織田信長って実在しなかったって知ってた?
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ちなみに徳川家康は実在した
室町時代もった。これはエビデンスがある
現実的には室町幕府が政治腐敗でぐだぐだになって、支配力が衰退して、
なんとなくそのぐだぐだの中の一人であった徳川家康の子孫が結果的には反映した
もちろん家康の頃にはせいぜい50人の村の中で偉い村長みたいなので、
そこから「徳川家康とはいかにすごい人だったか」みたいなストーリーをつくる中で、
10代目くらいで織田信長で出てきたらしいな でもそんな事いっても、さすがに漫画を書いても「ではその偉大な信長の墓参りがしたい。というか実在したのか?遺骨を調べよう」
ってそりゃ21世紀の今でも思うし、事実その科学的な見解により徳川家康は現実存在しているし遺骨の放射線を調べて年代をみてもおおむね自称通り居たと分かっている
そこで信長の遺骨がそんざいしない理由が居るじゃん?どういう話にしたかしってる。すごいよな。 これは日本独特の話ではなく、中国史でも曹操はどうやら居たらしいと分かっているが、関羽とか周瑜とかはやっぱり「お話(いたかもしれないが居た事実的な何かは残っていない)」であったというのが科学的な今の最新の理解
というかすこし史学に詳しくて三国志って文章をみたなら分かってると思うけど、龍が天に上る光景をみた…とか、80万人の軍勢を率いて…
とかとうぜん全体に「あ、嘘だな」って別に信じるまでもない事がたくさん書いてあるけど、ようするに「明らかにうそでしょ」を昭和くらいにはぶいて、実際あったっぽい話に仕上げているのが今みんなが思ってる「三国志」
それより史学なんぞ発達していなかった日本の戦国時代以前なぞそれ以上に「ラノベ」程度の、後からそういう風になった話で、教科書なんて信じているやつはよほどのお人よしかラノベ読者だけ おもしろいのはさ、ヤマタノオロチっていう巨大な化け物を倒した結果、アメノムラクモという伝説の剣を入手したのだ
という歴史の文章があることは多くの知識人が正当な史書にかかれている、が、(ま、嘘だな)と思っているにかかわらず、なぜか織田信長がそんざいし、戦国時代というなぞのラノベ世界で戦国武将という何故か覇権を争うラノベ主人公が諸々争ったというどうかんがえても「うそでしょ」をなぜか信じている
よくでている?そりゃよくできているよ。徳川家康という村長がしんでからそのストーリーが完成するのに150年もかかってるからな >>15
これは本当で、当日はもちろんた小さな村に、でも村長ではあったので今で言う我々の墓の骨程度には大切に扱われていて、その後7代目くらいで本当に発展した時期に日光にでかい墓作って事実骨が残っててそこは科学的にいたらしい
もちろん関ヶ原の戦いで日本を二分して争い勝ったのだ…!みたいなのはあたりまえだが後から考えた事なので本人自身がそんな話になってるとは想像もしなかった
おまえらだって「うちのひいおじいちゃんはすごい偉人だった」とか昔親からいわれやろ
それが20回くらい続くと伝言ゲームみたいな感じでわけわからないことになった
そして7代目くらいから事実相当影響力はあったので裏付けのためっぽい事もたくさん作られた。17代目では本当に江戸城がつくられ、今も城跡が残ってるらしいよ これは面白くて、江戸城は17代目のころ、1869年、ある程度日本が権力をもちだして実際に作られたので今も城のどだいとか明確にあるんだが、大阪城とかはもちろん秀吉なんていないしそんな城なぞあるわけもなく、高度経済成長期にそれっぽものを作ったの深く考えずエレベーターとかも作ってしまったという笑い話がある 織田信長が存在してなかったら甲賀弾正とお幻が
薬師寺天膳の策略で仲違いしなくなるじゃん 高校生と入れ替わったり悪魔になったりさんざんしてるだろ 京都では法隆寺という立派なビルがあって、これは朝鮮戦争後の特需で機械産業が大変儲かり、あるお金持ちが個人で建てた事はよくしられている >>24
マジだが、逆に言えば、織田信長が存在したエビデンス持ってるの?
江戸時代に書かれた文章が残ってる(俺もそう書いた通り江戸時代にそういうお話がかかれたので)以外の科学的な話である
ぐぐっていいよwてかいまぐぐってるかなw ネタなのか本物なのか傍観してたけど本物ぽいね…
ちなみにおいくつくらいですか? てか不思議だよな。普通信じないじゃん、
別に江戸時代にそう書かれた紙がみつかったところで、花咲かじいさんは実在した!江戸時代の文章が残っている!って思わないっしょ
それが普通。なぜ織田信長はいたと思った。浦島太郎がいたと思ってるのかおまえは >>26
家康が天下を取るまでの道のり、各地に伝わる逸話まで全て創作だと言うのなら統合失調症だね >>26
君は家康が実在するというが会ったことあるのかね? 俺は昔織田信長様に直接遣えてたよ
だから実在してる てか冷静に考えて「あれ?」って思わない?
例えばおまえが存在した文章が何か残ってる可能性はあるよ500年後に。
でもそれって「あるホテルに宿泊した記録がある。同じ名前で新幹線の利用記録が時期データから復元できたので、どうやら吉田裕介という人間が2023年にいたことは間違いない」くらいのデータになるはずでしょう
出生からなに食って草履をあたためたかどうかとか、そんな「書いていないでしょ、事実あってもそれ記録として紙に書かれてないよね」って話を信じてるってすごいよな
おまえはオナニーするたび、パンを食う度に事実を記録すべく紙に記し頑丈な鉄の箱にでも保存してんのかw 歴史の話ししてるやつはごめんな、あのね、俺もラノベはよむし、小説もすきだよ。走れメロスとかもいい話だよね
でもさこのスレは科学の話なんだ。実際に紙にn書かれ多くの人によまれているのでメロスという人がいたのだろなぁ…っていうのやめようぜっていう科学の話。文学のスレなら俺も好きだよメロス その吉田裕介のFBとかtwitter(metaとXか…?)とかが掘られて意味わかんないこと言ってるなーって思われるのでは
はたまた竹内文書みたいに「これが歴史の真実だ!」って宗派ができてるかもね >>39
?
お前が「織田信長がいた証拠あんのかよ?織田信長が書いた書物あんのかよ?」
ってレスしたからこれをうpしたんだけどこの走れメロスはなに?
借金取り建屋から逃げたってこと? 信長公記1つだけなら作り話かもしれないけど各地の大名家に残された尾張の織田信長なる人物の記録はたくさん存在するんじゃね? >>39
これは太宰治から武蔵野税務署長への審査請求書では ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの母国への報告でも記載されてるし
客観的な“科学的な”証拠はあると言えるのでは >>18
日光に家康のでっかい墓を作ったのは3代目だよ
2代目は豊臣秀吉の政治に使われて名前も秀吉っぽい名前に
なっちゃったから嫌ってたけど孫は大好きだったしな ●織田信長の生前に最も近い肖像画
信長の肖像は従来緑色の服装の肖像画(長興寺蔵)が有名で教科書にも載ってきたが
近年の歴史研究の書籍ではこの肖像画(大徳寺蔵)の採用が増えている
http://www.shouzou.com/mag/p/daitokuji700px.jpg
https://pbs.twimg.com/media/ElauVpeU0AU2VEr.jpg
これは生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したものでより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
(長興寺蔵)は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと見られ、他に残る信長の肖像もこれらの模写と考えられる。
また一部で"宣教師が描いた信長"と流布される写真のような「肖像画」は、当時の西欧にこのような画風は存在せず確実に「贋作」であり、まともな書籍には採用されていない。
作品には明治創業の写真館の所有印が残り、信長の肖像画を基にイメージしたモンタージュの類いだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています