「伊豆の踊子」のこの部分がわからないんだが……
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はしけはひどく揺れた。踊子はやはり脣をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた。
さよならを言おうとした
うなずいて見せた
の主語は誰? 私がさよならを言おうとしたのを止めてただうなずいたんじゃないの? 踊子に決まってんじゃん
「私が待ち合わせ場所についた時、もう15分も前から待っていたと言った」
とか書いてあったら、待ってたのは私って読み取るのかお前は? >>13
私がバスに乗ろうとした時、さよならを言おうとしたがやっぱり止めた
これだとさよならを言おうとしたのは私ってならないか? 文法的にも私が主語になることは不自然だし、1ページ前に踊子が何度もうなずいて見せるだけだったって書いてあるだろ >>15
なんで振り返ったのを消したの?
そこで相手の反応だとわかるところをピンポイントでなくしてるのはわざと? この段落の主文は↓こう。
踊子は唇を閉じたまま一方を見つめていた。(ある時点で)さよならを言おうとしたが、もう一ぺんうなずいて見せた。
「私」が主語って言ってるやつは、言語感覚終わってるから小学校から国語やり直せよ >>18
そもそも伊豆の踊子読んだことないんで分からんのだけど
縄梯子に捉まろうとしてふり返ったんだろ?
ってことは私は縄梯子の方向いてるんであってさよならを言おうとしたのを止めてうなずいたってのは私からは見えないんじゃないの?
私、縄梯子、踊り子の位置関係が前後の文で分かるならあれだけどどうなん? 私が振り返った時、○○した。
の○○の主語が私ってことは絵的にあり得ないでしょ。
そもそも前の文の主語が踊子なんだから、省略された主語は踊子に決まってるじゃん。 つか、ググったらこれ川端本人も困ってるくらい論争あるのかよ その主語が私ならその前は「私は縄梯子につかまろうとして」になるはず
「私が」ということは私が振り返った時に同時に別の動作をしている誰かがいるってこと
疑問に思う人はちょっとおつむが弱いんじゃないかな >>28
それをいうなら文体が私の一人称視点である以上 踊子が主語であるならばさよならを言おうとしたように見えたがでなくてはならなち
は、とが、の使い分けは明確でない文章は多いよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています