事実ベースでまともなコミュニケーションを取れる場所って皆無だよな
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例えば俺が「○○ができます」って言うとするだろ?
それを言葉通りに解釈しリアクションするだけのことが安定して保たれている場所がどこにもないということだよ 例えばここだと「そんなの大したことない」「○○に比べたら下手糞」とかそういう聞いてもない煽りが飛んでくる
逆にリアルでも「あなたは何ができますか?」と聞かれたときに「イキってると思われたくない」とか
「できるって言って恥をかきたくない」とかそういう思考で謙遜して過少報告したりするのがデフォ
そういう事実誤認を誘発する要素が溢れすぎて多大なる損失を生んでいる
それが解消されたコミュニケーションの場は無い 事実をベースにしたらコミュニケーションが成立しないのは当たり前の話
事実は鋭い刃だから事実同士をぶつけたらやるかやられるかの二択になってしまう
コミュニケーションをとるには虚構やフィクションといった緩衝材が絶対に必要 「○○ができます」とな何かについて厳密な定義が可能であろうか? 試しに俺が管理している環境で、管理下にある人に
上のような要素を排除して事実を正確に相手に伝えることだけを考えてコミュニケーションをとるように要請した
すると長年染み付いた癖が抜けきっていないにもかかわらず目に見えて生産性が向上した 自分が何を事実だと考えているかを伝達するのがコミュニケーションがあるべき姿だとな? >>5
それを刃と感じるのがもう事実の曲解だ
感想にすぎんからな
できるといったが出来なかった、それに対して「できなかったね」というリアクションが返ってきた
それは別に屈辱を与えようと攻撃を加えられたわけではない、事実を誤認していたという誰しもあり得る事象が起こったという事実があっただけであって
それをできることで何かを達成することが目標なら別のプランに移行すればいいだけ >>8
広くコミュニケーションのあるべき姿であると俺が一般化していると解釈するのは君の誤解
少なくとも取るべき選択肢の一つとして数えられる価値があるもの
方面的には機能集団において優れた結果をもたらす場合があるものだ 逆に聞くがそのような相手の気持ちを慮るコミュニケーションは常に有効か?
そうでもないでしょ
深刻な害を生んでいる場合も多々ある
であるにもかかわらず事実ベースのコミュニケーションの場は皆無だ 例えば「一度自分がAIになったつもりでやってみましょ」ってこと
これが有効な場合が多々ある
AIが有効な場合があるのと一緒
釘さすけどAIの細かい定義の話はしていないからな 必ず事実(つまりは正解)だけを積み重ねなければならないということを言っているわけではない
事実の誤認なんて起こるべくして起こる
それに余計な要素を付け足さず「事実の誤認が起こった」というフラットな認識を共有してその場合における最適解を都度検討すればいいっていう話 つまり何話すにもマウントの取り合いみたいになりがちだよねみたいな話か? 不思議なのは、このやり方を採用するのにとんでもなく強い抵抗を示されることが多いこと
別にあなたの今までの人生を全否定してこれからすべてそのやり方に捧げてくださいとか言っているわけではないのに
選択肢に上がることさえ嫌がるし「事実ベース」って言葉を使いたがるやつでさえ
実際には全くそういう方向で物事を判断しようとしない >>14
そういうのもそうだね
相手の心情を邪推してコントロールするために余計な要素を付与するのが通常
邪推と言っても傾向的におおむね当たってたりするのが性質が悪い まあ例えば仕事で何か報告する時に、どうしても自分を守るような言い方になりがちなのはある
それで曲解して伝えちゃったりとか
人間自分が可愛いものだしな 俺が試した環境では相手の言い訳に手を焼いた
俺が相手に言い訳をやめさせようとするのを
どうしても「上司が言い訳をすることに対して怒っている」と誤解する
そうでなくて、起こってしまったことに対して取るべき行動に必要な要素だけを端的に説明してほしいから
それ以外の要素を排除してほしいと言っているだけなのに >>17
そうそう、困るんだよそれ
「今すぐ行動して自分の手でリカバーする姿勢」をこちらに示そうとしたり
それが必要ないというと「見放された」という印象を勝手に受けたり
わざわざそういうのはよしてくれって明言してるのにそうとしかならないというのは
そういうコミュニケーションに浸りきってるんだろうね
マシになるのに年単位でかかったしいまだに改善され切ってない
というか全然目標の水準に届いてない
まあおれのアイデア不足も原因だろう
事実ベースのコミュニケーションを要請するのに事実ベースでない方便がおそらく必要であるというジレンマよ 何か言ってる相手の心情を言い当てることで相手を言い負かした、とする風潮にも疑問がある
別に勝負してる訳じゃないのに、しかも心情を当てたから言い負かしたとする判定基準も謎
「それってあなたの感想ですよね」って言われても「そうですよ、だから何?」と思ってしまう
「それってあなたの感想ですよね、主観的な言い方だとこういう弊害があります、だからダメです」まで言い切ってくれるならまだいい
しかし、「それってあなたの感想ですよね(あとは分かりますよね?ニチャァ)」という陰湿なコミュニケーションは好きじゃない
(あとは分かりますよね?ニチャァ)は、日常的に色んな場面で見られる 問題が起こったときに起こした本人は体が開いてなくて
たまたま近くにいて体が開いてるのが俺だったから
さっさと状況を共有して解消しに行ったときは部下が真っ青になっててむしろそれに辟易したよ
それが最適解だっただけなのに コミュニケーションの目的に応じて適切なプロトコールは異なるのにそれを弁えてないと? >>20
敵対的な関係にある場合指摘に対してつい反発したくなるっていう心情を利用して
指摘することで自分から否定させようとしてるんだろうね
ほんとそれも無駄だよね >>23
俺が言ってるのはおおむねそういう意味かもね 俺が何を言いたいのかわかりますよね?自分で考えてください式のコミュニケーションは
単純にリソースの節約でやってるやつが多い気がする
「ブーメラン(何がどうブーメランなのかは自分で考えてください)」みたいなの
対立的な関係であるにもかかわらず相手が自分のために自分にとって都合のいい解釈を用意してくれるっていうのことに頼ってるんだから
構想的に無理があるから完全にコミュニケーションどころかコミュニケーション不全だよね 事実ベースでコミュニケーションをとるのが難しいのは心理的安全性の問題かもしれぬ >>27
実際年単位の時間をかけることで若干マシになったのは
これは罠ではない額面通りに受け取っても自分は脅かされないと思ったに過ぎないんだろうな
社長に無礼講って言われてマジで無礼講だと思うやつ0人説みたいな
相手が言った通りの基準で判断するという事実を積み重ねるしかなかった
この非効率よ… 俺はそうすることでサクサク仕事を終わらせたいだけなんだ… そうやって何重にも張り巡らされた安全弁が次々と発動しまくるのは
この社会がいかに理不尽な環境にあふれてるのかっていうことの証左だよな
会社っていう機能集団でさえそうなんだから信じられんわ
仕事する気あるのかと思う 仕事術的なのってだいたいそういう構造に取り込まれたうえでの処世術のことを指すことが多いよね
もっと根本的な部分に対する改善が必要だと思うんだけど 信頼とか信用とかもやめてほしい
俺もしないし相手にもしてほしくない
そういうのはギャンブルの一種であってこうあってほしいっていう希望的観測によって事実が曲げられて解釈されるから
でも「仕事術」っていう時の二言目にはそれが出てきがちだよね
おいらもそういう価値観を共有していますっていうロールプレイが常に必要になるから勘弁してほしい どうですかね
やっぱネットにおいてもリアルにおいてもそういう場を実現するのは難しいでしょうかね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています