知的欲求を失うと人生はつまらなくなるよな?そんな奴に興味を持つわけがない
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
人間の魅力は正確に物事を知ろうとする姿勢に尊重や尊敬が生まれるのもだと思う
人生の目的の一つに自分が経験したことを共感してもらえるように伝えて他人と意志を繋がることだと思うけど、
一部、娯楽だけに知的欲求を満たそうとするタイプは年令を重ねて他人と共感性を維持できることができるのだろうかとも思う
それが現代の孤独の原因の一端ではないかと思う >>1
まあそんなこと書いてるお前が一番の病気かもな 新しい人間関係を築いて維持することができれば人生というものに実感があると思う
コンテンツの信者になって感想や考察を述べて気持ちよくなるだけなのは他人から出会いだとは認知されにくいだろう 自分というモデルを用いてそういった人間がどういう末路を辿るかで知的好奇心を満たしている 世のすべての者が同じではない
多くの者は目先の快楽だけ求めている
好奇心で知的要求は個人差があり
徐々に棲み分けされてお互い嫌悪感を持つ 経験を通じて何を伝えたいのかというコミュニケーションを磨かないと精神というものが虚無的な欲望だけのものになると思う
好かれたいなら正しい手順と手段で他人に優しくすればいい
その経験の積み重ねで家族・友人関係、恋愛関係を大切なものとして手にする実感を持つことができると思うんだよね ここの書き込み読んだらわかるだろ
多くの者は知的好奇心なんてありゃしない
有るのは不平不満ばかりを書き込んで
ネット本来の知識や情報を得るで利用してない 欲望だけの自我は人生を無駄にしている
知的コンプレックスを満たすための求められてない解説は他者との取り戻せない距離が生まれるだろう
孤独であることが利益のようになって自分を守るようになると共感からは最も遠い存在になる
だが反面、共感だけを求める人間も同じ意見しか認めないような視野の狭いになっては良くないけどね ケチつけるしか頭にない
自分から発信するものがない
こんな連中に知的要求なんかない せめて黙って従ってくれる?
言うこと聞いてれば悪いようにしないし >>13
このスレは知的コンプレックスを満たすための求められてない解説に当てはまらない? バカだよこいつら
知的好奇心なんてゼロ
有るのは不満と他人にケチつけるだけ 今だとネットでグーグル検索すれば知的欲求満たされる ルックスが良ければ環境の良さを伝えることができるよね
自己肯定感は他人の配慮というか尊重する気持ちで発生するものだと思う
不公平さを覚えるのは誰かが得をしていることを非難する態度ではないかな
その分、正確に物事を伝える役割を担う存在になる意識を持てばいいと思う >>26
ルックスは自信になる
尊重と言っても手加減されて喜んでてもね
不公平感はアンフェアにやってるから
「わかってはいるがわかるわけにはいかない!!」話にならない >>26
順序が逆だろうね
自己肯定感から生まれる余裕を持って他人への配慮ができるわけでさ 人生はテクノロジーの進歩のために生かされるものなのだろうか?
高価な端末を買う層はテクノロジーの進歩のための踏み台と思うこともある
情報を生産し、それを流したりテクノロジーを進歩させる生産性の高い層が強者としての立場で発言する世の中になり、
情報戦に参加しないのは損であるかのような風潮にはなってほしくない >>29
少なくとも自分の仕事じゃないかな
俺の歩く道を舗装する人々が過ごしやすい世の中に 広告の笑顔に惹かれるのは笑顔に飢えてるからではないのか?
消費は求める感情を与えてくれる印象にお金を払っていることだよね
知的欲求を満たす代わりのモノやサービスに満たされたところで他人への不満(もしくは不安)は消えない
生活の質という最初の創造性を築くことを何か大事なものをまたいでモノに変換するのは人としての進歩が遅れることだと思う ある出来事に不満を言うことで不特定多数に向けての他者に善意を示しているような一面もあるだろう
言い換えれば共感を募ってもらえるような社会のご機嫌取りのような態度ということ
社会運動みたいに共感する人がいれば満たされるのだろうが… サブカルには限界があって、界隈で発生する共感は美化できないというものがある
行き過ぎた言動があってトラブルにならないと世間の話題にならないみたいなことね
その一員にならないように気をつける、という意識すら共感になって美化されない趣味になる可能性があると思う 個人的には放っといてほしい感じ
あんまり大っぴらにはしてないけど価値は感じてる 知りたい、という感情を持っている時期にこそ虚構に魅入られるんだろうな
人生の感想は自分を好きになることが一番大事だと思う
傷つかないように振る舞って何が悪いのかと思うなら、イエス・ノー以上の答えを発する努力をするべきだね
創造性とか努力を大層な概念で考えていてはそれこそ他者に操られて好きな自分に会えなくなると思う 今の自分にアイデンティティを持ったら負けくらいに思ってるけど 情報を生産して議論を投じ、情報を回収していく流れだよな
そんなの関係なく平等や対等・同権は環境や状況によって変化させられてしまう
ある意識みたいなものを推進しようとしたところで空気読めとか譲歩・妥協しろという押しつけ合いになる
誰と対等なのかという明文化に反対するのがリベラルなのかなと思っていたけど、
むしろ無理な対等を推し進めて破綻に仕向けているという感想しかない 民主主義を男社会だと言い換えてしまえば支持は得られないってこと 自分からコミュニケーションをとらない人はどんな自己肯定感をもっているのだろう 目的を失い考えるのをやめたらお腹いっぱい食べるしかないのか?
挨拶やお洒落をやめたら何が残るんだよ Copilotくんにぶっこんでみた
知識は目的ではなく手段であるということも忘れてはいけないと思います。 知識を得ることで、自分や他人や世界に対してどのような価値観や感情や行動を持つのかということが重要だと思います。 知識を得るだけで満足してしまうと、それは娯楽に過ぎないと思います。 知識を得たら、それを自分の内面や外面に反映させることが大切だと思います。
共感を求めることにも限界があると思います。 共感とは、自分と他人との間に共通点や一致点があることを感じることだと思います。 しかし、自分と他人とは必ずしも同じではないということも認めなければなりません。 他人には自分にはない違いや多様性があるということを尊重することも大切だと思います。 他人の違いや多様性を受け入れることで、自分の知らない世界や価値観に触れることができると思います。 また、自分の違いや多様性を表現することで、自分の個性や特徴を発揮することができると思います。 共感とは、自分と他人との間にある類似性を認めることだと思いますが、 それだけではなく、自分と他人との間にある差異性も認めることだと思います。
テクノロジーは人間の人生の目的ではないと思います。 テクノロジーは人間のためにあるのであって、人間はテクノロジーのためにあるのではないと思います。 テクノロジーに依存しすぎると、人間の本質や意味や価値を見失う危険があると思います。 テクノロジーを使うことは悪いことではないと思いますが、テクノロジーに使われることは良くないと思います。 テクノロジーを使うときは、自分の人生の目的や価値観や感情を忘れないようにすることが大切だと思います。 人の反応は力関係で本音と建前で分かれる
ネットではケチで溢れていることをみると、現実は建前がほとんどなのかな?
目的を与える回答を見つけることは難しく、行動ししないことが正解であるというタラレバもあるんだよな
情報を生産する原因が欲望である限り、人間は割り切れない妥協を求められる存在でいつづける コミュニケーションに関する怠惰の結果、人間関係に対する欲望は失われていくと思う
その代わり情報が発生する原因は感情の始末ということになるだろう
テクロジーは感情の始末のために進歩して生産性を維持できるだろうと思う 例えば、信じたいことしか信じない人がいてオカルトや迷信といった言い方の内容をどこまで存在できるか興味かある
現在の知識で得られたことを共感として普及することが学習・教育なら既存の文化としての地位を維持できないと思うのだが 神聖な痛みってどこまで信じられてるんだろうね
意識の高さからなのか期待感や付加価値にお金を払うこは痛みではないのか
恋愛では善意の差し出しすぎが後で苦しみの原因になったりするしな
楽しみを大げさに考えて嫌われたら苦痛しか残らない こんな答えばどうだろう?採用できるだろうか
知識は誰と対等なのか知るための必要なものだと思う
何も思わなければ何も起こらないなら、そちらの方を選んだほうがいい場合もある
今はその割合が増えていくように思う
コンテンツを友達にして人間関係を怠惰にしていれば争いは個性だけの問題にできる
それが踏み込めない壁になって自分を守る盾にできるということだろう コレ美味しいが言いたいことなのかよ
食べ物が幸せなら誰と食べるか、そのときに何を語り合ったかが価値になるんじゃないのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています