稲葉山城を落とした信長は、これを「岐阜」と改めた。
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岐阜とは、中国周の文王が岐山に起こって天下を制した武記にちなむものだった。 その岐阜に、前将軍の弟、足利義昭が来訪する。
都を逃れ、諸国を流浪した義昭は織田の武力に着目し、それを背景に上洛、将軍の座に就こうと目論んでいたのである 信長は上洛を敢行した。都に織田軍旗を打ち立て、乱世平定の大志を天下に示すためである。
信長が目指す都、そして都の周り畿内は松永久英、三好三人衆ら悪党とそれを財力で操る堺・会合衆の支配する土地だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています