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芥川龍之介 地獄
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2024/03/06(水) 23:40:21.448ID:zw2qnVOY0
地獄



人生は地獄よりも地獄的である。

地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。
しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外楽楽と食い得ることもあるのである。

のみならず楽楽と食い得た後さえ、腸加太児ちょうカタルの起こることもあると同時に、又存外楽楽と消化し得ることもあるのである。こう云う無法則の世界に順応するのは何びとにも容易に出来るものではない。

もし地獄に落ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯も掠め得るであろう。況や針の山や血の池などは二三年其処に住み慣れさえすれば格別跋渉の苦しみを感じないようになってしまう筈である。



芥川龍之介『侏儒の言葉』
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2024/03/06(水) 23:41:56.842ID:zw2qnVOY0
パンがあるから食べたくなるのだ。

パンを食べられるかもしれないという気持ちが、余計に空腹の苦しみを増幅させる。

逆にどう足掻いても絶対に空腹を満たすことができないという状況であれば、空腹であっても諦めがつき、心が平穏になる。

みんなそろって飢餓であれば、それは当たり前となってしまう。



絶望の渦中にいても、もっと良い状態を知らなければ、その状況は絶望ではなくなるのではないか。

希望を常に見せられるということは、自分の絶望的状況を常に意識させられるのに通じる。



最初から地獄の針の山の上に生まれて、他の場所を知らずに生きれば、針の山もまた苦しいものではなく、当たり前のものになってしまう。

希望があるから、この世は地獄的なのだ。
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