日本人が朝鮮民族に行った9の悪行
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1.日本は1920年から1945年の25年間で、アジア人を5500万人大虐殺した【確定史実】
2.日本は戦時中従軍慰安婦としてアジア人や欧米人女性を70万人以上強制連行してレイプ・大虐殺した【確定史実】
3.日本は戦時中韓半島からコリアンを300万人強制連行した【確定史実】
4.日本は国際水路局の議長国の地位を悪用して
1929年に「大洋と海の境界」という指導書で「東海(East Sea)」を「日本海(Japan Sea)」と改悪し、
これが世界の主要な地図で「日本海」と表記する根拠となった【確定史実】
5.日本は大韓民国強制併合のドサクサに紛れてトクドとテマドを日本領土にした【確定史実】
6.日本は韓文化に対するコンプレックスから、19世紀前半から1945年までの半世紀で、
韓半島の貴重な文化遺産を盗んだり破壊したりし続けた。
被害総額は2兆ドルにもなるというのが欧米の文化学会の試算【確定史実】
7.日本は同じ日本人のはずの沖縄市民に集団自決を強制し、5万人以上が犠牲になった【確定史実】
8.日本人は関東大震災のときに、自分達が300万人強制連行してきた有能なコリアンに嫉妬し、コリアン15万人を大虐殺した【確定史実】
9.日本はコリアンをサハリンに15万人以上強制連行し、10万人以上のコリアンを大虐殺した【確定史実】 ジャップってなんでこんな恥さらしといて性懲りもなく生きてるんだろ? 一つだけ決定的な間違いを指摘するなら
日本人が朝鮮人に行ったことならそれは良いことだったんだよ
>>1 に書いてある9つのこともみんな朝鮮人相手なら良いことになるんだよ 一番の悪行は今だに在日チョンの面倒を見て甘やかしてる事なんだよな 「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 89年 原書房
戦前から強かった日本人の在日朝鮮人への悪感情は、第二次大戦直後の経験によって更に強まった。
それは、日本人が敗戦の苦悩と屈辱に打ちしおれていたとき、在日朝鮮人による犯罪、不法行為が続発したことであった。
もともと戦前から在日朝鮮人の犯罪率は日本人の平均の10倍前後に達し、朝鮮人の住む貧民窟が犯罪の巣であるかのように見なされていた。 本当にそこまでやっといてくれれば民族を消滅させられたのにな残念だ 「在日朝鮮人に関する総合調査研究」朴在一
新紀元社1957年
『15〜59歳の男女人口を犯罪年齢人口とすると、刑法犯、特別法犯の検挙人員は合計3万7276人(1949年)であるから、在日朝鮮人の成年男女の100人のうち、14.4人が検挙されたことになる。外国人登録法違反による被検挙者数まで入れると、この数字はもっと増えて100人当たり20.2人になる。このほかに道路交通法違反による検挙者1万9332人もいる。それ故に大都市警察の留置所が、何時でも朝鮮人で一杯であるという事も否定し得ない悲しむべき事実であろう』 総人口わずか1%以下の在日朝鮮人の公務執行妨害は21%(1949年)、
騒擾のごときは83%(1948年)、
そして密造酒は全密造酒の30%近く(1953,54年)、
ことに覚醒剤の販売量では全量の60〜70%を占めるという有様であった。(1953,54年) 「台湾人と日本精神」 蔡焜燦 2000年 日本教文社
8月17日の夕方、連合軍の命令で我が隊の武装解除がはじまり、日本人は復員することが決定した。もちろんこれで例の”本土決戦”の計画も自動的についえた。しかし残務整理は日本人事務官でこなせるものの、兵隊がいなくなってしまっては武器庫や飛行機などの警備ができない。そこで進駐軍がやって来るまでのおよそ二ヶ月間、学校、練兵場、格納庫、武器庫など、あらゆる軍の施設を我々40名の台湾人生徒が守ることになったのである。『朝鮮人は信用できない。だから君たち台湾人が守ってほしい』そう言い残して去っていった上官の言葉を、これまで経験してきたもろもろに照らし合わせて了解した。 昭和20年12月、連合軍の命令で台湾への帰還を命ぜられる。
心の切り替えができない私は、誰から見ても敗戦で肩を落とした日本人に見えたのだろう。また日本兵の軍服で汽車に乗り込んでいた私は、8月15日をもって急に威張りはじめた連中の嫌がらせを受けた。 座席の中に置いた新品の飯盒を朝鮮人に盗まれ、それを奪い返そうとすると、『なんだお前、朝鮮人をバカにするな!降りて来い!』と、たちまち数人に取り囲まれてしまった。多勢に無勢、勝ち目はない。こうなっては『すみません、私の記憶違いでした』と謝り、難を逃れるしか術はなかった。
それから佐世保に到着するまでの30時間、連中は執拗に私を含め多くの日本人乗客をいびり続けた。 若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、次の駅で窓から降りるよう指示するなど、この連中のあまりにも情けない行状を、私ははらわたが煮え繰り返る思いで眺めていた。ただ黙って見ているしかなかったのである。 あの引き揚げ列車の中で、私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり続け、肩をいからせていた朝鮮人たちが、「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけた我々におべっかを使って擦り寄ってきたのである。それは中華民国が連合軍の一員であったからに他ならない。弱い者には威張りちらし、強い者には媚びへつらう、そんな彼らの極端な習性を目の当たりにした思いがした。なんとなくいい気がしない。とはいうものの、大国の狭間で生活してゆかねばならなかった地政学的な環境が、そうした一個の民族性を育んだのだから、いまさらそれを責めても仕方なかろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています