【悲報】大日本帝国臣民の徴兵逃れが凄い=͟͟͞͞( ๑`・ω・´)逃。
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まずは合法的な手段。
1873年(明治6年)に徴兵令が陸軍省から発布されてからしばらくは、お金さえ払えば徴兵を逃れることができました。
お金で解決できなくなると、次は養子制度を使った方法が活用されるようになります。
当時、一家の長男は徴兵されない特例がありました。
これらとは異なり、後年まで長く活用されたのが学生の身分を使った徴兵忌避策です。
徴兵令では、中学校卒業後、当時の文部省が指定する高校や大学、専門学校に進学している場合、26歳まで徴兵されないことになっていました。
全員が徴兵忌避を意図していたわけではありませんが、1931年(昭和6年)に学生のために徴兵猶予となった人数は約8万人、1934年(昭和9年)には約9万人に達し、最多を記録しています。
「夜逃げする」「失踪する」というのは、もっともシンプルな徴兵忌避方法でした。
しかし、行方不明者になることで徴兵を避けることはできるのですが、社会生活を送るには多大な制約を受けることにもなります。
それでもなお失踪する人は跡を絶たず、徴兵検査の対象者のうち約2000人が毎年行方不明になっています。
後年、都市部への空襲が激しくなると、「空襲によって行方不明になった」ことにして、徴兵を避ける方法も激増しました。
「わざと罪を犯して刑務所に入る」というウルトラCを使った忌避方法も使われました。
徴兵令では「6年以上の懲役、禁錮を受けたものは徴兵しない」と定められていました。この方法を選んだ人の決意からは、それなりに重い罪を犯してでも戦地には行きたくないという思いが伝わります。本人は罪を犯すにあたって、大きな葛藤を抱えていたのは想像に難くありません。
「醤油を飲んで一時的に心臓障害を起こす」といったような自傷行為も頻発したことは広く知られています。
そのほかにも目を突く、手足を切る、骨を折る、精神病を装うといった方法のほか、急激に体重を落とすといった手法(?)も編み出されました。
なんとしても徴兵を避けたいという思いは、太平洋戦争が始まる前から多くの日本人が抱えていました。
そのことがわかる発言が、1918年(大正7年)の帝国議会の議事録に残っています。
当時の文部次官、田所美治の発言です。
「日本人の身長も体重も毎年増している。男女を通じて過去10年間、ほとんど例外なしに増加している。にもかかわらず、徴兵検査の結果を見ると、真逆の数値が出る。これは詳しく調査する必要がある」(意訳)
大正時代、徴兵検査の結果を見ると被験者の体重が毎年約70グラムずつ落ちています。つまり田所は「徴兵検査を受ける者が、何らかの不正をして体重などをごまかしている可能性が高い」と指摘しているわけです。
お上が決めた決まりでもイヤなものはイヤだ。
戦前の日本人はどこか勇ましい印象がありますが、戦争に行きたくないという人たちも、当然いたということでしょう。
そして、その本音のほうが健全な精神であるというように思うのですが、いかがでしょうか。
https://say-g.com/topics/2466 つぎに合法的な手段。
1873年(明治6年)に徴兵令が陸軍省から発布されてからしばらくは、お金さえ払えば徴兵を逃れることができました。
お金で解決できなくなると、次は養子制度を使った方法が活用されるようになります。
当時、一家の長男は徴兵されない特例がありました。
これらとは異なり、後年まで長く活用されたのが学生の身分を使った徴兵忌避策です。
徴兵令では、中学校卒業後、当時の文部省が指定する高校や大学、専門学校に進学している場合、26歳まで徴兵されないことになっていました。
全員が徴兵忌避を意図していたわけではありませんが、1931年(昭和6年)に学生のために徴兵猶予となった人数は約8万人、1934年(昭和9年)には約9万人に達し、最多を記録しています。
「夜逃げする」「失踪する」というのは、もっともシンプルな徴兵忌避方法でした。
しかし、行方不明者になることで徴兵を避けることはできるのですが、社会生活を送るには多大な制約を受けることにもなります。
それでもなお失踪する人は跡を絶たず、徴兵検査の対象者のうち約2000人が毎年行方不明になっています。
後年、都市部への空襲が激しくなると、「空襲によって行方不明になった」ことにして、徴兵を避ける方法も激増しました。
「わざと罪を犯して刑務所に入る」というウルトラCを使った忌避方法も使われました。
徴兵令では「6年以上の懲役、禁錮を受けたものは徴兵しない」と定められていました。この方法を選んだ人の決意からは、それなりに重い罪を犯してでも戦地には行きたくないという思いが伝わります。本人は罪を犯すにあたって、大きな葛藤を抱えていたのは想像に難くありません。
「醤油を飲んで一時的に心臓障害を起こす」といったような自傷行為も頻発したことは広く知られています。
そのほかにも目を突く、手足を切る、骨を折る、精神病を装うといった方法のほか、急激に体重を落とすといった手法(?)も編み出されました。
なんとしても徴兵を避けたいという思いは、太平洋戦争が始まる前から多くの日本人が抱えていました。
そのことがわかる発言が、1918年(大正7年)の帝国議会の議事録に残っています。
当時の文部次官、田所美治の発言です。
「日本人の身長も体重も毎年増している。男女を通じて過去10年間、ほとんど例外なしに増加している。にもかかわらず、徴兵検査の結果を見ると、真逆の数値が出る。これは詳しく調査する必要がある」(意訳)
大正時代、徴兵検査の結果を見ると被験者の体重が毎年約70グラムずつ落ちています。つまり田所は「徴兵検査を受ける者が、何らかの不正をして体重などをごまかしている可能性が高い」と指摘しているわけです。
お上が決めた決まりでもイヤなものはイヤだ。
戦前の日本人はどこか勇ましい印象がありますが、戦争に行きたくないという人たちも、当然いたということでしょう。
そして、その本音のほうが健全な精神であるというように思うのですが、いかがでしょうか。 磯野家の謎だったか何だか忘れたが考察本で
マスオは醤油を飲んで徴兵を免れたんじゃないか
とかいう妄想全開のこと書いてあったのを覚えてる >>3
マスオ大卒だろ徴兵猶予の対象じゃないのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています