戦国時代に「兵站」って概念はあったの?
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戦国小町では兵站の概念を持ち込んだJKがもてはやされてる
一方でキングダムではそれより2000年前に普通に存在してた 上杉謙信「うち日本海側だけど、今度太平洋側の小田原攻めまーす」
みたいなのが確かあったと思うんだが
道中、山あり谷ありで平坦でもないし長い距離なのに兵站どうなってたんだと疑問に思ってる
知ってる人おる? 載ってたみたい
https://main-omega.ssl-lolipop.jp/book/sonshi_strategy.htm
〈兵站こそ生命線〉
巧みに軍を運用する者は、民衆に二度も軍役を課したりせず、食糧を三度も前線に補給したりはしない。戦費は国内で調達するが、食糧は敵に求める。このようにするから、兵糧も十分まかなえるのである。 >>24
俺はよくわからん
この漫画では継続的に兵糧物資を運ぶ拠点というものが今まではなかったみたいに言ってる 石山本願寺に毛利が兵糧を定期的に入れていたとかあるか普通にあったんじゃないの
小田原征伐もそうだよね? >>16
普通に運んでたのね
道中の補給もあるとはいえ
運ぶ人員も飯を食うのによく日本海側からなんとかなったなすげえわ 「兵糧攻め」って攻め方が普通にあるのに兵站の概念無いわけないだろ 農兵が主なんだからぐだぐだ戦ってると自分とこの食糧が危なくなるんだから攻める方は程よいとこで切り上げなきゃならんし 孫氏は兵站を自国からつなぐのクソ大変で国が貧しくなってしまいます。なので、食料は敵から奪いましょう!とか言い出すので >>31
城塞都市が誕生した8000年前にはありそう >>31
秀吉とか光秀とかがやったより前に兵糧攻めって日本にあった? >>27
小荷駄は兵站にあたる
兵站て言葉自体ないからこれで成り立つんだろうけど
この時期って継戦能力上げても農家は畑見に帰っちゃうのでは 例えば楚韓戦争で漢の簫何は関中から前線に食料と兵士を送り続けてた
紀元前からそういう概念があった
戦国時代の武将は史記は必須科目みたいなものだったからそういう概念を知ってたはず そもそも小荷駄隊が兵站という話を置いておくにしても中の人間が飢えるまで延々と城包囲してたくらいだから継続的に兵糧運ぶシステムはあっただろう 水攻めや兵糧攻めは現地調達できそう
野戦メインだと厳しい 支配領域外に継続的に物資を運ぶには経路上の
諸大名から借用もしくは黙っていてもらう等して
補給拠点作り 秀吉やった兵糧攻めは兵站じゃなくて現地の米を買い占めることで成立した >>27
一度に行動できる許容量の話ではないのか? >>17
孫子も時代遅れなところあるよな
「食糧は敵に求める」って要するに食糧を敵地で現地調達しようって意味だよな
現代戦ではあり得んよな 戦に出るようになってからつまんなくなった
もともとそんなに面白いのでもなかったけど 戦国小町とかいうのが有名な兵法書かなんかだと思ったらよくわかんないマンガでワロタ 刀狩り以前の農民兵は簡素な鎧に攻撃力ありそうな手持ちの武器、腰に1〜2日分の自分の食糧を持参した
軍に帯同すれば飯が食えて勝ったら乱妨取りができるボーナス目当て
そいつらに食わせる飯を元請けが容易しない訳にはいかない 農業JKの癖にこいつプラスチック爆弾まで作り出してたぞ >>56
出兵前に渡しておしまいなんじゃない?
それを常に配給出来るように補給部隊を帯同させるってことだと思う 現地調達といえば
現地で牛やら羊を徴発して荷物運びに使って、あとで食えば一石二鳥とか考えてた軍隊がありましてね >>15
孫子の兵法全文読んだ事無いから知らんけど孫子と呼ばれる人物は2人居て、
1人は孫子の兵法を書いた本人として有名な孫武、もう1人はその子孫(曾孫だと言われている)孫臏。
この孫臏は兵の食事跡を上手く利用して学生時代からライバルだった敵将・龐涓を討ち取っている。 >>23
コイツには食料生産と言う概念が存在しないんだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています