馬鹿「多様性を認めろと言うのなら"多様性を認めたくないという多様性"も認めろ!!」←
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多様性を認めたくないという多様性を認めたくない多様性も認めてください 誰かが解説してたな
多様性を認めたくないという多様性だけは潰さないと多様性を守れないって結論 権力を用いた迫害とか暴力的な加害行為を否定するならともかく
「多様性(特定の価値観)を否定する意志、個人レベルの拒絶」は認められてこその多様性だよな
自分たちが「世の中に溶け込むために自分を押し殺して無理をしていた」みたいな話をするのは好きなのに
他人がその立場になることには無頓着だよな 認めない多様性は変に聞こえるんだけど言語化できない 多様性を狭めることを容認したら主張と矛盾するじゃん (多様性を認めることに都合のいい)多様性を認めろ
ってことだから 寛容のパラドックス(paradox of tolerance)とは、カール・ポパーが1945年に発表したパラドックス(逆説)である。このパラドックスは、「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」と述べる。
ポパーは、「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」という一見矛盾した結論に達した。 差別する権利
攻撃する権利
嫌悪する権利
批判する権利
ここらへんをまずしっかり保証して欲しい 嫌悪感情や否定感情そのものを認めることと
それを理由にした行動に制限を設けることは別の話
これは好意からであってもストーカーが否定されるように
他者に害を為すこと、それ自体が問題視されるべきで
意見という範囲においては賛も否も横並びであるべき 実際には多様性を連呼してる連中は多様性を認めたくないから主張してるんだぞ 多様性を認めろって言ってる人も大抵
『○○(←主張している本人が入る)が誰にも嫌われることなく当たり前に存在する社会』を求めてるので
それは多様性とはいえないと思う 思想(嗜好)の自由と表現(実行)の自由はイコールではない
という認識が必要 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています