ギリシア神話ってNTRが基本になってるのなんで?
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野球選手がその辺の女の子と交わろうとするのと似たようなもんじゃね?
で、野球選手は確定させたり書類送検されたりするけど、神様だと…… あの神々やけに生々しいからなあ
モデルは当時の上級貴族みたいな連中なんやろね 優れた人は神から力をもらって生まれてきたんだ(だから努力とかじゃ差がうまらねえ)って設定にしたら話を盛ったり混ぜたりしても矛盾が生じにくいから 従属させた異民族の神をギリシャの神と性交させて融合させていった結果だよ >>4
中世のキリスト教は人間の体も神の恩寵だから
障害を持った人は侮蔑の対象だったよ そして、中でも最大の違いは、神と人との接し方にあります。
縄文人が神を「人間とは異なる絶対的な存在」として、明確に神と人間との間に線を引いて区別したのに対し、
大和族は神と人の間に仲立ちである巫者(憑依者)を介することで、人間の中に神の威光を取り込み、やがて一体化することに成功します。
これは現代におけるシャーマニズムや、現人神、天皇崇拝のルーツでもあります。
現在では、岩戸開きとは、科学知識に乏しい古代人の皆既日食への恐れが神話化したものであるという説が有力ですが、
おそらくは、この皆既日食という天文現象をうまく利用することで、旧来の自然崇拝の祭司(男性指導者)を葬り、
その代わりに、人間でありながら消失した太陽を再出現させるという超自然的な力を持った巫者(女性指導者)をセンセーショナルな演出とともに登場させ、新たな宗教的指導者に据えたというのが、岩戸開きの真実でしょう。
そのため、この岩戸開きは、狩猟民族である縄文人の、大和族からすれば野蛮とも取れる原始的な宗教儀式の形式に、あえて則って行われたものと思われます。
その様子が、天の岩戸の前で行われた神々のどんちゃん騒ぎとして、後の世に伝わったのではないでしょうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています