大晦日から元旦へかけて当然年が変わるわけだけど昔からこの間には何か良くないことが起こる入り口が出現すると言われている。
俺が小学生の頃、毎年母方の実家に帰っていたのだがじいさんから何度となく聞かせていた話だ。
小学生ながらにみんなで紅白歌合戦を見ながら何とか年明けまで頑張って起きていようとするのだが毎年眠気に負けてしまう。
じいさんは21時くらいになるといつも「子どもが年明けのタイミングで起きていてはいけない。連れていかれるよ」と酔いが回り赤い顔をしながら言ってきて、祖母から「そんなこといっちゃかわいそうだよ」と怒られていた。
小学五年生の大晦日。その年はじいさんが病気になっていて実家には母親だけが行き、俺と弟と父で過ごしていた。
父は忙しい人で大晦日だと言うのに夕方仕事が入ったからと出てしまった。俺も弟も二人で留守番するのは慣れていたので仕方ないなと思いながら父が用意していたったピザと寿司を食べながらだらだらと紅白歌合戦をみていた。
21時くらいになると弟は眠そうにしていたので母がいないことで少しぐずったが、なだめてベッドまで連れていって寝るまで付き合ってやった。
その日は疲れていて俺は不覚にも眠ってしまって、ハッと目を覚ますと11時45分を回った頃だった。
好きなアーティストがみれなかったなあと思いながらボーッとテレビをつけて、先程までつけていたNHKのゆく年くる年が流れていた。
こんな寒い中お参りなんてご苦労なことだと思っていたら、母の実家の神社が写し出された。
しかしおかしなことにその神社は小さな寺で、こんなところが紹介されるのかと目が冴えてしまったくらいだ。
案の定人出はほとんどなく、むしろその寺の人だけしかいないようで今思えば放送事故とも言える状態だった。
そんなところを見ながら寝っ転がると、ふとじいさんのあの時の言葉が思い浮かんできた。
「連れていかれるよ」
馬鹿馬鹿しいと思いながらも一度思い出してしまうとなんとも気味が悪いものだ。
父はまだ帰って来ず、弟を起こすのも忍びない。読み終えた漫画をパラパラとめくるが、時計の音が気になって仕方がなくなってしまった。
23時55分。こんなに遅くまで起きていたことははじめてだった。
うちは家が厳しかったので、小5だっていうのに遅くても22時には消灯されて眠りにつくように促されていた。
「連れていかれるよ」
打ち消そうとしてもその言葉が何度も耳の中で繰り返されているようだった。
テレビの中ではもう少しで年明けのような話をしている。鼓動が速くなる。
大丈夫。何も起こらない。必死で自分に言い聞かせる。
突然電気が消えた。
俺はパニックになりそうになったが、「タンタンタン」という足音が聞こえ、耳を澄ませた。
直感的に声を出してはダメだと感じ、目をつぶり呼吸を止めた。
俺の回りを足音が歩き回っている。何か異様なものが顔の近くまで来たとき、耐えきれずに目を開けようとした、と、リビングの電話がけたたましくなった。
同時に電気がつき泣きそうになりながらなぜか母からだと思い電話に飛び付く。
電話に出ると母が確認もせず話し始めた。
「お父さんが亡くなった」
緊張の糸が切れた俺がワンワン泣きはじめると母は電話に出たのが父だと思っていたようで、驚きながらなだめてくれた。
程無くして父が帰宅して、泣いている俺に謝りながら電話に代わり、俺を抱き締めながら母と電話していた。
あれから毎年大晦日にはじいさんの墓参りに行っている。俺が今も生きているのはじいさんが自分の命と引き換えに俺を助けてくれたのだと思っているからだ。