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温厚な祖父「牟田口廉也だけは許せない!」言うほど牟田口だけ悪いか?
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2023/10/01(日) 22:03:08.865ID:2MRg8Vxa0
太平洋戦争の緒戦において日本軍はなぜビルマを攻略したのか?

ビルマ中部のエナンジョンで、油田を占拠中の第33師団の兵士。
日本が戦争に踏み切った最大の理由は、石油輸入相手のアメリカが、日本向けの石油輸出をストップしたから。
そのため油田確保は、至上命令だった。

後世まで最悪の作戦、地獄の戦場と語り継がれるインパール作戦は、多くの日本軍将兵が無駄死にしたことで知られている。
ここでは、作戦に参加したひとりの兵士が残した記録を手がかりに、もう一度、戦いの全貌を振り返ってみたい。

「牟田口廉也(むたぐちれんや)だけは許せない!」

 普段はとても温厚な祖父だったが、話がビルマ(現ミャンマー)戦線やインパール作戦のことに及ぶと、
驚くほど語気を強め、こう語ったことを思い出す。

 こんな話を聞かせてくれたのは、仕事でつき合いのある山本陽一(仮名)さん。
すでに故人となってしまったが、陽一さんの祖父・正一郎(仮名)さんは、戦時中にビルマ方面に出征していたのだという。

正一郎さんは昭和14年(1939)12月1日、補充兵役として編入されるも一旦は除隊。
しかし昭和16年(1941)12月3日、近衛輜重兵(しちょうへい)連隊補充隊に再び応召された。
同日付で独立自動車第101大隊第3中隊に編入される。

 間もなく日本はアメリカ、イギリスと戦闘状態に入った(オランダに対する宣戦布告は少し後であった)。
正一郎さんは12月23日、広島の宇品港を出港。同日、部隊は第15軍隷下(れいか)となった。
そして昭和17年(1942)1月13日にバンコクの港に入港する。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f715a09bd892dd19205533fe224551f7dd3ead0b
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2023/10/01(日) 22:05:00.591ID:SCXLSIP10
紅林麻雄は?
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