哲学に詳しい奴、ヘーゲルに関して質問しても良いか?
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ヘーゲルの精神現象学って知が真によって否定されて新たな知になる過程を繰り返すことで絶対精神に至る道筋が書かれるけど、その方法論によってヘーゲル自身が否定される可能性が発生することに関して、ヘーゲルはどう対処するの? n
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ヘーゲル自身ヘーゲル弁証法によって否定されるおそれがあるんじゃないのという疑問 ヘーゲルの言論に間違いがあればそれをも成長させれば良いって方法論 方法論によってヘーゲル自身が否定される可能性が発生する
ってのはなんでなの? >>13
いや、ヘーゲルは絶対知=体系を自称するじゃん >>15
ヘーゲルも知にすぎないかもしれないじゃん >>17
哲学とかよく分からんけど
発生するっつーことはなんか可能性の根拠とかあるべきじゃないのか? >>12
いじめっこといじめられっこが年月経って久し振りに仲良く会ってもいじめられっこはいじめられたこと覚えてる
いじめっこは覚えてるけどしらばっくれることができる マルクスに繋がるような、歴史は崇高な理念に向かって進歩する云々とかいうしょうもない妄想してた人じゃん
当時ならともかく今読む価値なんか無いよ 知っていうのは事実か不確かな状態という事?
そしてヘーゲルが知かどうか、つまりは事実であるかどうか分からないからヘーゲルは間違ってるかもしれないという話? >>19
それが許されるならカントの認識論に立ち戻らざるを得なくないか? >>20
そんな感じ習ったけど、その程度の思想がこんなに影響力持つ筈無いだろうという懐疑があったから読んでる
といってもまだ半分くらいだが >>23
カントの認識論に対する批判がヘーゲルだろ?静的な実体に対してスピノザ主義的な主体としての実体を主張するのがヘーゲルの要点じゃねえの
だから物自体と主観とかいう対立を否定することが出来るのであって >>25
それって他の人も言ってるんでしょ?
なんでそんなけいとうしかけてんのよ~
煽ってないよ まあ、仏教なら『人は何一つ知ることはできない』で、つまり、この論理すら間違っているかもしれない
と、締めることができるんだけど
哲学者は基本的にアホしかいないので、というのも、今みたいにSNSで活発に意見が交わされるような環境ないなかったので、傲慢なアホに見えちゃうんだよ >>27
勝手に思ってた事が
仏教って哲学だよね
仏教になる前だった >>28
まあ、それなりに仏教を学ばないとわからないことも多いし、仏教を超えるエンターテイメントはこの世に存在しないと思います >>29
最古の哲学者と言ってもいいんじゃないかと思ってる >>30
あー、オレは仏教大好きなんですけど
ブッダには懐疑的なんですよ
明らかに悟りなんて得てないのに、知ったかぶりをしてることがあからさまですからね
まあ、基本的に仏教徒はブッダのケツの孔を舐めたいアホばっかりなんで困ります
オレだって仏教徒ですけど、ブッダのケツの穴を舐める気はありませんから >>27
だからそれは自己言及のパラドックスに陥るじゃん
それを突破する言葉を持てない時点で仏教なんて単なる宗教以上のものでないし、哲学と仏教はアナロジーがあるってだけで何ら高次の概念でもないよ
そういう東洋的なナルシズムは気持ち悪いな 年取るとなぜか仏教奉ずるやつ多いよな、吉本隆明みたいに
スピリチュアルや人生訓レベルの物と哲学の違いが分かってないジジババ特有の感じ >>34
念のため言うが吉本隆明がそうだとは思ってない >>33
えーと、なにもわからないなら、その論理すら否定されるってことなんですよ
つまり、なにもわからないことすらも否定されるってことなんです
なにが言いたいかというと、何かを知ることがもしかしたらできるのかもしれない、という、希望の話なんです >>35
吉本は少ししか知らないけど仏教的にはどーでもいーですね >>36
それがまさしく古典的な論理学での真理値が定まらない意味でパラドックスだろってことだよ
それは宗教なら良いかもしれないが、哲学ならパラドックスでしかないし、他の方法で解決されなければならない問題じゃん >>38 >>39
いや、この世界はそのようにしか観察できないってだけの話です
別に精神世界の話をしているわけではありませんよ >>40
「人は何一つ知り得ない」という命題の真理値が自己言及パラドックスを導くというのはひとまず事実でしょ? そもそも「人は何一つ知り得ない」を物自体の不可知性に置き換えればまさしくヘーゲルの批判対象だし >>41
うーん、無意味ではないという意味で反駁したいですね
なにもわからないということは、何かを知る可能性があるということですから >>43
それなら何も知り得ない可能性も同様に存在するわけで、論理として破綻しているのでは? 「何も知り得ないかもしれないのと同様に何かを知ることが出来る」という可能性自体からそれを判断の決定に用いる事は出来ないので、やっぱり単に不可知論でしかないと思う >>27
坊さん「『人は何一つ知ることはできない』という、そのことも知ることが出来ないのか?」 >>44
ソレこそが面白い論理なんですよ
つまり、なにも知ることができないことが真であるなら
なにも知ることができないという事が嘘になるわけですから
基本的に人間はこの世界を生きているんですよ >>47
少なくとも俺にとって面白いのはそういう静的な世界観をひっくり返したヘーゲルかな… まあ、ヘーゲルのことはよくわからないけど、面白いヤツだったんだろうね あー、オレは仏教を極めてるからなんでも答えられるよ
ヘーゲルみたいなクソ哲学者とは違うからねw まあなんだ古典に触れるのは良いことだ
哲学史でサラッと流したい派だからきょうみないとこは苦痛過ぎてな >>53
ナーガールジュナね
いや、宮崎とかも大好きだよね
なんか、その熱意がアツくていい感じです
でも、オレはべつにーみたいなかんじ >>55
宮哲ちゃん好きだよね
でも龍樹読めないと仏教きわめたとは言えないだろ >>54
まじで、すべては論理です
嘘だと思ったら指摘しなきゃダメですよ
納得できないアホには従うな、これが哲学の論理です >>57
ディグナーガのanyapohaってなに? 芸術家じゃないんだからヘーゲル自身が否定されることはないだろ
>>1が"自分が楽しむため"に普遍的な歴史的発見をした軌跡に落ち度があると言いたい場合否定されるのは>>1ではなく>>1の考え方だけど、この場合どうやって否定から逃れるんだ? ワイはヘーゲルのへの字も知らないけど>>1が真の定義を理解せずに質問していることは理解できるよ。否定できるか? >>60
別にそれは言葉のあやでしかないしくだらん
ヘーゲル→ヘーゲル哲学、として読み替えてもらえれば良いが ハハハ、すでに述べてますけど
オレはブッダのけつの穴を舐める気はないのです >>61
への字も知らないのに「哲学に詳しいやつ」に向けた質問へ回答しようとするのは蛮勇って言うんだよ >>66
頭悪すぎてビビるわ
「ヘーゲル」という語に哲学者として以外の文脈は踏まえて無いにきまってんだろ 文章の要点を掴む力が弱いのかな
誇大性は健康な大人でも経験するらしいけど東浩紀が奮闘したTwitterも見てないとは勿体ないやで まあ、哲学のなんてこんなもんだ
仏教のあしもとにも及ばないんだから これかな?
www.brh.co.jp/publication/journal/024/ex_2 弁証法って別に
既存の知の全否定がベースではねえだろ
弁証法とカントなんか理論ぶつかってる? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています