卑弥呼の墓が吉野ヶ里な訳ないじゃん
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知事だって本当はわかってるくせになんで卑弥呼の墓を匂わせるような発言したんだろうな 日本に卑弥呼が存在してたという文献は存在しないんだよな… 邪馬台国は福岡以東近畿までを支配する瀬戸内の勢力だよ 魏志東夷伝に出てくる通り存在してるよ
昔から言われてる通り倭迹迹日百襲姫命だろうと思う
別名やキャラクター的に合致するし 中国の文献に書かれてるなら十分な実在の証拠では
日本にはまだ文字がないんだから日本の文献に載ってないから実在しないは意味不明だし 卑弥呼の墓かも!
って言って予算確保できるなら安いもんよ
嘘言ってないしな 倭迹迹日百襲姫命はシャーマニズムの巫女であり日女命とも呼ばれてる
これが卑弥呼の由来だろうよ 単純に邪馬台国は近畿とか九州とかってより時代により勢力圏に変化があったのだろう そもそもなんで記録残ってないんだ?人類の命が途切れない限り誰かが残すはずだろ 本物の墓は工事の邪魔だからとっくに無かったことにされて潰されてるよ >>17
なんならもっと後の近畿の話すら散逸しまくってるからな
授業中ノートをちゃんと取れないやつはとても多いんだ 位置的にちょっと無理あるな。
福岡市(奴国)まで来たのは確かだから。 >>11
文字がない時代でも絵なり記号なりで何かしら残ってんじゃん
日本にはそれがないっておかしくね 神代文字とか本当に偽作だけなのか
一つくらい本当のがあってもいいだろうに
竹内文書凄い好きなんだよね 百襲姫はイタコ的に神の言葉を告げることでクニを動かしていたし弟が動いていたのも同じ
百襲姫には子がいなかったが数代後に同様に巫女として同じ立場に立った女も名前にトヨが付くところが一致する 卑弥呼を否定するという事は三国志が否定される
お前らの大好きな曹操も孔明も美少女じゃないって事になるぞ 今の地図だと内陸だけど当時はもっと有明海は近かったんじゃないか 10代崇神天皇も百襲姫のお告げによって国を動かしていた
この崇神天皇こそがほぼ確定で神武天皇だろう
崇神期に東に版図を広げ奈良に定着したのではないか >>17
後の権力者が都合の悪い事は隠蔽するから
戦国時代だって豊臣→徳川の時代で捏造隠蔽は当たり前 卑弥呼として扱われてる人ってほんとに一人だったの?
各地に点在してて47人ぐらいはいたんじゃね? 海を活動の場としている民族で勢力圏の拡大により移動したのだとすれば刺青など近畿と九州で性格の違う民族の点も説明できる 昔は福岡の真ん中に大河あったんやろ大分あたりでもおかしくないんちゃうか 大和国の姫皇女を中国人が馬鹿にして邪馬台国の卑弥呼にしただけだからな 海人族はあからさまに別の民族だろ
別も何も今は混ざってるだろうけど 婚姻によって出雲と繋がったり吉備と繋がったりして内陸に定住するにつれ文化的にも交わり刺青が廃れた >>36
宮崎県の高千穂とか鵜戸神社とかに神話が多いからあの辺じゃ無いのと言う人も居る 古代人の動きは思っているより遥かにダイナミックなんだよ
ものの考え方にしたってそう
現代人の方が優れていると思うのが間違い >>42
違うな
俺の考えではこの時代のヤマトは畿内ではない
どちらかというと西が拠点で徐々に東進した
そして崇神天皇の時代以降に拠点が定まった 九州東部から紀伊半島までが勢力圏
でもその範囲はまだ流動的
それが俺の考え でも卑弥呼の時代にはすでに纒向遺跡や箸墓古墳は完成してたよね
当時の畿内には大きな政治権力があったのは間違いない というか吉野ケ里は興味深い遺跡なのにバカみたいに卑弥呼に絡めるから逆に軽く見られてる
まぁ古代史好きとか言う奴のほとんどが邪馬台国バカだからな
実際は古代史なんて興味も何もない奴向けだから仕方ないのか
ただ注目されればいいやと言う迷惑系ユーチューバーレベル 伝わっている通り物部の王朝を禅譲され引き継いだんだろう >>6
それ言い出したら誰のどんな墓暴こうが本人である証拠なんて一切ない そもそもこの墓は大したものじゃないだろう
①吉野ケ里の王墓とされる墓は中期で途絶えておりこの時期に吉野ケ里仁王はいない
②王墓とされる墓から出た最高の物が青銅の剣のみでそもそも大したものが出ない
③今回の墓は王墓からズレた庶民の墓域、柵の外、王墓の甕棺ではなく石棺
④この発掘を担当する学者は吉野ケ里に紐づいていて何かと吉野ケ里を過大に宣伝する人
まぁハッキリ言ってバカ騒ぎし過ぎだろう
何か出るたびに卑弥呼卑弥呼喚くなと
周辺の石棺と共通する印とかその方が重要だろうに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています