「極端な意見だからダメ」←これ
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「両極端を避けて中間を行けばうまく行きやすい」という中庸思想の鵜?み
具体的な論にはなってないし中庸思想はなんにでも当てはまる物理法則なんかじゃないし >>4
弁証法というより具体的な反論ができない人が
「極端だからダメ」とかいうあいまいな否定に逃げてるだけ 客商売とかだと「極端であること」それ自体もネガティブ要因になりうる >>7
なりうるならなりうるで具体的になぜどこがどうそうなるのか
それが俺の意見をどう否定できてるのか
指摘できなきゃ論争にすらならない
単なるレスバ
ありうるから何
「中庸思想の鵜呑みで具体論になってない」
「中庸思想はなんにでも当てはまるわけではない」という俺の指摘とは違う話で
的外れだし 様々な側面から善し悪しを判断しなきゃいけない場面で
一つの側面しか見ていないのが「極端な意見」なんだよ >>8
非合理な「感情」に訴えるのが仕事だからだよ >>9
まーた的外れなこと言って
例えば専門職で突出するには極端に一つの分野をやらないといけないが
極端にやって専門以外がおろそかになることと、専門職による社会的成功を天秤にかけても
なおかつ極端にやろうっていう結論は出る可能性があるし
具体的にどこがどうなぜ一つの側面しか見えてないと極論になるのか言えてないし >>11
だからなりうることは否定してないしその根拠も聞いてない
俺は「中庸思想はどんな場面でも当てはまるわけじゃない」と言っただけで
「中庸思想はどんな場面でもあり得ない」とは言ってない
的外れ >>12
それは極端にやることが正義であるという場面、ってだけの話でしょう >>13
俺は「あいまいな言い方で具体論じゃない」とか「ここがこうだから的外れ」とか
具体的に指摘してるが
頭使わずに済む罵倒に逃げちゃったね >>16
だからそれは否定してないっての
的外れと言ってんの
お前は話にならないな >>18
だったら「極端であること自体に言及する」ことにはなんでそんなに過敏なん
ただの思考停止じゃないんだぜって言いたかったんだけど 専門職として一つの分野を極めることと
極端な意見を言うことは全く別の話だよね >>12
これは少なくとも二つの側面を考えてなおかつ極論になるケースのたとえ話
多面的に見ることと極論は普通に両立するよ 勝手に自分が攻撃されてると思い込んで極端になってないか >>20
たとえば作家志望者に「一日十時間小説を書き小説を読め」と
言ったら極端な意見
いろんな面を考えてもそういう結論にはなりうる >>1
マレに極端な意見が極端じゃなかったりするしな >>24
総合的に考えてそれが妥当だと言えるのなら
それは極論として批難されることはないよ >>27
それも的外れ
非難されるかどうかの話はしてない
多面的に考えることと極論は両立すると言ってる
論点あっちゃこっちゃ飛ぶなお前 まず「極端な意見」って何なんやろ
客観的な指標があるのかな >>28
|----B-|---A--|
Aの話の中Bが極端扱い >>29
非難云々じゃなくて「極論ではなくなる」のでは >>30
ないけどそこも問題にしてないぞ
多面的に考えても極論になりうると言ってるだけで >>33
その話もしてないな
多面的な思考と極論の関係の話
しかもなんでいろんな面を考えたら極論として非難されないのか意味不明 「極端な意見」だとか「極論」だとかと言われるのは
多面的に考えるべき場面で特定の側面だけしか考えていない意見のことに他ならないんだよ >>35
論理で具体例を出す能力もないなら最初から
そんな主張するなよ >>38
ないって言ってるのに何で定義なんか出さなきゃならないの? >>41
それわからんと
「多面的に考えることと極論は両立する」
これがわからない 一面的な考えから導かれる結論が「極論」ということだね いや1+1=2だろ
1+1=0〜3もしくは4〜8、9もありえるみたいなの
俺の前でやったらありとあらゆる嫌がらせをプレゼントする 専門以外の他がおろそかになったりするリスク
同じことをやっててストレスになるリスク
専門職に就くメリット
少なくともその三つの面を考えても
「専門馬鹿になってもいいから今は一日10時間専門分野に専念しろ」という極論になりうるよ
多面性と極論は両立する >>42
実は寝る前の楽しみにレスバしたかっただけやねん >>1
いいこと言うじゃん
中庸って結構単なる思考停止だったりする >>45
そんな完全に間違ってる説は極端であることと別のだめさも持ってる >>46
考慮すべきメリットデメリットを加味してその結論に至るなら
それは極論とは呼ばないよ >>46
だからそれは>>16であって
その時点で「極論」ではなくなるんだよ
極端にやることが最適解なんだから >>47
寝る前のちょっとした時間つぶしって意外と難しいよな わざわざ意見を極端だと指摘するのは意見の中に何らかの現実的でない理屈や前提があると相手が感じてる場合だろうから
そう言われた場合は「なぜ極端ならばダメなの?」より「意見のどこを見て極端だと思いましたか?」って聞き返した方が解決早そう >>51
結論が極端なら極論と感じる人はいるだろう
第二次世界大戦もハルノートやらなんやら不平等条約を突きつけられたり
戦争のリスクも考えたうえで結局「戦争しかない」という極端な結論になったんだぞ
多面的な思考ができてないことと理屈が極端であることは全然違うものだよ >>53
ゲームだとハマりすぎて夜更かししてしまい明日に響く 抽象的な話をずっとしてるのに急に具体例聞き出すんだもんな >>55
それを具体的に言えないから「極端」とかいうふわふわした否定に逃げる例が多い まあ極端だからダメってロジックとして意味不明だよね
そんな極端なことしても誰も付いてこないとかなら分かるけど >>60
極端だとケチつけてきた相手に説明責任があるんだから聞き返して説明してこないなら放置でええと思うわ >>57
結局その結論が受け入れられたということは
その結論はその場において極端ではなく妥当なものであったということだよ 専門以外の他がおろそかになったりするリスク
同じことをやっててストレスになるリスク
専門職に就くメリット
この3つをあらかじめ言ってあるんだったら
「専門馬鹿になってもいいから今は一日10時間専門分野に専念しろ」
ってのは極端とは思わないんじゃないの
いきなり結論だけ来たら極論というか極端だなあとは思うけど 結論を出した側にとっては
あらゆる状況・可能性を考慮して最適解として「戦争しかない」に至ったんなら
極論でも何でもないけど
相手にとっては極論だ、と
主観的なものなのね 理屈の過程が極端な例を出すなら
たとえば「うんこは臭いし不衛生だから害悪だ。しないほうがいい」は極論だけど
匂いと衛生面、少なくとも二つの側面を考えてるぞ >>71
二つ以上の側面を見ていればいいというわけではない
限られた側面だけしか見ていないのが問題 >>71
理屈の過程もうんこするデメリットに偏ってて極論じゃん
でも二つの側面を考えてるぞ >>73
お前は極論は一面的だって批判をしたんだぞ
なんで限られた側面しか見えてないって説にスライドするんだ 皆が妥協できる結論を出すことと自分はどこを進むのかは別ってことで >>75
ここでの「一面的」とは「(数として)1つの側面」ということではなく「特定の限られた側面」ということ
そのくらい文脈から読み取れるだろう いくつの側面を考えてるかの前に前提をまず踏まえようね
各人がよりよく社会の中で生きることが前提になったうえでの「社会的問題の解消」といった議題の中で
「人類が死滅すればあらゆる格差も犯罪も不幸もなくなる!」ってのは
問題の存在そのものにだけ焦点をあてて何のためにそれを問題としているのか?を見失ってるわけ
うんこは「生命活動上するもの」であって
故にそのあとに出てくる問題が話題になるわけ 検索したら
極論
きょくろん
力が入ったな意見や、極端にかたよった思想のこと。
多面的に考えても思想が偏ってたら極論なんじゃないの
分析が一面的でも極論ということはあるかもしれないが
それは一部のケースで、極論すべてが一面的なわけではないと思う 匂いと衛生面だけを考えていれば、多面的に考えて妥当な最適解に辿り着ける!
とは思わないでしょう?考えている自分でも
それは考慮する側面がやっぱり一面的なんよ >>81
思想によっては
振り切った思想から見たら真ん中ですら振り切った極論 思想が偏ってるってのはある方向性以外の思想の重みが低いってことなんじゃないの 極端に偏った思想というのは一面的な思考によってもたらされるものなんだよ
そもそも何を以て「極端」と見做すかを考えるとそこしか無いんだよ >>81
思うに極論って主観的な概念なんよ
考えてる当人にとってはちゃんと多面的に考えて出した結論で偏りなんかないと思ってる
でも人に話したら相手には偏ってると思われてしまう
偏りがあると自分でも思うんならそれは自分の論ではない すりあわせ前提なら
相手が自分の考えてる-10を言ってきたら
コッチは10以上を言う 極端な意見も意見だから極端だという理由で封殺するのは良くない、というのには賛成するよ
てか最初から否定はしてないけど>>7でいきなり「極端だという理由」が問題になる場面の話をしたのは誤解を与えたよ
メンゴ 分析については一面的だと極論になりうるだろうね
「とにかく戦争じゃ―おおぜい死ぬし負けたら悲惨でも
戦争のデメリットより攻撃的防御優先じゃー」ってのを極論としたら
一応戦争のデメリットも二つ、メリット一つ考えてるぞ
思想が極端だからって一面的だとは限らないと思う 自分では極論ではないと思っていた意見が相手には極論だと受け取られるとしたら
それは相手の方がより多角的な視野を持っていたということだろうね >>90
自分の目線が狭くなり過ぎてる事もあるよな 逆に言ったら多面的に考えてても極論である場合もあるってことでしょ
まぁでも極論とかいうのはどの角度から反論されても何も受け付けない態度とるから極論って呼ばれるんだと思うよ 右翼とか思想は極端だけど多面的に考えてるケースもあると思うね
極端イコール一面的な思考とも限らないと思う >>92
極論が何かによるけど
それが正しい場合「極論は間違い」は正しくないな >>89
デメリットもちゃんと考えてるけど「戦争じゃー」に振り切るというのは
ある種の言行不一致で
行動はともかく論として極論であるとは言えない >>89>>93
デメリット(あるいはメリット)を(相手にとって)過小評価してるならそれはある面に偏ってるってことになるじゃん 分析に関してはデメリットだけ並び立てたら極論と言われることはあると思う
「戦争しかない」は偏った思想だけど多面的に考えメリットデメリット考えても
そうなりうると思う
検索した定義によると思想が偏ってたら極論だから
多面的に考えて「戦争以外認めない」という思想になっても極論
理屈の過程も結論もどっちも思想だし >>97
メリットだけ言うとか
デメリットだけ言うとか
基本だしな
何の基本か知らんけど 「戦争しかない」を「偏った思想」だとする根拠は何なのだろう 極論はダメとか言われるけど、その式が正しけりゃ何を代入しても成立するんじゃ思ってしまう
これはいいけどそれはだめってんなら式自体が間違ってるんじゃ出直せボケと >>97
聞く相手にとっての極論な
多面的に考えてるという自覚があるなら自分にとっては極論ではないのよ 結局相対的なものなんだろうな
社会通念上浸透してしまえば極論も常識になり得るし逆も然り >>103
世界的に絶対的に正しい物がある可能性はあるがな
仮にあったとして
人の考える言い悪いなんて全て許容範囲なんだろうけど 極端だと大体気狂いになるのは鉄則じゃん
100%悪いわけではないけど極端の反対が中庸というのも極端 >>105
極端極論扱いされるのはその人の考えから極端に外れた人なんだよな
”人”が個人かわからないけど 俺はたとえば母を殴ろうか悩んだことがあるがいろんな面を考えて
「暴力は必要」って結論になったぞ
これは一種の極論で暴力を肯定してるわけだから
母が運転してて右折の際一生懸命右ばかり見て左を見ない
だから対向車が来てると追突されそうになる
ボケてきたのかなんなのかいくら注意しても直らない
激怒してもなんでも言い返して来て直らない
俺が母と距離を取り母が運転する車には乗らなくても母や他人が死ぬ可能性は残る
あきらめたり我慢したりしていいことでもない
あらゆる可能性を考えたが殴ると俺が逮捕される可能性がある
でも死人が出るよりは害が一番弱い
結局殴らなかったけど暴力しかないって場面はあるよ >>104
たとえば殺人が起こったとしてみんな自分はやってないと言う
殺したのは誰か議論になったとしてこの分野は正解がある 肝心の暴力の効果について全く考えも検証もないね
単なる気晴らしに言い訳をつけているだけで議題の前提を喪失してる
「何のため」の手段を考えるのか?ではなく
自分のやりたいことに正当化の言い訳を並べようとしてるだけ >>109
全くその通りだね
極論かどうか以前の問題 >>104>>108
事実は事実でしかないから単体じゃ「それで?」としかならなそうだけどね
その事実をどう捉えてどういう論に繋げるのかって所で議論になるんだろうし 暴力は必要か否か
暴力を行うことによる結果(メリットデメリット)
暴力を行わない場合の結果(メリットデメリット)
暴力によって現状から新たに獲得されるもの、失われるもの
暴食をしないことで現状で維持されるもの、失われるもの >>109
母は近ごろ家族の秘密でもなんでも他人にしゃべっちゃう癖があるんだが
親父が母を殴ってその癖が直ったことがある
人は痛い目にあって懲りると直る可能性はあるよ
ほかにも言うことを聞かない、自分や他人の死につながりうる問題行動が
直らなかったらげんこのほうが害が少なくて済む 宇宙消せるから戦闘力無視して全王が最強とかも極論になるのかな 今は暴力反対の風潮で問題児を抱えた親がどうしようもなくなり
困る例が多いらしいよ
虐待も問題だがげんこを封じるのもそれはそれでやばい >>117
言論もそれを保証してくれる暴力があったら
パワーだよ >>114
暴力のメリット・・わからせることができる可能性がある
デメリット…逮捕される、刑事罰となる、仕返しを受ける、信頼関係を損なわれる、ボケてたら余計問題行動がひどくなる 暴力はダメ
と言う言葉を保証してくれる
暴力
そこに落ち着く 「うちのババア殴っていいか?」っていうスレタイで立て直した方がいいと思う >>122
それ以外の方法を禁止してる暴力があるからな 本当に「直る」のか
問題が隠蔽され水面下になってしまう、あるいは別の形に問題が悪化することは危惧されないのか?
なぜ暴力で直ると言えるのか?
受けた側の心理から言っても本当に反省の意思を生むものか?
守るべき規範とされる、客観的に制定された法に基づく刑罰でさえその抑止力や改善効果に疑問符は残るのに
その場の当事者の感情で殴ったとして、どこに何が作用するのか? 暴力は子供の心身にダメージを与える
反面、殴れば子供の問題行動を抑止できることがある
なんも言うこと聞かない問題児へのげんこよりひどい被害が想定される問題行動が直らなかったら
げんこなしにどうするのさ 年寄りに暴力を使ってるとね…壊れていくんよ
認知症になってると尚更
余計言うこと聞かんようになるし現実逃避して独り言や独り歌が始まったりする 政治もきれいごとじゃなくて国内には警察、国外に向けては軍隊という
暴力装置が必要なわけだろ
暴力反対とか簡単に言えるもんじゃないと思うよ >>131
人の考える人として生きようと思ったら
「暴力装置(笑い)」は必要だよな
無くなったらそれ言ってる奴が酷い目に遭おうが自業自得 >>130
そうできたらそうしたいって人も多いだろうけど
自分もそうなったら捨てられるってこと受け入れないといけないよね >>129
そういうリスクはあるが交通事故をどうやって防ぐのさ
親戚にまで頼んで免許返納するよう説得してもらったけど
結局車運転はやめてない >>134
「余計かたくなになって逆効果」というリスクと天秤に合わせて
それでどうするかは…個別案件なので考えてください >>133
自分の有用性を示して生きるのは良いんじゃね? そいつを殺せば、壊せば、行動できる能力を奪えば
そいつに起因する被害はなくなると言えるね
社会がルールとして用意しているものには「公益的な公平性」を背景にしたうえで
そのような意図を含む力も有しているけど
個人の気分や判断から独りよがりな手続きで力を行使することにはその背景はないし
やっていることは個人による別の個人への感情的な加害でしかない >>138
数は力だよあに(
個人の積み重ねだと思うが 力によって作り上げた王国は
いつか力によって滅ぼされる >>140
もし仮に
「力」以外で王国を変えるって無理だろ?
殴る蹴るの暴力ならわかるが
言葉やペンだって力だろ?
ただ言葉もペンも最終的には暴力だけどな… 責任者がおらんしメリットデメリットのバランスも不明
万が一問題発生したり損害出た時に補償出来ない
なんか政府っぽい思考なるなw まぁ人類史を見れば
古来より力の限り戦わずして天下に覇を唱えた者はいないのはそうだけど
法と力に全振りした秦がああもあっさりと滅んでいった理由も面白いよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています