率直に
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先程他の板でもスレ立てしたのですがここの方がいいとアドバイスを受けたので…
長文かつ自分語りかつ、拙筆にはなりますが読んでくださると嬉しいです 人がいない感じもありますが、自分語り始めます
質問は答えられる範囲で答えます!
自分は自分の家の1番目の子として産まれた。その2年後、弟が産まれた。父と私、母と弟っていう組み合わせでいる事が多かった。それゆえ、私と弟、それぞれに親からの愛情の偏りがあった。自分が4歳だか5歳の時、家族全員が揃っている中、泣きながら母親に弟ばかりでなく私とも一緒にいて欲しい。と訴えたが、一緒にいるでしょと笑って諭された。納得出来なかったことはよく覚えているが、その後のことは記憶がない。 >>6
すみません!書き溜めているのでなるべく読みやすくなるように頑張ります!
小学生になった頃、当時父親しかスマホを持っていなかった。スマホに興味を持った私は父親に触れせて欲しいと言って、スマホをいじっていた。ひらがなやカタカナは読めたものの機能まではよくわからず、何の気なしにメールのマークをタップした。スクロールしているとハートの絵文字がたくさん入ったメールを見つけた。それを開くと、知らない女性が送り主の親しい内容の文章があった。内容はよく覚えていないけど明らかに知人の女性などとは違う関係性に思えた。
そのメールが何を意味しているか分からなかった私は、母親に日常の出来事の一つとして話した。話した途端母親の表情が変わり、いろんなことを聞かれた。 それから少し経ったある晴れた日の日曜の朝。母親は買い物に行っていた。私と弟と父親の三人だけの家。父親からリビングに来るように言われ、ソファに座る。落ち着いた口調で父親が、"お父さんとお母さんは離婚する"と言った。幼かった私は離婚が何かわからず、父親に聞いた。"離婚っていうのは、お父さんとお母さんが別々に暮らすこと。家族じゃなくなるってこと。"そう父親は言った。その時の自分が100%理解できていたかは定かではないが、それを聞いて泣き出したことを覚えている。泣いている途中、母親が帰ってきて、私を見るなりどうしたの?と言ったのを覚えている。そこからははっきりと覚えていない。 >>11
ありがとうございます!
自分でも長すぎると思うのですがこれでも削ったんです…まだまだあります、、 私の親権は父親が持ち、弟の親権は母親が持つことになっていて、それぞれがそれぞれと住むようだった。だが、自分は弟と一緒にいたかったから母親の元に行った。母親と弟は二人だけの空気感があり自分がアウェーなのは分かっていた。それでも一緒にいたかった。
ここから三人暮らしが始まった。始まった当初私は、4人がよかったと泣きながらご飯を食べていた。今でも涙味のご飯の味が忘れたいのに忘れられない。 学校での私は性格に棘があった。元は天真爛漫が似合う元気な子供だったが、離婚の一件から塞ぎ込むようになっていた。大好きだった父親に捨てられたような孤独感、三人家族の中では浮いている存在の自分。 心にあるものを全て友人に話せればよかったが、私が通っていた学校は父親の強い希望で有名私立校だったため、片親だとバレたらいじめられると思い言えなかった。最近人伝に聞いたが、仲が良い友人には父親への恨みつらみを話していたそうだ。本当の意味での友人がいない学校から戻ると居場所のない家。 その頃、弟は友達を殴ったりするなど問題行動が多かった。問題行動を起こすたび、学校に母親が呼ばれ、謝罪する。そんな事が割と頻繁に起きていた。 それと並行して母親は私の親権を父親から取り戻すべく調停を申し立てていた。職場では仕事ができる頼り甲斐がある女性だった。母親は昔CAをしていたため、語学力が高く、高身長の美人だった。それゆえなのかはわからないが、当時勤めていた企業の重役にセクハラを受けていた。 >>18
自分語り
聞いてくれたら
うれしいな
色々なことに同時並行で対応しなきゃいけない母親の体力や精神力はいつもギリギリだった。家ではいつも余裕がなくて、時々私たちに暴力を振るったり暴言を吐いたりしていた。その時の私には棘がある人に思えた。 本当に長くてごめんなさい!
家庭内の孤立を感じながらなんとか小学校を卒業し、エスカレーター式で中学に入った。
中学ではいわゆる外部生が加わり、環境の変化が苦手な私は苦労した。私はなるべく友達もどきと共に行動するように努めていた。 私立2人行かせつつは援助もあっただろうけど母すごいな >>21
私の母は本当に強い人です。母を褒められるのは自分のこと以上に嬉しいです!本当にありがとうございます☺︎ 中1の中間終わりだかに部活動に入った。
この時は行った部活は運動系。顧問の教師が体育系の科目を教えていない教師だったのが気になったが、小学生の頃から仲が良かった先輩がいた事が決め手だった。 >>22
一応毎日してます!!アドバイスありがとうございます! 中2の半ばくらいから部長になりたかった私は悪戦苦闘しながらリーダーシップを同期内でとっていた。メンバーとコミュニケーションを取る事を大切にしていたし、努めて明るい人間でいた。実力も同期内で上位にいた。 私の努力を周りの方々が認め始めてくれた頃、それをよく思わない、とある同期(aとする)がいた。aも部長になりたいと思っていたものの素行が悪く、周りからの評判はイマイチだった。私自身、アンガーマネジメントが苦手なその子が少し苦手だった。 >>27
そんな高尚なものではないです…
ただの私の昔話です… 中2の終わりあたり、部活内で一番仲が良かった友人が転校してしまい落ち込んでいた。そこからAの私に対する風当たりが強くなった。元々嫌がらせを受けていたが気にしないようにしていた。ダメージを受けているそぶりを見せるとAの意のままな気がしたから。 でも、普段なら受け流せる痛みも深い悲しみの中にいた私は受け流せなくなっていた。
そんな日が続くと毎日通っていた部活も辛く感じ、休みがちになっていた。 その頃家庭内で感じていた孤独感が自分の中でピークを保っていた。母親を同居している女性としか捉えられなくなっていた。
そんなある日、私はどうしても学校に行きたくなくて体調が良くない旨を伝え、母親に休みたいと言った。だが、休ませてもらえなかった。 ストレスは全て食に向き、どんどん体重が増えていった。家の中で心の疲労で動けずにいると、母親に、そんなんだから太るんだよと言われた。母親は他人の見た目に厳しい一面があるからそう言われても仕方がなかった。だけど自分のストレス解消方は食べる事だけ。 痩せるために軽い運動を生活に取り入れた。ストレス解消もしたかったため、たらふく食べて、吐くようになった。学校でのストレス、家庭内のストレスを食にぶつけ、文字通り吐き出す。苦しかったがあの頃の自分にはそれが最善だった。 中3になった頃、私は進路に迷っていた。高校もエスカレーター式で進学できるが正直嫌だった。それを母親に伝えると、難色を示された。当たり前だ。私は勉強が好きじゃないし受験の難しさを経験した事がない。そんな人間が一年足らずで高校受験に挑むのは無謀である。そんなの頭では分かっている。 この時学校での出来事を話せれば良かったのだが、母親への信頼はなかったため言えなかった。 "誰かに相談したい、誰かに助けて欲しい。"
自分から何も発信できないくせにそんな事を考えていた。
どうすれば気づいてもらえるのだろうか、と考えた時に、言葉が無理なら何か見えるもので助けを求めれば良いという結論に至った。 ここからの話は嫌悪感を持つ方もいらっしゃると思うので、ご無理はなさらないでください!
それがリストカットだった。最悪な手段だったが、その頃はそんな事全く思えなかった。それで自分の気持ちに気づいてもらえるならそれでいい、と。 刃物を持った右手を振り下ろすと、腕の痛みに気が向き、心の痛みが気にならなくなった感じがした。この感覚がタチの悪いものになった。 汚れた洗面台を掃除し、何事もなく母親の帰りを待つ。気づいてもらえればそれで良かった。結論から言うと、母親は気づかなかった。この時私ははっきり分かった。彼女は私に関心なんてないと。それが分かった私の心の痛みは増すばかりだった。 その日から時間を経ずに、2回目のリストカットをした。今度は気づいてもらえるかななんて思っていたと思う。やはり痛かったしこんな事をしなければいけない状況が虚しくて悲しくて仕方がなかった。 その夜帰宅した母親の近くに行くと、何その傷。リスカみたいと言われた。私は、そうだよ。リストカットだよ。と言った。その後のことは覚えていない。ただ緊張したのは覚えている。
傷のことを聞いた父親は泣いた。そんな彼を見て私の心は冷えた。 この出来事の前後に全く眠れていない自分がいることに気づき、自分で精神科を見つけて予約し、罹った。診断はうつ病と不眠症と摂食障害だった。その帰り道、泣いた。わんわんと泣いた。何かを責めたい気持ちだったけど、何を責めて良いのかわからずただ泣いていた。 最後まで読みたいけどもう出勤時間なので
まあ全部書いてちょっとでもすっきりしていけ その日の寝る前、母親に緊張しながら、病院に行った事、そして診断の結果を伝えた。それを聞いた母親は、うつ病なんて社会人がたくさんなってるよ。摂食障害はモデルがたくさんなってるから。と言った。少しは寄り添ってもらえるかななんて思っていた自分が愚かで仕方がなかった。 >>46
そう言ってくださり本当にありがとうございます。
心優しい46さんの今日が素敵な1日になることをお祈りしています。 そこからは学校には行かず家で過ごした。日中は誰もいないし、ただ生きていた。
月日は過ぎ去り、高校生になった。義務教育は終わったから学校に通わねばならない。
だが、もうこの家族と一緒にいるのは無理だと感じていたし、十分な心の休養を取りたくて学校を辞めたかった。
それを母親に伝えると学校側との話し合いになり、地方にある姉妹校への転校に話が着地した。 そして、寮生活が始まった。寮は学校が所有していて完全個室で、寮母(夫妻)が生徒を管理していた。環境の変化が苦手な私は転入当初クラスに馴染めず辛かった。
でも、それ以上に辛い思いをしてきたため何とか耐えられた。学校には毎日通い、段々とクラスに溶け込めていった。親友も出来て、クラスのリーダー的存在になれた。凄く楽しかったし素敵な思い出ばかり。 結論から言うと、高三の初めに辞めた。
理由は色んなことを同時並行していて疲弊しきっていたのと、明るい人間でいるためのストレス発散としてリストカットの回数がかなり増えたからだ。 >>52
むしろここまで読んでくださって本当にありがとうございます。お暇を弄んでいる時にまたきていただけると嬉しいです! そして、実家に戻ってきた。母親は以前とは別人のようになっていた。優しくて明るくて面白い、母親が本来持っていた性格が戻ってきたのだ。だが、私は母親の二面性が怖かった。
幼い頃から十何年見てきた攻撃的な人格、そして今目の前にいる朗らかな人格。二人の母親がいる気がしてならなかった。 戻ってきてからは通信制高校に通いながらバイトを沢山していた。恋愛もしたが自分には合わないことだけが分かった。
精神科医への通院(診断はうつ病から双極性障害に)も継続していたが、もうこの頃は生きているだけで不安や押し潰されそうな苦しさに日々襲われていた。 家族含め、人前ではいつもの私でいられたが、一人になると泣いたり、リストカットをしていた。回数を重ねるごとにどんどん傷は深くなっていった。リストカットだけじゃ気が紛れなくなっていき、薬物の過剰摂取や飲酒に走った。ただ苦しさから逃れたかった。 >>56
読んでくださってありがとうございます
別のことをしていました、、 それから精神科医への入院や救急搬送など様々なことがあったが割愛し、去年の4月頃からは落ち着いていたが、夏頃になるとふとした時に思い出したくないことがフラッシュバックするようになり、また苦しさに襲われるようになった。 通院は延命措置のようでその頃にはもうしなくなっていた。夏頃からは死を真剣に考えるようになった。今までも考えたことはあったが恐怖が勝っていた。 しかし、今はもう自分が自分であることが苦痛で仕方がない。忘れたい記憶なんか山ほどある。母親の妊娠と堕胎、母親からの"今更私があなたに謝って何になるの"と言う言葉、父親の浮気、そして浮気相手を妊娠させたこと、手首や腕の傷に負い目を感じながら生きている自分、幼い頃痴漢されたことから始まった酷い男性嫌悪、それと戦う自分。 辛いことと向き合うことはしんどくて
そこから目をそらすために違うことに逃げてしまうひとも多いんやけど
(リスカとか人格を作るとか平気なふりをするとか第三者にあたるとか)
あなたはいま精一杯向き合って
辛かったこと悲しかったことを言語化して吐き出してる
それは再生への第一歩とおもうの
ぼちぼちでいいよ 普通の家族で普通に育ちたかった。まともな父親と母性のある母親が欲しかった。みんなと学校を卒業したかった。もう少しだけ心が強い人間になりたかった。 >>62
温かい言葉をかけてくださってありがとうございます。
私のくだらない身の上話を聞いてくださって、尚且つ親身になってくださる方がいて、本当に嬉しいです。62さんも私も有限の時間の中でたくさん笑顔になれたらいいな 私は恐らく生とは反対に向かっています。それを咎めて欲しいわけではないんです。ただ聞いて欲しかったんです。本当は信頼している友人にこう言うことを話したかったんだけど、やっぱり言えそうにないんだ。だから聞いて欲しかった。長々とごめんね。読んでくれてありがとう。 これで以上です!
長々と書いてしまい申し訳ありませんでした…
読んでくださる方がいてとっても嬉しいです!
質問などがありましたら可能な範囲でお答えします! >>65
くだらない身の上話なんかじゃないよ
あなたが精一杯頑張って戦って生き抜いてきた人生の途中報告やよ
あなたのこれまで歩んできた人生の重みがとても深くこころに染みました
聞かせてくれてありがとう
まだまだ
あなたの未来はこのさきも続くと信じてるから
また気が向いたら
お話聞かせにVIPにきてね!!
待ってるよ 質問受付してくれるんね
じゃあ
いまは1人で暮らしてるの??
弟さんは悪くなってから更正した?? >>67
本当にありがとうございます。
暗いことしか頭に無かったのですが、少し気分が明るくなりました。未来なんてないと思っていたけど続けてみるのも悪くないって思えました、、
素敵なお人柄を持つ67さんのこれからが明るいものになりますように >>68
質問してくださってありがとうございます!
まだ実家暮らしです。
はい!弟の問題行動は無くなりました。
でも弟が今通っている学校を辞めると言い出しています…私が悪影響しているんだろうなと思い責任を感じています。 >>70
そうなんや。。
お母さんはとても弱いんやね
弱いから息子の苦しみと未だに向き合えないんやね
その苦しみを与えたのがじぶんであると認めるのが怖いんやね
強がるひとは弱いから
弱さを認めるとぽっきり折れてしまうから必死でじぶんを守ってるんやとおもうよ
それと逆にあなたは強いんね
というか強くないといけないって立場に追いやられてたのかな。。
なので辛いときに辛いといえなかった
親にも友達にもいえず
リスカでごまかしつつ
気づいてほしいってSOSをだし続けてたんかな
でも弱いお母さんはそれでも向き合えなかった
それであなたに限界がきて折れてしまったのかな
いま辛いことは辛いって
VIPであっても言えるのはあなたにとっていいこととおもうよ
強くなくていいよ
弟さんのことまでじぶんのせいにしなくていいよ
そんなお母さんやから弟さんにも何らか思うところがあるんやとおもうよ
学校やめたいとかはその辺が原因とおもうよ
お母さんが本当の意味で強くなって
あなたと向き合ってくれる日がきてほしいよ
ただぎゅーってして
あなたを大事に思ってるよ今までごめんなさいって言ってくれるだけで
だいぶあなたは救われるとおもうよ
このスレを読んだだけでの個人的な理解やから
勘違いならごめんね >>23
こう言えるのが主の強さというかすごさなんだなあて思った。
自分だったら同じ環境にいたとしてこう言えているか分からない、、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています