まず第一に田舎最優先だからだ。
あなたや私のように日本人の3分の1は東京首都圏に住んでいて、名古屋や仙台・札幌などの主要大都市を含めれば総人口の半分以上は大都市在住である。
しかし大都市選出の首相はごくわずか。大物政治家と呼ばれる人ほど田舎に多く、いわゆる自民党王国と呼ばれる保守の大物政治家地盤はすべてが西日本の田舎、そして民主党王国は東日本の田舎地方だ。
人口の多い都会では「一票の格差」のもと、限られた議員しか送り出すことができず、与野党を超えた大物政治家だらけの田舎ほど「一票の特権」が機能を発揮するので、こうした構図が温存されてしまう。
田中角栄の時代の土建屋利権の利益誘導政治があまりに有名だが、本来地元のこと地元の自治体が発展に取り組むべきだというのに、田舎ほど権力を持ち、国家のリソースを地元の過剰なインフラ整備などに分配されてしまうようになる。元となる税金は人口のほとんどを占め、経済活動の中心がある大都市部の人ほど納めているのに、そのリターンは一切起きない。割を食うのである。
都会の苦痛すぎる満員電車がいつまでも解消しないのに、田舎の誰も乗らない赤字ローカル線がいつまでも維持されたり、要らない新幹線が建設される理由がこれである。

まず第二に組織ありきで動いているからだ。
アメリカなら大統領ですら選挙戦やしかるべき式典のスピーチで生身の国民一人一人に語り掛けるものだ。大統領は直接投票で選ぶものだから、その民意の付託者としての振舞いにならざるを得なくなるのだ。しかし日本では政治家が選挙に勝つのは組織票がすべてになっている。経団連や日本医師会のような業界団体、労組や農協と言った組合などの職業団体が有名だったが、あるいは日本会議や創価学会・新宗連などの新興宗教団体もそれに並ぶ存在になりつつある。
つまり政治家は、選挙活動や普段の政治活動を支援してくれる職業・宗教団体の方ばかりを、あるいはそれだけを向くようになってしまう。極端な話国民全員に嫌われていたり叩かれる価値もない無名であってもよほど無党派投票率が高くならなければ組織票をおさえてしまえば勝てるし、逆にどんなに聡明で優秀な人物でも組織が1つもなければカネが工面できず選挙に立つこともできない。多くの日本人は無宗教で、勤務先の会社が政治と接点はないので、政治が自分を無視していると思うのである。
一番わかりやすいのは市議会だ。たとえばあなたの家の近所の路地に、車通りが多いのに信号機がない交差点があったとする。あなたが一人で市役所に乗り込んで土木課の担当者と話がしたいと言っても「自治会を通してください」と言われて終わるだろう。しかし自治会をバックにすけた多選の市会議員が役所に話を持ってくれば鶴の一声で信号機が設置されてしまう。個人レベルでは言っていることがどんなに正論でも無視されるが、組織が後ろに着いた存在なら多少のワガママでもまかり通るのである。

第三にボトムアップによる意思決定が存在しないからだ。
もちろん「組織」が政治にかかわることは悪いことだけではない。野生の経済の論理ありきでは弱肉強食でとっくに滅んでいるような零細産業が業界団体や組合を作ってロビーイングを行い「再分配」を引き出すということは、格差是正のために必要なことである。しかし、その意思決定はあくまで偉い人達の密室で決められ、現場で働く末端の従業員が自発的に思い立った要求が組織の意思になることはない。たとえば普段はストライキをしたいくらい酷使されているのに、組合はストをやろうとはしないし、そればかりか通常業務に加え組織候補の選挙動員に駆り出そうとするのにイヤイヤ従っているというのが、政治の既得権の中にいる人たちの日常でもあるのだ。けどその候補者が選挙で勝たなければ飯のタネを失うことにもなりかねないので断れないのである。
健全な民主主義は、一般個人の意思が尊重され、権力を動かすものである。それが主権在民だ。海外にもロビー団体は存在しているが、個人のリアルな声の結集が組織の意思になり、政治のてっぺんの意思になったりてっぺんを揺さぶったりするのである。
日本では多数派のホンネほど圧殺される、優秀な者ほどしかるべき立場の人間に選ばれない。事なかれのヒラメ男が中間管理職になり、当選回数が多いだけでスッカラカンの頭もボケきった後期高齢者が大臣になり、たとえば土建屋上がりの政治家がパソコンも使えないIT大臣になる。
下から正しい意見が上に通り、優秀な人間が実力で上に立つというモデルが日本では崩壊している。自民党とその支持基盤が一番腐敗しているが、野党や取り巻きも同レベルに終わっているので、日本の政治家は全部腐っているのである。