大韓航空機撃墜事件
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1983年9月1日未明,ソ連のサハリン沖上空で,ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空機(乗客・乗員269人)がソ連軍機に撃墜された事件。大韓航空機がソ連上空を侵犯した理由は不明だが,この地域はソ連にとって戦略的に非常に重要であり,またソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)以来,米ソの軍事的緊張が高まっていたことから,スパイ機と疑われたとも考えられる。またソ連では,1982年11月,国境侵犯行為に対して軍事力の行使を認める国境法が制定されていた。事件後,米ソ関係はいっそう悪化し,米国のINF(中距離核戦力)配備が進んだ。韓国は現在もロシア政府に対して賠償を請求している。 原因は慣性航法装置の設定に人為的なミスまたは作動に不具合が生じたためとされる
犠牲者は269人、うち日本人は28人だった
最年少は日本人の男児3歳
機内食を食べている時に撃墜された ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています