頭良すぎて生きづらい
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そう思ってる人は、
頭悪いからこそ、そう思えてると考えよう
バカだから変な万能感をもてる
勉強だけできた人は、人生トラップに引っかかったと考えよう
日本だと一番かわいそうな存在
本当に知能が低かったら他人から馬鹿にされたり、他人との生活水準の差に気づけず幸福度はあがる
勉強だけできる人は、そこに気づいてしまうのに、仕事はできないから死ぬまで葛藤を抱えやすい
脳のなかで自分は優秀なんだと思い込むルール作り出して、人生から逃げるしかなくなってる人たくさんいるだろう
生活水準の差にすら気付けない知能で普通に生きているという状況があまり想像できません。
そういう人達だってなんらかの生きづらさは感じているように思います。 >>4
お前は典型的な馬鹿なのに頭いいと思ってるタイプだよな
考えが浅いからすぐ回答だしてしまう
バカだから知らないことをすぐ答えるよね 頭の良い人って年齢を重ねて学べば学ぶほど、自分は何も知らないと気がつくんだってさ 馬鹿にする他人とか言うやつらを殴り殺せないから辛いんだが そもそも本当に頭が良い人ならばちょっと頭が悪い人との会話にも合わせられるだろう
生きづらさを感じているというのは自己中心的だからと言っても過言ではない で、頭の悪い人って「自分は何でも知っている」って幼児的な万能感を聞かれもしないのに発露しちゃうんだってさ 賢い人間は質問から入る
バカは答えから入る
自己完結してるから成長しない
成長しないのは、頭の中のルールが間違ってるから
人生うまく行かない人ほど
論評と教えるを繰り返してる 1くんの提示した考え方が普遍的に絶対的に正しいとかいうことではなくて
じぶんが頭がいいと周りにマウントを取ることやそれを拠り所にして生きてきたひとは
生きづらかったばあいは
そう考えたほうが
じぶんのやり方を否定しないうえに生きやすくなるってことかな??
だとしたらそうやろねとおもうよ 頭いいやつには2種類いて、
コミュニケーションや生活に支障をきたす、見た目クリーチャータイプ
言動が普通で頭いいタイプ
がいる
前者は学問や研究の世界から追い出されると辛いことになりやすい
前者のタイプで、脳みそもそこそこって人はけっこう辛い人生送ってると思うよ
ばっちりはまる士業についてたりしないと救いがない このスレ見てると頭のよさっていうのは触れちゃいけないタブーなんだとよく分かる
みんな自分が頭がいいか分からない不安があるから自分と違う存在を頭悪いってことにして片付けたがる
見えないし数値化もできないから想像で好き勝手に語れてしまうのがたちの悪い議論を産む
そもそも議論できる頭を持つ人達が頭のいい人達ばかりだから頭の良さっていうテーマは自賛する結論に至りやすい
俺自身も馬鹿だと思いつつそんな客観的な自分を賢いと定義し前に進むことしかできない
客観視する自分を馬鹿だと否定されても受け入れることはできない
人間には難しいテーマだ
人間の領域から脱出して悟った人たちだけで結論を出し秘匿され続けるべきもの >>14
評価軸を1つしか持ってない人がほとんどだと思うんだよね
生きにくいタイプの人は特にその傾向が強くて、気づきにくい
例えば、評価軸が学歴ともなると
その評価軸を覆すだけの材料になかなか出会えない
社会全体で学歴で一度フィルターかける仕組みになってるから
人生うまくいってないのに、評価軸を覆せないから、できない自分を認められない
結果、俺は学歴が高い、というマウントにたどり着くってことはあるとおもう >>16
賢い
経済的な側面でいうと触れないが正解だよね
賢いとの評論をしてしまい申し訳ない
人間の能力が拡張するときって、自分が無知だと気づいたときなんだよね
知らないから知ろうと考える
わかったと思ったとき、停滞する
これの繰り返しだから、必ずどこかで止まる
止まったとき、自分は賢いと思う
それが結構早い段階で訪れた人は、めっちゃ頭悪いのに賢いと思ってる万能感に支配される
ということが起こるとおもう 日本人の男は7割以上が脳に欠陥がある出来損ないらしいからな
そりゃあ頭の良い人や健常者は辛いよ 金持ちになり、金持ちで居続けるって、本質性に近づくってことだと思う
経営者は直感タイプと論理タイプがたぶんいて、直感タイプはなんとなくそれが正解だと思うから深く考えずに、触れてはいけないものに触れないし、やるべきことをやろうとする
論理タイプは本質的な成功哲学を語れるけど、いわない
メディアに出たとき、嫌われないフィルターをかけて出す
それをやらない人は頭わるいか、金も名誉もすべて捨てられる環境じゃないか
一族視点で考えると死ぬまで何も世間にはいわないってことが正解になってしまうはず
YouTube出てる人は一般大衆に好かれることが優先されるから、本質からは離れやすい 金持ちになると話せる人がいなくなる
ってことが起こる
幸福度の高さを人生の尺度で考えるとあんまり稼がないほうがいい
賢ければ勝手に金が入ってくる仕組みを作ってしまうので暇になる
暇だから事業拡大してしまう
拡大しすぎると外部環境要因で倒れやすくなる
現代は、ビジネスモデルの淘汰が早い
だから更に賢い人は大きくしすぎることはしない ID:RQbJXTjIa
こういう人は、自分の感情を言語化できないんだよね
感情を言語化するって凄くむずかしいから
その人がもつ特性として優先度が
感情>論理 と 論理>感情
の2パターンに分けられる
感情が優先される人は抽象概念で動くことが多いのでそこに意味づけをしない
ID:RQbJXTjIaは、1をなんか気に入らないんだよね
その理由がわからないから、「意味がない」といいつつ、ずっとスレを見てる
その「わからない」を他人に回答を求めてるから、いつも同じことをしてるはず
問題は自分のなかにある
わからないをわかろうとしたら質問がでるんだよ
質問がないなら必要ないんだよ
だから、賢い人は質問から入る スレタイだけ見て逆よりマシだと書こうと思ったらやばいスレだった 感情の人は、モノを作るのが好きな場合が多いと思う
自分の価値観にまわりがあってるか?で思考しやすい >>25
ところどころ同意できるけど根本的な部分がおかしい
>>1は人を無力化することに特化した人間という印象 >>27
どういう意味?気になる
それって意味ない行動だよね?みたいな? 頭がいいか?悪いか?
を気にして生きてる人を一般大衆っていうんだと思うんだ
理由はみんな学校に行くから
若い頃から10年以上、頭いいか悪いかの判定を受け続けるので、それに素直に従った人たちはそこに縛られるようになる
賢い人は楽して儲ける度合いに対して行動すると思うんだよね
それが資本家>投資家>経営者>労働者
という構図を作る
その賢さをもった人には先程のような2種類がいて、成功者と話してみるとそんなに頭いい人はいない
頭いいかどうか気にしてないから >>16をみて、俺が感じたのは
下請け社長じゃない? 経済的成功は、あんまり先の事を考えずに、盲目に進むってのが大事だと思うんだ
そういう意味も含めて16は賢い
結末を知ってると努力できなくなる可能性が出てきてしまう
一般的に考えた場合もデメリットがある
現実を知らない段階で想像する未来はおおよそ間違ってるのに、先のことを考えすぎて動けなくなる
そういう人は元からそういう性格ってほうが多いと思うけど >>28
賢いよ
賢い人は感情に囚われずに自分に利益ある選択をし続ける
だから勝てる
他人の感情的な合理的でない行動を表面的に無力化することでこの社会では通用する
現代でも弱肉強食は変わらずパイの奪い合いだから世間は臆病で、だからこそ安全をより多く求めて残酷になる
ビジネスが冷たい世界なのはビジネスが冷たいんじゃなくまず社会が冷たく生きるしかない状況にあるからであって他者を蹴落としてのし上がることが真理とは俺は思えない
俺は音楽家を目指すバイトだし>>1には負けるよ
人間社会を維持するためには必ずコマが必要だから人間社会は必然的に個人の幸せを許さない
だから人間社会で勝ち抜けることを賢いとし、賢い人間になることが正解としてしまったら最終的に行きつく場所は他人の幸せを許さない考え方になる
感情的に生きてる人たちは本能に従っている
そういう人たちを否定したら自分の中にある本能を否定し封印してしまう
ので、俺は賢さと社会的地位をつなげて考えず、感情的な人を否定せず、住む世界が違うとして影響を受けないようにして自分だけの感情を守ってる
気になったのは>>1が人間本来の幸福に繋がる感情を封印し、その道に他人も巻き込もうとしてないか?って
俺は音楽から世界について学んだから自分を本当に賢いとは思ってない
ただ音楽は音がメインであって歌詞がサブだからこそ歌詞がそこまで重要視されないんでそのおかげで真理について語っても重く受け止められず大衆の欺瞞を隠そうとする防衛本能を刺激しない
それが音楽がもっとも真実を広められるツールだと思う理由 だいたい頭の良さだけじゃないだろ
人間の価値や力を測る尺度はさ
ダーウィンが言ったってよく言われるじゃん
頭のいいものが生き残るわけじゃないって >>32
ごめん飯食ってた
あなたは賢い
その賢さの種類は、私が「卑怯」と位置づけてる賢さだと思う
あなたは感情を大事にすべきというけど、おそらく自分が手の届く範囲の人の気持ちを大事にする、だと思うんだ
最大規模の話にする必要はないけど、例えば、社会全体に向けた改革者になろうとかせめて自分の住む街では実現したいとか、
誰かのために自分がどうにかしてやる、ではないと思うんだ。
自分も犠牲者と位置づけたポジショニングだと思う。
心の安定と金銭的な安定、両方をもったまま矛盾させない一番賢い考え方だと思う
自分のプライドや価値観を譲らず犠牲にさせず、個人の幸福を求めた上での、「他人の感情を大事にしたい」だから、
1から100段階ある「感情を大事にしたい」の5くらいの行動選択をしてる考え方だと思う あと、おそろく
論理的>感情的
という日本社会の価値観を前提に話してると思うんだ
それは正しくないと思う
感情的な人のほうが多いし、論理的な人も感情的な部分がゼロまではいけない
サイコパスみたいな人はわからないけど
俺の場合、どう考えても感情型の人間だし、他人の感情や生き方に共感しすぎて、仕事がうまくいってない人たちに支援をして、それがなぜか恨まれる、というのを繰り返し、人の感情の動きを考えるようになったんだ。 で、いろんな会社調べて気づいたんだけど、
感情タイプの人が論理的な言語化が苦手なのは論理型の思考ルールがわからないことで起きやすく、
同時に、論理型の人からは感情型の人の言動の原因がわかりにくい関係性があると思う。
わかりにくいというより、お互いが見えないといったほうがいいと思う。
つまり対等なんだよね。
人間は社会性の生き物なんだ
集団形成する力によって、小麦を育てる人は小麦を育て、靴を作る人は靴を作り、それらを売る人はそれを売るといった分業制で成り立つように進化した。
だから、自分の思いを言語化して伝えるのが苦手だと自然と不利になるんだよ
協力して動くのが効率化や生産規模を押し上げるから
そういう不利な立場から社会を見ると
「力のある人は助けるべき」「金持ちは助けて当たり前」みたいな、もらう側の思考になるんだよね。
その、もらって当たり前、やってもらって当たり前思考になると、何もしない自分を正当化するロジックを組もうとしてしまう。 感情を大事にしたい
人を大事にしたい
っていう人が多いけど、それって「私の許容できる範囲の人を大事にしたい」なんだよね
例えば、自分のコミュニティで急に怒りだす人、人のせいにする人、恨む人、危害を加える人、仲間の悪口を言う人、文句ばかりいう人
どこかのレベルで付き合いを切るよね
例えば、50人働いてる会社を作り、1人が暴れる人だったら、その1人は切るよね
みんなの生活のために
それを私はやりたくない、感情を大事にしたいという人は「卑怯」だと思うんだ
切る選択をする側にいかない
どの基準で切るかのルールも考えたくない
管理職にすらなろうとしない人は卑怯だと思う
その大事にしたいと思う感情や本気度が高い人ほど、俺は「卑怯じゃない人」だと思ったりする。
だってそういう人のほうが多くの人たちの生活に影響してるじゃない
そういうタイプの人が思う「他人の感情を大事にしたい」と、個人規模での「他人の感情を大事にしたい」は、別物じゃないかな
自分が不利になれば逃げる程度の「他人を大事にする」は、あってもなくてもどうでもいいくらいの熱量だとおもう 賢い人間とは、自分の利益のためだけに動く人じゃないかな
他人を巻き込むことで利益を押し上げる人も賢いし、
嫌な部分を一切見ず、誰かがそれをやると分かってても、自分はそれを引き受けないことで自分の清廉さを守ろうとする人も賢い
どっちも賢いよ
ただ、俺の価値観からすると
後者は卑怯度が高い
卑怯なのは生きる術だから、それにあえて気づかず、自己正当化できるのは他人より秀でた能力だし、
もともと気づく能力がなければそれはラッキーというんだとおもう いい加減な奴は生きやすい
頭の良しあしではない
いい加減かどうか ノブレス・オブリージュというのがあるけど、賢く、力があり、手段が多い人ほど、世の中は大きな仕事が回ってくるようにできている。
その人にはできて、その人以外にはできないことが多ければ多いほど仕事がまわってくる。どこかの誰かのために何かを求められる。
能力が無い人はそれが少ない。
そのなかで、能力があるのに仕事をしたくないから、気づかないふりをして、心の平穏のために誰かや何かのせいにして生きる選択をとるのを卑怯というんじゃないだろうか。
一般大衆は成功者に父親像を求め、何かを無償でもらおうとするし、与えろという。
でも、ボランティアって持続性がないから人類への貢献度ってそんな高くないとおもう
仕事をして金やモノを循環し続けたほうが、社会のためや人の生活のため度がはるかに高くなる。
会社を大きくしたら力が増え、責任も増え、リスクも増える。他人への影響度も高まる。そうやって社会のルールを作る側に行かないのに、〜したらいい、と考えるのは無駄だし、意味がないと思うよ。
実際やってみたら、10代で考えていた理想の社会像は物理的に無理があると悟る人のほうが多いだろう。それでもやりぬく、人類史の価値観を塗り替えると言い続けられ結果を出せる人ってどれだけいるんだろうか
というふうに思いました ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています