鎌倉殿が面白いんでちょっと歴史マニアの連中来てよ 色々解説して
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あれなんで頼朝は初戦で300対3000で戦おうとしたの?
絶対負けるじゃん
なんか引けない理由でもあったの? >>2
既にドラマで説明されてるけど
以仁王と源頼政が平家に反乱を起こす→平家が反平家勢力を壊滅させるために関東に攻め込む
→頼朝「このままじゃ殺される」で決起 >>3
政治背景はわかるんだけどいくらなんでも300で3000相手に戦おうとする気がしれん
ドラマではなんか親父のノリで突っ込んでたけどまさか史実じゃねぇべ? ドラマ内の説明だと勇猛でしられる三浦党と挟撃する算段じゃなかった?
実際は三浦党は間に合わずに逆に伊東勢と挟撃されたけど >>4
その後の流れを考えるとある程度味方がつく計算でやってたと思う
先週は石橋山でボロ負けしたけどここから上総広常(佐藤浩市)が頼朝軍に参加する
これで頼朝軍は一気に2万人に膨れ上がる >>7
ひぇーまじか
ヘタすると初戦で討ち死にしかねなかったのに
ああでも予定では援軍があるてはずだったのか
なるほどね 頼朝は政治は上手いけど戦は下手
義経は戦は天才だけど政治は下手 >>8
今日のオープニングでやってたけど、梶原景時(中村獅童)が見逃してくれたのも幸運だった
今は敵だけど後で味方になる奴がもう結構登場してるけど梶原はその一人 名前に地名が入ってる奴が多いから誰がどこの豪族かだいたいわかって面白いね >>12
えっあれ史実だったの?
なんだろうわりと頼朝って坂東武者達に期待されてたんだな 史実かどうかは分からんけどググると出てくるエピソードオーだと
洞窟の中の頼朝見つける→外の仲間にいなかったと報告→仲間が確認しようとすると「俺が信用できねえのか!」とキレる
だからもっと思いっきり裏切って逃がしてるな >>14
今はもう日本史学界では支持されてないけど「武家棟梁論」って説があって
頼朝の爺さんの爺さんの父さん(源頼義)が、前九年合戦で東北の反乱を鎮圧するときに
坂東武者たちと主従関係を結んだことが頼朝の代まで続いてたおかげと理解されてた時期もあった
そう考えられるくらい頼朝軍の成功が上手くいってたってことだね 鎌倉武士の粛清内ゲバぶりは日本というより中国の歴史を思わされる
下克上の戦国時代よりよっぽど恐ろしい この「勝ったら侍別当にしてください」も有名な逸話だな
大ピンチでもまだ勝つ気でいる奴がいたのが頼朝軍の凄さ どこまで史実か分からないけど和田君ググると戦闘力が高そうな反面、思慮が浅い感じの記述ばっかりじゃねえ? 実は足利将軍の1代尊氏と2代義詮は鎌倉殿と呼ばれてた
3代将軍の義満が室町に御所を作ったから3代から室町幕府が正しい >>21
尊氏もだっけ
息子と、京都と鎌倉を交代で守ってたっぽいけど 13人の中では比企能員って奴が一番の強敵
北条氏の最大のライバル 比企氏 源頼義の嫡男が八幡太郎義家で、源平の出世レースで平家よりも早く頭角を現した人
頼朝はこの人の嫡系
武田は義家の弟の子孫
だから武田が源氏の棟梁を名乗ったときに頼朝が「武田なぞ血筋のうえではワシより劣る」って言ったわけ >>25
でも、頼朝の家系が途絶えたあと
源氏嫡流を名乗ったのは同じ義家系列の足利だったんだよね 頼朝は関東政権をうち立てると朝廷に乞われてもなかなか上洛せず鎌倉でじっとしてたからな
だから鎌倉幕府の本質は関東独立政権であって、頼朝が決起して鎌倉に入った1180年にもう幕府は成立してると考える人もいる >>26
足利は八幡太郎の孫の家系だし、北条家も代々足利と縁組してたしね
足利尊氏も北条家の赤橋登子を妻にしながら幕府を裏切るんだからひでぇ奴 >>28
今ジャンプでやってる漫画の足利尊氏の描写見てると
キチガイさがしっくりくる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています