江戸時代の薩摩と陸奥の人間って会話できてたの?
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通訳がいたみたいです
徳川が京都に出た時には茶屋四郎次郎という商人が「京都ガイドブック」を作ったそう 明治天皇が薩摩に行ったら熱心に話してくれるが何を話してるか解らなかったと書いてる
それで関東弁を標準語として全国に普及させたとさ 教養として「侍言葉」は覚えてたみたいよ?
「拙者◯◯でござる」みたいな話し方 薩摩はスパイ侵入防止のために
わざと言葉をややこしくしたって話がある >>6
いわゆる「標準語」が出来たのも
実は地方を征服するものではなく 単に江戸弁が「攻撃的」だったせいと聞いた
薩摩の藩士が許容できることを「太か」というのが
江戸弁では「太ぇやつ」とネガティブに取られたそうな >>6
関東弁とも違うぞ
武士や上流階級や旅行用の言葉なんかを参考に作った造語
因みに上方も大正くらいまでの庶民は現在のカンサイ弁と離れた上方落語と岡山や広島弁の折衷みたいな言葉で喋ってた
半島言葉が入ってクドくなった >>9
べらんめえ口調はまだ下町の爺に一定いるけど
基本的に喧嘩売りまくりにしか聞こえんww >>11
標準語「そうですか、昔は大変だったでしょう」
江戸弁「そうかい、知らねぇがそういう時代じゃしかたねぇな」
火事と喧嘩は江戸の華っていう言葉はありますが
現代の感覚からして「江戸弁は乱暴」だと思います >>13
字面で見ると落語だけど
べらんめえ口調の爺さんとか常に半ギレ気味に1.3倍速くらいで怒鳴り散らすから結構始末が悪い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています