江戸に住んでた庶民は普段食べるお魚といったら川魚のことだったんだぜ
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江戸の町を網の目のように流れる用水路にはどこも淡水魚がうじゃうじゃいたそうな
当時はゴミなんてみんな有機物だし、死体もゴミも全部用水路に捨てるから魚の餌の宝庫だったわけだね だから江戸時代も中期になると庶民の趣味はもっぱら用水路での釣りだったそうな
んでどこにでも「揚屋さん」がウロウロしててな、釣った魚の腸を取って揚げてくれる。もしくは普通に焼いて食う 特にハゼの揚げ物が好まれ、そういう魚のタンパク質と安価の蕎麦粉練ったもの食ってるとさ、案外サボってる旗本も町民も夜鷹すらも食事事情だけは良かったそうな あれは実は売られた遊女や丁稚奉公の子供、そして武家の奥方とか娘に流行った栄養不足だったらしい >>12
ビタミンが足りないんだよ
魚生でくえば良かった つまり川に行って趣味の釣りができない奴らがさ
芋 蕎麦粉 鮒 ハゼ など無料に近い食材にありつけなかったわけだね 特に遊女や貧しい武家の女は古米と漬物だけの食事とかが多かった
しかも抜きも多かった 一日中糸垂らしてるようなニートの方が豊かな食生活だったと >>10
江戸時代の時期にも寄るけど、室内での揚物って禁止だろ 逆に言うと庶民のほとんどの老若男女が釣りに明け暮れてたなんて文献もあり、あとは道端でなる大豆もよく庶民の口に入った 資源量的に川魚を常食するのは無理そうなもんだがハゼのような汽水域にいるやつならワンチャンありそうだな >>21マジレス?
でも揚げ屋さんは油鍋担いで河川敷とかウロウロしてる人たちな コピペ
目の前に広がる内湾の江戸湾は利根川水系の大河が運ぶ土砂で大小の洲が発達し、多くの魚介類を育み、沿岸部には水運用の掘割(ほりわり)や人工の水路網が発達して、釣りには申し分のない環境でした。
さらに、江戸には暇な侍が多くいました。幕府も各藩も、戦国時代の軍事体制をそのまま平和な時代に移行させたので、余剰人員が出たのです。江戸中期には旗本、御家人の約4割が、城の改修工事くらいしか仕事のない小普請組(こぶしんぐみ)や寄合組(よりあいぐみ)に属していました。時間に余裕があって目の前が絶好の環境となれば、武士の間で釣りが盛んになったのも不思議ではありません。
江戸時代に釣りが発達したもう一つの重要な理由は、魚に警戒心を抱かせない半透明な釣り糸「テグス」の普及です。テグスの原料は中国に生息するテグスサンという蛾の幼虫。体内の絹糸腺(けんしせん)を抜き出し、酢に~ >>28
その位は常識だけど、身分高い侍や役職のある侍はどうしてたの?
家僕に釣りに行かせてたの? テグス作りはグロ
でっかいイモムシを手で千切ってってするんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています