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2023/08/16(水) 12:36:11.533ID:t5Bcgb930さくら: ねえ、ひかり。この本のタイトルにある「凡庸」というのはどういう意味なの?
ひかり: 「凡庸」っていうのは、普通で目立たないとか、特別なところがないとかいう意味だよ。
さくら: えー、じゃあこの人はつまらない人だったの?
ひかり: ううん、そうじゃないよ。この本では、この人が実はすごいことをしたんだって書いてあるんだよ。
さくら: えっ、どんなこと?
ひかり: この人は徳川秀忠っていうんだけど、江戸時代に日本を治めた徳川家の二代目の将軍なんだよ。でも、一代目の将軍である父親の家康や三代目の将軍である息子の家光に比べると、あまり有名じゃないんだ。
さくら: そうなんだ。でも、どうして有名じゃないの?
ひかり: それはね、秀忠が生きた時代が難しかったからだよ。家康が日本を統一した後も、まだ反対する人たちがいたんだ。特に大阪に住んでいた豊臣秀吉っていう人の家族や味方は、家康に従わなかったんだよ。
さくら: 豊臣秀吉っていう人は誰?
ひかり: 豊臣秀吉っていう人は、家康よりも前に日本を統一しようとした人で、すごく強くて賢かったんだよ。でも、秀吉が死んだ後に家康が権力を握ったんだ。
さくら: そうなんだ。じゃあ家康は秀吉の敵だったの?
ひかり: うーん、そうとも言えるし、違うとも言えるよ。実は家康も秀吉も最初は同じ人の部下だったんだよ。その人は織田信長っていう人で、日本を統一し始めた最初の人なんだ。
さくら: 織田信長っていう人もすごそうだね。
ひかり: そうだね。でも信長は自分の部下に裏切られて殺されちゃったんだ。その時に秀吉は信長の仇を討って日本を統一することに成功したんだ。家康は秀吉に従っていたけど、秀吉が死んだ後に自分の力を強くして、日本を支配したんだ。
さくら: なるほど。じゃあ秀忠はどうしたの?
ひかり: 秀忠は家康の息子で、家康が日本を支配するときに手伝ったんだよ。でも、秀忠は戦闘が苦手で、重要な戦いに遅れたり、負けたりしたことがあったんだ。だから、武将としてはあまり評判が良くなかったんだ。
さくら: そうなんだ。でも、この本では秀忠がすごいことをしたって書いてあるんでしょ?
ひかり: そうだよ。秀忠は戦闘が苦手でも、政治や経済のことは得意だったんだよ。家康が日本の中心である京都や大阪で政治をしている間に、秀忠は江戸で関東地方の支配を固めたんだよ。それに、家康が死んだ後に秀忠は将軍になって、大阪に住んでいた豊臣家と戦って勝ったんだよ。
さくら: えー、すごいね。でも、豊臣家と戦ったのは家康も一緒じゃなかった?
ひかり: そうだね。実は豊臣家とは二回戦ったんだよ。一回目は家康が生きているときで、二回目は家康が死んだ後なんだ。一回目の戦いでは家康が主導権を握っていたけど、二回目の戦いでは秀忠が指揮をとったんだよ。
さくら: なるほど。じゃあ二回目の戦いで秀忠はどうやって勝ったの?
ひかり: 二回目の戦いでは、秀忠は豊臣家の城を囲んで攻めたんだよ。でも、城の中には豊臣家の人たちだけじゃなくて、一般の人たちもたくさんいたんだ。その人たちも一緒に戦って、秀忠の軍隊に抵抗したんだ。
さくら: えー、それはかわいそうだね。
ひかり: そうだね。でも、秀忠はそれを知っていても容赦しなかったんだよ。最後には城に火をつけて、豊臣家の人たちも一般の人たちもみんな焼き殺したんだ。
さくら: えっ、それはひどいじゃない!
ひかり: そう思うかもしれないけど、秀忠にとってはそれが必要なことだったんだよ。豊臣家が残っていると、日本がまた分裂する可能性があったからね。秀忠は自分の息子の家光に平和な日本を引き継ぐために、豊臣家を完全に滅ぼしたんだよ。
さくら: うーん、それでもやっぱり悲しい気がするけど…
ひかり: そうだね。でも、秀忠は悪いことばかりじゃなかったよ。秀忠は文化や芸術にも興味があって