【日本語】「彼は自殺したが、一命をとりとめた。」←この表現
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『自殺した』って、完遂したときに使うイメージがあるんだがお前らはどう感じる?
「彼は自殺を図ったが、一命をとりとめた。」ならしっくりくる >>3
やっぱ世間的には違和感ないのかな
小説にこの表現が出ると「自殺したのかー...いやしてないんかい!」ってなって集中力が切れるんだ いちおうgoo辞書には「自殺を図る」で載ってるけども
他のネット辞書と家の辞書で見たら断定の意味でしか載ってなかった 意味は伝わるけどちゃんと推敲したらその表現はしない 『ブッ殺した』なら使ってもいいッ!
「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!
その時スデに行動は終わっているんだッ! んまあ冷静に見るとおかしな文だよ
少なくとも物書きなら特別な意図でもない限り絶対に避ける文
その辺に無頓着な人間が書くとこんな文ができ上がるんだろう 一命をとりとめたもしっくりこないな
事故のときにしか言わない気がする >>7
やっぱ避ける?
スレタイみたいに文中で死んでないってわかることはあんまりないんだけど
後の展開で失敗してたことがわかるパターンは結構見る 自殺した事実は変わらないだろう
コンスタンティン見てないのか? 「A君が自殺したよ」→「なぜ生きている!?」
ってセリフは、死んだと思い込んでるから断定表現として問題なく読めるんだけど
「A君が自殺したよ」→「失敗だったけどね」
だと、A君の生存に意外性がないから引っかかる そもそも自殺は自分で結果を確認できないのだから
本人視点で自殺を完了することはできない
つまり本人視点において自殺をするということは自殺のプロセスを実行するということ
それが失敗したからといって自殺をしてないとは言えない 命が一つしかない前提に立つならば論理的におかしいといえるだけにすぎない 自殺企図って言葉だと既遂と未遂両方のことを言うね
スレタイの表現はキリストみたいだ わたしは自殺したが、一命をとりとめた。
だったら違和感あんまり無いな、ちょっとだけ面白い >>17
前者だと海に飛び込んだけど陸に流れ着いたイメージ
後者だとビルから飛び降りて普通に搬送されてったイメージ スレタイだと自殺者本人の意識が一旦途切れて自殺成功したと勘違いしたけど生き残ったっぽさがあるな
「自殺を試みたが一命を取り留めた」だと意識のあるまま自殺失敗した感 いくら議論したって、そもそものスレタイの表現って小学生ぐらいしか使わないでしょ >>25
スレタイのは超極端な例だから俺も見ないわスマン
小説で「A君が自殺した」って書かれたら、俺はA君が死んだものとして読みすすめるんだが
ごく普通に治療中のA君が出てくると違和感があるんだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています