我々の認識は限定的で抽象的らしい。
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だから目の前に存在しているように認識しているものも実際に存在しているかはわからないらしい。
言語学の本にそう書いてあった。 事実というものは存在しない。 存在するのは解釈だけである。 これってなかなかすごいことだとわたしは思っていて、その情報を共有できればと思ったからスレ立てた。 >>3
存在しないと言うよりどちらかというと観測できないとかいた方がもしかしたら分かりやすいんじゃないかな? >>6
その可能性も否定できない。なぜなら本当の君を知ってるわけではないし、知れるわけではないから。例えば未来にあなたのした行動や世間一般の認識の違いによってイケメン扱いになる可能性は十分にあるよ。 >>5
もうバカだからいいんだよ。頭がよいなら君がバカなあたしの言葉を普通な人やバカな人向けに書き換えていいよ。 分かりやすく書くと我々の今の世界が映画「マトリックス」の世界である可能性もあるってことよね。 月はひとが見て認識してるから月であるみたいなこと?? >>11
そう。しかもその認識も限定的なものだし月とう言葉と意味も抽象的なものらしい。 >>14
それは医学の本に書いてあったけどあくまでそれ(さわって存在のわかること)は脳がそこに存在している認識を示しているだけであって、実際に存在しているかどうかは実際のところわからないらしい。 >>13
インド人の哲学者とアインシュタインさんの対談で
そんなかんじのあった気がする
うろおぼえやけど。。
まあ
そこから派生して
じぶんに見えてるものがじぶんにとっての事実
そしてそれはじぶんだけの世界であるってのは実感するよね >>16
そうね。
だから例えばわたしと君とで同じ「赤」という言葉と認識を共有しようとしたとしても、波長とか認識している色とかが違う可能性があるから細かく見てくと永遠にわかりあえないという。
それを考えると自分と他人を比較することは無意味かもねって結論も導き出せるかもしれないね。 つまり世の中のことは断定的なことは何にも言えないってことにもなるかも。なぜならどんなに偉い学者さんであっても認識や定義を作ることで認識外や定義外が存在してしまうから。その認識と認識外との差が将来の発展性を生むきっかけになるわけだけど。 >>17
よくわかる
本当にその通りとおもう
意味のないあり得ないものであるのに
ひとは共感を求め
ひとと比べたり
ひとの評価を無駄に気にしたりして病むひとが多いんやろなと
いつもおもってる >>19
そのことがわかるあなたは賢いのだと思います。
それをいい意味で活かせると良さそう。
例えば研究者とか実業家とかが向いてそうな気がする。 我々が例えば目の前にあるプラスチックのケースがあったとして、それは我々の認識の上では変化が内容に見えても、実は時間が経過するごとにもの自体は変化していると言うこと。
我々はぱっとした見た目で変化していないように見えるとき、一般的に変わらないと認識しているけど、それはあくまで変わらないように見えているだけであって実際にものは変わっていると言うね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています