都カラコルムを占拠して5代目ハーンを自称するが、中国南部で軍を率いていて人気も実績も高かったフビライが戦わずして勝利し5代目ハーンに就任した。という経緯があった。 クソッ!何か今回は全駄目だ。長文ダラダラ書き垂らして全然簡潔に説明できてない。
やり直し!
要はチンギス・ハーンの子孫でハーンの称号を得られたのは正室ボルテが産んだ長男ジュチ・次男チャガタイ・三男オコダイ・四男トゥルイの子孫のみ。
その内フビライハーンは四男トゥルイの子供で、コトゥハーンは
「チンギス・ハーンの孫で現フビライハーンの従兄弟」と自己紹介しているので、トゥルイの子供では無い。
ジュチ・チャガタイ・オコダイの3人の内の誰かの子供だという事になる。
この内長男ジュチの一族はロシア西部からヨーロッパ東部で事実上の独立国状態になっていたから除外。
コトゥハーンはチンギス・ハーンの次男チャガタイか三男オコダイの息子の可能性が高いという事になる。
だがこのチャガタイ家オコダイ家は先代モンケハーンの時代に粛清されている。コトゥハーンはこの粛清を免れた生き残りであり、
チャガタイ家は中央アジアを独自領土として任されていたのに対し、三男オコダイ家はモンゴル帝国の本拠地であるモンゴル高原と中国西部北部を現王家トゥルイ家と共同経営状態だった。
この状況をかんがみて、コトゥハーンはオコダイ家の生き残りであり「日本より東は切り取り放題」という体の良い追放処分と引き換えにハーンの称号を得て、日本攻略総司令官になったと考えるのが妥当だろうと思われる。 >>48
MMORPGはプレイヤーありきだから
オープンワールドゲーとして見ると地獄でしかない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています