食べれるって言うとら抜け言葉っていうやつおるじゃん?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
食べれる と
食べられる では意味合いが違うと思うんだが 「うん!ぼく!食べれるよ!」
子供が舌っ足らずに言ってるっぽいんだよね
「うん!ぼく!食べられるよ!」
人によってはぼくがこれから食われるって意味に通じるらしい
おかしい 食べられるが食べれるに変化したのならら抜き言葉ではあるんじゃね
正しいかどうかは置いといて 食べられるって言うと自分が食われるみたいな意味にもなるしな ら抜き言葉だったり主語抜けてるだったり
お前らの近年の地道な啓発のお陰で着実に俺らの日本語能力高まっててワロタ 国語的にOKになっただろ
作家や編集者はらあり言葉すら使わず「食べることができる」にするけどさ 個人的には「ら抜き言葉」によって可能と受身が明確に分離されたのは日本語の進化だと思ってる ある者が皇帝に不死の妙薬を贈った
運ぶ係の者が皇帝のところにまで持っていく途中、配下の者がこう尋ねた
「食べられますか?」
係の者は「可(食べられます)」と答えたとたん、配下の者は食べてしまった
それを聞いた皇帝は激怒して配下の者を殺そうとしたが、配下の者は次のように釈明した
「私は係の者に『食べてもいいですか?』と尋ねたところ、『可』と言われたので食べたのです。
つまり罪は私に無く係の者にあります。
それにここで私を殺せばそれは死を招く薬であり、外聞が悪くございます。
ここは貴方様のためにも私を釈放するのが最善です」
皇帝は納得して配下の者を釈放した >>12
食べられますかを食べてもいいですかの意味で言ったっていうのは強引だろ >>13
俺もそう思うが、戦国策にはこんな感じで書いてある >>14
書いてあるって、古代の中国語でも日本語と同じ問題が起こってるってことか? >>15
そういうことなんだろうな。ただ何分くそ古い話だから本当にあったかどうかは分からんが >>15
大学時代専攻してたけどなにぶん昔だしあんまり覚えてないけどギリあり得るかも
「食べることができますか?」は「能不能吃?」
主語を入れちゃうと成立しなくなるからこの場合主語を抜かしたと考えると「能不能吃?」だけでまあ「食べてもいいか?」と「食べられるか?」でどっちとも取れると思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています