0001以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
2022/01/23(日) 07:57:44.451ID:IycU3xcBd年々、我が国民は実学に傾倒し、小説などという娯楽はもはや見向きもされなくなっている。同じ娯楽ならアニメの方が適度なギャグや面白さを挟みながら作者の意図と見識を伝えてくれるのだから、確かに優れている。
小説はその役目を終えたのだろうか。そうとも言いきれないと私は考えている。
東野圭吾先生の白夜行は六百ページの大著だ。大ヒットしている「声に出して読みたい日本語」「バカの壁」「嫌われる勇気」「チーズはどこへ消えた」などはいずれも400ページに及ばない小著で、これらは美しい日本語を量読むのには使えない。新書はその短さ故に共有され、また読まれているのだろうから、小説とは役目が違うのだろう。
ではなぜ美しい日本語を沢山読む必要があるのか。それは日本語にこだわることに意味があるのだろう。
我々は言語で思考し、言語で成長し、言語で戦う。日本が戦争で負けても一応日本語は守り通したが、公用語が英語になっていたら日本は米国の属国らしさを一層強めていただろう。肌の色や国籍も異民族との違いだが、言語はもっと大きいのではないか。英語が世界語のように叫ばれる世の中は、英国が植民地支配を広げすぎた結果なのだ。我々の原点が消えないうちに、日本語を読み、日本語にこだわることで自民族への理解を深め、その伝統を守るべきである。