日本の城が防衛に向いてないのって畑や城下町が何故か壁外にあるからだよね
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築城の名手とか言われながらいくらお城を鉄壁にしても兵糧攻めに弱すぎることに気づけないアホしかいなかったの? >>2
その通り、城下は攻撃対象じゃないよ
ただし防衛対象ではある
生産拠点が外にあるってこと 総構えが必要なかったのは
兵農分離出来ていなかったから
年をまたぐ長期の攻城戦を想定していない 兵糧攻め出来るほど後詰とかもなんにもなく包囲されるほどに孤立してたらどっちにしろ終わりだからなあ
そんなものに対策する意味はあまりない 城内に倉があって備蓄してたからやない??
いまみたいに一年中作物がとれるわけでもなかったやろから
城内に農家の居住地までいれてしまうと
ぎゃくに守るのに人員がいることない?? >>3
城ってのは別に囲まれてもいいんだよ
守って時間稼げさえすればいいのよ
何も城が総大将じゃあないんだから
今はもうないけど昔は城がもっとあって、兵糧攻めされてる時なんかは隣の城から援軍呼んだりしてたんよ
だから別に城の周り囲まれるくらいは構わない 小田原が城下町まで防衛するような城の作りだったとか聞いたことある気がするけど >>7
囲まれてる時に兵糧があるのとないのでは耐えられる時間が大幅に変わるんだよ
昔はそんなすぐに援軍を呼べるわけじゃないし、馬廻が殺されればその分遅れるんだから少しでも時間を稼がないといけない あと、城が総大将じゃないってのは明らかに歴史を知らなさすぎる
城ってのは戦略的に重要な地点に建てられるものであって、そこが一番効率の良い防衛ラインだったり交通の要所だったりする
そこが落ちてもいいなんて考えは戦略負けしてもいいと言ってるようなもん もちろんすぐ落ちてすぐ取り返せるような小城は明らかに敵が大軍ならすぐに捨てることはよくある。大友氏なんかは良く採った戦術と記憶してる
ただ、それは「どうやってもこの拠点で守るのは無理だから」であって、その場合元々その拠点での防衛を捨ててるわけだから、今回の防壁の話とは関係ない 小逆に山城や大きな城だと、長期的に守らないといけない上に周りの小城は事前に落とされてると思った方がいい
そういう時に後方の盟友を呼ぶためにどれだけ耐えられるか
そのチャンスを自ら放棄してるんだよね だから城主が切腹して敵に部下の安全を約束してもらったり、騙し討ちして一度は撃退しても2度目で落ちて処刑されたりする
畑があれば防げたのに >>16
本願寺は海上輸送出来たから問題なかった
包囲が包囲として働いてなかった >>17
ということは立地次第で日本の城でも当時の戦では十分な防衛出来てたんかな >>18
防衛に向いてない、と、防衛出来ない、は全く違うからね
石山本願寺と支援国の範囲考えたら広大だから尚更
それに俺は兵糧の話をしてるんだから、それが供給できるということは問題ないということ 農民を所有してるという感覚に乏しかったから?
守護や大名は形式的にはお上から土地を預かってる立場だし 例えば、干殺しを良くやる羽柴秀吉は城攻めが得意とされ
力攻めを良くやる徳川家康は城攻めが苦手とされてるのは有名
弱点を弱点と見つけられないような人相手にも意味はあるね
稲葉山城なんてかなり持ち堪えたんだし >>20
俺は墾田永年私財法に原因があると思ってる
良くも悪くも未開の地を農民に開拓させたことで、畑が城の外に出るのはどうしても致し方ないと思う そしてそれはもう農民の土地だから、勝手に囲う事も難しかったんじゃないかと思う ただ、墾田永年私財法が実際どのくらい条文通りに働いていたのか分からないから予想でしかない とは言っても収穫時期までは備蓄食料で凌ぐしかないんじゃない? 攻城戦なんて実際は殆ど起きないけど抑止力の為に色々工夫しなきゃならなかったんだよね >>27
畑も城下町も有ればほぼ例年通りだよ
影響がありそうな楽市楽座制を導入してたのなんて一握りの都市なんだから 疑問に思うのは城に敵が攻めて来た時の練習ってどうしてたんだろ?
実際の弓で撃つ訳にはいかないし敵味方かなりの人手がいるだろうし あと単純にコスパ的な問題?
バンバン開墾するなら一度城壁で囲っちゃうと面倒だし
幕府による移封、転封もやりにくそう >>30
知らんけど、多分割とアドリブだと思う
櫓に「○○(その城主の部下の姓)櫓」とか付いてるのザラだし、どの場所を誰の部隊が防衛する、みたいなのは決まっててそこ専業の練習をするから練度の問題はそこまでなかったんじゃないだろうか >>31
まあ勝手に開墾しまくってれば囲いたくても囲えないわな >>37
松の皮を剥いで煮て食ってたんじゃなかったかな確か 俺たちが「革靴は食える」とか言ってるのと同レベルのことだと思ってもらっていい へー知らんかったわ
飢饉の時に木の皮まで食べ尽くすっていうのは聞いてたけど食料対策で植えてたのか かんぴょうで編んだ畳を非常食に使ってたってのは聞いたことあるな >>41
食用城ガチ勢だと畳も食えたり内壁も食える城かまあった気がする 三木城だっけ、兵糧尽きて馬から畳まで食って最後は城兵同士の共食いになったやつ >>44
強いよ
兵農分離なんて進んでないんだから
農民は兵力だよ
そこに畑が付いてくるかついてこないかでしかない 戦争って全部じゃないけど
名乗り上げた競技的なものだろ?
モノによってはあまり死人いないとか
欧州の蛮族が異常 >>46
鳥取だから島根でゆるキャラになったけど批判されて取り消されたやつ? >>47
ばーか兵数が多いってことは兵糧の消費も高いんだよ
そういうのを狙って秀吉は城に味方を入れざるを得ない状況とかにする >>46
そのエピソードは鳥取城だな
三木城は別所長治の話が悲しい >>49いたずらに殺したら、占領した時の生産力がそのまま減るってことだからね
>>51
兵糧の消費も高いけど、畑があれば問題ないってこと おまえの畑は何連作を一年にするんだい・・・?
籠城する季節が冬だったらどうするんだい? >>54
畑があっても無理ならそもそも後方の盟友がいなかったってことだから俺の提示してる条件とは別の話だし、そうでないのであれば相手の兵糧が先に尽きることになるね 畑確保出来るくらいの防衛線あるなら野戦で撃退した方が早いのでは? >>56
我彼の兵力差によるから、その防衛戦を維持できる兵力があるから打って出られるという判断基準には全くもってならない 防壁もただじゃないし
広くし過ぎると配置する兵力も多く必要になる >>58
相手が包囲しなきゃいけない兵力も多くなるから抑止力としては正しいよ 防衛側は高所から相手の動きをみれるけど、包囲側は包囲網が広がれば広がるほど各指揮官への指示伝達や、作戦実行後の細かな連携も難しくなってくるんだし 大きく囲って大人数で守ればいいってこと?
それが実際にできたのって長尾景虎が小田原攻めたときぐらいじゃない?
それを基準に有効性を主張してるわけ?? >>61
適切な大きさで囲って適切な兵力で守ればいいって言ってるよ そんな防衛だけ上手やってたら時代に乗り遅れて規格外の包囲されて終わったのが北条だったよな あと小田原は>>10の言う通り、俺の主張する防衛を敷いてるからそれが唯一の成功例で正しい >>63
防衛以外は下手なのが原因って自分で書いてるようなもんだねそれ 小田原以外の成功例を示してもらわないとどうにもねえ
基本は山城に兵糧詰め込んで籠城が強かったわけだしねえ >>66
それ以外は城下町を囲ってないから、成功例どころかサンプルがないよ 兵士や農民増やすだけ
1日にかかる食料も増えるわけやけども。。
兵糧攻め対策としては意味ないとおもうわ >>68
それは既に説明したはずだが
意外に時間かかったからこれ以上は書き込みやめる ローマとかでも食糧生産はお外だったぽいよな
ハンニバルが何年も居座れるはずだわ そもそも城壁都市多かった中国やヨーロッパでも農地って場外じゃ? 小田原城が成功したからいけるやろって思い込んだのが>>1だったってことかな? 防壁の出来が難攻不落状態で初めて成立する理屈だわな
小田原城はそうだった
だから兵数も抑えられてたはず 兵糧攻めの対策が「城内に農地を作る」だから話が噛み合わない そもそも当時の城は避難所だったり軍事拠点だったり交通の要所の監視管理だったり
それぞれ役割が違うから
熊本城みたいに明治になっても立派に機能した城の例も有る 農地が場外にあるから籠城側を挑発するために刈り取ったりするんだよね そもそも兵糧攻めされる状況っていうのが既に詰んでいるのでは
大兵力を長期間貼り付けつつ包囲を解かずに援軍にも対応されたらそれ以上籠城する戦略的な意味ないと思う 金沢は城下町が曲がりくねっててなかなか城に近づけないように作ってたな
籠城前にどれだけ削れるか
狼煙の範囲の味方城が残ってるか
兵糧がどれだけあるか
基本城攻めは10倍の兵力いるとか言ってたし攻める側の兵糧も問題だよな >>80
よく言われるのは三倍だな
三倍出してくる相手には大体国力で負けてるからヤバい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています