キリスト教を信じるもの以外は地獄に落ちるという真理に対して
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文句をいうひとがたまにいるけれど
もしキリスト教を信じなくても救われるのなら
即キリスト教に意味はなくなるでしょう
神も別にいてもいなくてもよくなってしまう
宗教も神も無意味になってしまうので
宗教を作った時点でその宗教以外では救われないというのは当たり前なんだよ
当たり前だけど宗教の商売は人を救うこと
つまり、その宗教を信じない人=救われてない人
と定義しないとそもそもその宗教そのものが無意味になってしまいます
布教の必要がないどころか存在する意味もない宗教になってしまいます つまり神も無償で人間になにかをしてもらえるわけではないのです
救いという商品をちゃんと用意していないといけないわけです
これは実際に神がいてもかわりません 宗教を存続させるために真理があるって真理は嘘っていってるようなもんだよね たとえ本物の神がいたとしても
人間は神のために無償奉仕なんてしません
それくらい人間は計算高いですよ その設定は好きにしていいけど
自分の信者以外は地獄に落とす神なんて
心が狭くて逆に嫌だわ
そんなの全知全能の神でもなんでもない >>6
ちゃんと読んだか?
逆に全知全能で絶対だからこそ
自分を信じない人間を地獄に落とすんだぞ
心が狭いとか広いとかいう問題じゃなくて
絶対であればこそ
それを信じる人間と信じない人間との区別は当然つけなくてはならない
当たり前だが信じても信じなくてもよい神なんて
心が広いんじゃなくて
全然絶対でも全知全能でもない
相対神だ 己を絶対者と規定している以上
事実そうである以上
神にはそういう残酷なまでの差別をする事が義務付けられる
自分は全然絶対じゃないんです
全知全能でもないです
というのなら話は別だが
自分を絶対といった時点で
逆らうもの信じないものは地獄に落とす義務が生じるんだぞ 隣人愛とかウソだったのか
こんな神を信じるとか頭おかしい
所詮日本の神道からすると八百万の神々の1つに過ぎない小さい存在だしなw もし信じなくてもよいのなら
そんなものは絶対者じゃない(すくなくても人間の主観にとってはいてもいなくてもよい存在になってしまう)
絶対者として崇めさせるためには
地獄に落とすということは絶対の必然なんだよ つまり神に義務を与えた奴がいる
それこそが最上に座すべき神 ちゃんと読んでるか?
八百万の神の一体ではなく
唯一絶対の神であればこそ
逆らうものを地獄に落とす必要があるんだよ
逆らうものを許すなら
その時点で神は絶対でも何でもなくなってしまう
寧ろ大きい神だから不寛容なんだよ 宗教というものは作った時点で
自分は偉いんだ正しいんだと言い続けねばならない宿命を背負ってしまう
当たり前だがそう主張しない宗教には誰もついていこうとおもわないからな
ついでにいっとくと神道の神は全然寛容ではなく
ふざけた理由で滅茶苦茶人を殺してるからな せっかく義務付けられてるとかおもろいこと言い出したの
唯一神の上になにもないなんて空虚だわぁ 神が本当に絶対者であるならば
絶対者であることを示し続けないと
人は信じないってこと
信仰を持たなくても救われるな羅そもそも誰も信仰などもたないし
破っても許されるならそもそもだれも規律を守ろうとしない
人間はそれだけしたたかないきものだ 人間は純粋な愛や善意から神に従ったりはしない
ちゃんと絶対の力を示してもらわねばな 神道の神は全然寛容じゃないよ
たとばイザナミはまったく人間に落ち度がないのに
夫に対するいやがらせ行為として
一日に100人殺すとはっきり宣言している
いったいどんな神だよww ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ神なんだよ
それどころかカトリックとプロテスタントも同じ神なのに全て考え方が違う
そんないい加減な神が信用できる訳がないだろ
キリスト教が旧約聖書を否定しない限りユダヤ教の異教徒でしかないし
イスラム教は旧約聖書も新約聖書も経典にしてる
論理的に考えられない所がキリスト教信者の欠点かな?
盲信してるだけでそこに真実なんて無い 絶対者としての厳しい姿勢を永遠に示し続けない限り
人は神をあなどる
私だってそうだ
神に限らない
どこまでも甘い人間にははっきりと付け入るし
優しいだけの人間にはなめきった態度をとる
それが人間というものだ 神道の神が寛容
キリスト教の神が偏狭というのは全くの誤解だ
神話をよめばあっさりわかるが
神道の神こそが人の命など虫けら程度にしか思っていない 神というものは
どこの国の神話であっても
人間からみれば
どいつもこいつもろくでなしである
まあ何千年も前の人権思想などかけらもなかった時代に
書かれたんだから当たり前だけども 比較じゃないんだよなあ
その考え方の時点でおかしい
宗教はあっちよりこっちがみたいな主張をすると一気に嘘臭くなる
ただの詐欺に思える みっつ
絶対者は絶対者として自分を崇めさせ続けるためには逆らうものを地獄におとさねばならない
そもそもその宗教をしんじなくていいのなら そんな宗教に意味はない(布教の必要もない)
神を信じなくても救われるのなら、少なくても人間にとってはなんら絶対ではないし、いてもいなくてもよいそんざい
この理屈はわかるよな? 神道の神が寛容だなんてとんでもないよ
あれほどめちゃくちゃで人を虐殺する存在は
世界の神話でも類をみないじゃないか? 宗教なんて結局神の名を語った集金ビジネスだろ
全く金を集めない宗教なんて無いし
教会があるのがその証拠
誰かが金を出さないとあんなもの建てられない イザナミはたかが夫婦喧嘩の夫へのあてつけとして
毎日100人の人間を殺すと宣言している
神道の神こそみるべきところなどなにもない
他だのクズだとおもうね 信じるだけで救われるならめちゃくちゃ良心的やんキリスト教w ノア以外の人間を皆殺しにしたキリスト教の神が何言ってやがるw
十字軍や宗教戦争はキリスト教が原因
キリスト教が1番血みどろだろw 神は自分を神であると人間に宣言した時点で
常に自分が神であることを人間に示し続けなければならない
そういう意味ではそもそも残酷でない神はいない 宗教というものはもう何千年も前の
人権思想も減ったくれもない時代に考えられたものだから
いずれは滅びていくかもしれないね 日本神話をみろよ
そもそも神道の神は信者だってすくわないよw
無座別の殺人鬼だイザナミなんかはなw >>32
いざなぎの子供殺すって話だから無差別ではないと思います
マジレスすいません
神道の神はクズだと思いますが 論破されて何も言い返せず同じ事を繰り返すだけ
キリスト教徒ってこんなゴミなのか
そりゃ馬鹿にされるわw 神が信者を求めているのなら、信者を即座に金持ちモテモテにすればいくらでも信仰してもらえるし信者もお布施も思いのままのはず
そうしないのは神が無能だからだろ 神はとりあえずそれでいいとして
サタンってのは何なんだい だがキリスト教の神に限定していなら
心が狭いとか広いとかいう問題ではなく
絶対者だから信者以外は救わないのだよ 一言でいうと
信者以外も救ってしまうとその宗教が絶対ではなってしまうから
これは神が全知全能であってもかわらないこと 仏教に極楽行けるやつあるしな
あっちを信じればいいな
こんなキリスト教のゴミ神より有能 つまり絶対神に対する信仰というキリスト教の最大の魅力がなくなっちゃうんだよ
信じても信じなくても救われるなら
そんな神は絶対じゃない
いてもいなくてもよい存在だ
そんな神は誰も崇めない >>41
システムの側面で考えているみたいだけど実際信じてたら天国いくんだわ で神自身が絶対者として崇められることを求めているので(おそらくそれが神が人間をつくった
目的だ)
信じても信じなくてもどうでもよいというわけにはいかないんだよ 俺の信じる神は死後のストリッパー工場とビール火山を保証してくれる
しかも天国と地獄のどちらでも
太っ腹すぎる つまり神は人間に絶対者として崇めさせたいというのが目的なんだから
信者以外を救うという点では甘くはできないのだよ 信仰しないイコール地獄に落ちるという考え方は全ての宗教に当てはまる訳ではない 神は全知全能で永遠の存在でだれが認めなくても絶対者なのだということでは
満足せず
人間に絶対者として崇めさせたいという目的を持っている
ここがポイントだ
単にひとりだけで永遠の絶対者として存在したいわけじゃないんだ つまりその目的上
崇めない者は地獄落とされることになるわけだ
地獄に行った人間はもう神を絶対者とあがめないわけにはいかないため(その強大な力を理解する)
結果として地獄で苦しむことによって神の目的は達成される つまり神はすべての人間に自分が絶対者であることを知らせたがっている
そしてそれは最終的に永遠の天国と永遠の地獄に人をふりわけることによって達成される 例えばお念仏を唱えて極楽往生しましょうという宗教がある
しかし唱えなきゃ地獄に落ちますよとは説いてない訳だよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています