邪馬台国って本当にあったのか?
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単に卑弥呼が治めてるだけの大和朝廷の軍事拠点に過ぎなかったのを
中国が日本の国だと勘違いして勝手に卑弥呼を邪馬台国の王だと判断したという説もあるみたいだけど 史料的・考古学的な根拠のない妄想は説とは言わないよ 大和朝廷と邪馬台国は別の国
邪馬、狗奴、隼人、熊襲、大蛇、土蜘蛛とか
動物の蔑称で呼ぶのは九州地方の部族国の特長
邪馬台国は他の部族国との抗争で、後ろ盾が欲しくて晋の始皇帝に隷属して倭王に任命された
当時の中国において“王”ってのは皇帝の下の位
大統領の下の州知事みたいなポジションだった 中国は他国を下に見ててわざと悪い意味の漢字をあてて記す文化があったじゃん >>10
なんで小国に大国が負けたの
中国も居るのに 女王が統治するようになって何代目かが山門の田油津媛で
神功皇后(大和朝廷)に征服されたんじゃね? 大和朝廷の前身に当たるのが邪馬台国で卑弥呼天皇家説もあるけど
どうなんだろうかね 邪馬台国の時代に畿内に大きな勢力があったのは解ってる
それが邪馬台国ならそのまま邪馬台国が大和王権になったんだろうし
邪馬台国とは別ならその勢力に邪馬台国は滅ぼされたか吸収されたかのどちらか
ただそれだけの事 >>11
邪馬“台国”で大国じゃないんだよ(´・ω・`)
そもそも強国だったら、後ろ盾を得る為に中国に自ら隷属したりしない >>16
中国は邪馬台国を日本列島随一の大国であると認めてたようだけど >>17
言うて中国の役人だぜ?
日本に渡ってきたかも怪しくね?
…朝鮮に留まって周囲の噂だけ集めてカラ出張していた可能性も… >>17
どちらもハッタリなんだよ(´・ω・`)
邪馬台国側からすれば隷属するのに「私達は倭国を治める大国です」とハッタリかますし
中国からすれば「我が国を恐れて倭国が隷属してきた」と喧伝できれば示威に繋がるし 情報も殆ど無い時代に「倭国で1番大きな国です」って自称する奴が来たら信じるだろ
その地域で1番の国が朝貢に来たって宣伝もするわ
魏の使者は日本列島にまでは来てないって言われてるしな
相手が言った事が全てだよ 邪馬台国は日本じゃなく南米にあったと言ってる人もいる 宮崎県阿波岐原出身の初代天皇家が近畿を制するまでは二代ともたない小国が乱立していた
邪馬台国とは時代が違う話ですまぬが >>20
邪馬台国の人間が100枚の銅鏡を船に積んで中国から日本に帰ってきたと? >>26
邪馬台国は中国に貢ぎ物を持って隷属しに行ってるけど… 九州から東へ拡大して大陸から離れたとこへ遷都したってのが一番矛盾しない 親魏倭王の金印って、王の印章でしょ?
皇帝が玉璽を使うように、その配下の王の印章を下賜された
中国では皇帝の下に、楚王、漢王、韓王、燕王とか地方別に王が居たから
邪馬台国は倭地方の王に任命された
倭国を良く知らない中国に >>28
貢ぎ物を中国に持って行って隷属したら
そのお返しに金印と道鏡を貰っただけでしょ? >>29
それだと素戔嗚尊の神話と矛盾する(´・ω・`) 金印は重要な国に与えたからな
朝鮮は銅印までしか貰ってないから
倭国より2ランク下と見られてた >>34
国譲りの神話ね
大国主命は素戔嗚尊の子孫 >>33
馬韓、辰韓、弁韓と小国に分裂してたからね >>25
投馬国=宮崎県西都市妻
…ってのを信じている
西都原古墳群造った勢力がいたワケだし あんなカッコして中国の都会に行くのって恥ずかしくないのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています