ねぶた祭りとねぷた祭りどっちが本家なの?
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江戸時代に津軽の殿様が京都駐留してたとき
でっかい行燈作ったら受けたので地元でも七夕にあわせてやるようになったの 弘前ねぷたに代表される扇形
五所川原の立佞武多
青森の横幅の広い人形ねぶた
の三種類が代表的だよね 弘前ねぷた祭りは300年って言ってるけど青森ねぶた祭りははっきりわかってませーんって濁してんだよな 扇形が比較的伝統的な形をそのまま巨大化させたタイプではないかと思うが、もともとは四角形だからよくわからんね でも扇形が1番分布してるんだよね
ちなみに扇形で一番でかいのは実は弘前じゃなくて平賀なんだよね 明治政府は維新後、蛮族的な習慣として津軽のねぶたを全面的に禁止したのよ だから
江戸時代から歴史ありますっていうところも、いつからやってるかよくわかりませんってところもどっちもほんとなのよ 幕府側についた津軽藩だだったから、いわば明治政府によって文化破壊されたのよね まぁそれでいったん断絶してるんですよね
本家本元の元祖がどこか?ってなると弘前城のある弘前なのかもしれないね 七夕祭りってのはつまり、夏の暑さ払い、夏バテ払いのための行事なのね これは全国各地にあることで、時期によって盆行事になったり七夕行事だったりするの
精霊流しとかね ねぶたの語源的には眠気を払うという意味合いなのね
ようするにみんなで騒いで夏バテ防ごうぜってものなのね 七夕行事としての名残は、ねぶたを行事の最後に流すことにあるよね
本来は燃やしたり川に流したりするんだよね
でも現代のねぶたは大型化しすぎててそんなことしたら川を汚すなと怒られちゃうし、観光資源や商店が買うからねぶた灯籠を残すことも多いね
弘前だと最後に燃やすし、青森だと海上運行と花火、五所川原も復活させた当初はもともとは燃やしてた こういった経緯から、ねぶた祭りは寺社関係なく市民が勝手にやってる、珍しいお祭りなんですよ
祭礼っていうか、ちょう規模のでかい町内会イベントなのですよ
このへん非常に独特なんですよね 青森県内のねぶたのなかで、最も規模が大きいのが青森のねぶただけど
青森ねぶたはその中でも特異なんだよね まず横型ねぶたというのが他にない
戦後早い時期から祭りを復活させた青森市なので、でかいねぶた作りたいけど電線邪魔で縦方向への巨大化ができなかったんだよね
だからどんどん横へ発達していった そして各ねぶたを運行する主体が、普通なら〇〇町とか何だけど、青森ねぶたは地元企業なんだよね JR東日本とか三菱系各企業の連合とか、NTTとかマルハニチロとか
各企業のねぶた会で各自ねぶたを用意して運行する
これ凄いよね
いうなれば学園祭の出し物を競い合うようなものなんだけど、それを企業が主体としてやってる あれ?もともとなんの説明しようとしてたのか忘れて話が横筋にずれたわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています