CLANNADのアニメ見たら泣いてしまった。・゚・(ノД`)・゚・。
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DQNが高校出て就職
池沼のゴキブリはゴキブリの癖に体が弱く留年続き
しょうもない茶番して卒業
DQNとゴキブリがボロアパートで同棲
ゴキブリの生命力の無さを無視してセックスしまくり
コンドームをしらなかったため中出し祭
妊娠発覚。DQN「産もうぜ(笑)」
産卵シーズンの冬到来、ボロアパートの隙間風によりゴキブリ瀕死
産婦やゴキブリ両親の心配を無視。自宅で出産させることに
無事出産かと思いきやゴキブリが死亡
DQNふてくされて育児放棄。子供をゴキブリ両親に預けてパチンカス三昧
ミニゴキが五歳になった頃二人で旅行、様々な茶番を繰り広げた結果、急に父親風吹かせて帰宅
ボロアパートでゴキブリ育成開始
冬到来。ゴキブリが弱る
ゴキブリ瀕死状態。しかしゴキブリが外に出たいとの事
DQN、ゴキブリを外に、結果死亡
DQNなにを思ったのか号泣 そこから次の話見なくて良いぞ
見て意味不明だったら考察見ろ ことみちゃんが車事故見ておかしくなっちゃった時はちょいと怖かった そこから次の話見なくて良いぞ
見て意味不明だったら考察見ろ なんだかんだで純粋な生きかたしてなければ
こんなシナリオ書けないと思うわ
情動が揺さぶられまくるシナリオだから批判する人の気持ちは分かるけど
だーまえの生き様や人間性が作品に映し出されている だーまえの作品ってある種シナリオを歌詞のないインストの音楽を作るように創作している部分があると思うわ
シナリオって言葉や文字がなければ成立しないから意味不明なこと言っているかもだけど俺はそう感じる
赤ん坊の産声みたいなものをシナリオとして完成させたい!みたいな姿勢で物語を書いている気がする だから逆に言っちゃえば
「どんなに下品な手段を使おうとも笑える作品を創ろう」と言う姿勢と同じなんよね
「どんなゲスな手段を使おうとも泣ける作品にしたろ!」って言う精神と同じ
だけどそれでも俺はだーまえの作品が好きだわ
「ここまで己の精神を追いこんで病んで、タガが外れて感情的にならないと、己を突き動かせないのか!?なんて不器用な人間なんだ!」
と思うからだよ
だーまえはBUMP OF CHICKENの藤原と同じである種の強烈な馬鹿なんだよね
馬鹿なんだけど憎めない馬鹿さがある 「ハゲワシと少女」って写真があるけど撮影した人は自殺してるんだよね
でもピューリツァ賞受賞してるんだよ
創作家にとって大事なのは
「どんなゲスい手段使ってでも現実を目の当たりにさせたる!」って言う精神なんだよ
神様になった日が批判されてたけど
あの作品はそう言う観点から言うと良いスタートを切った作品だと思うわ
「お前ら…ヒロインが不治の病がなおるとでも思ったのか…?なおらないんだよ…なおらなくても、ほら…二人は幸せそうだろう…」
と言うだーまえの心の声が聞こえるようなラストだった
ひたすら現実を表現してきた作品だと思う
あのラストを残酷だととらえるかどうかは視聴者に委ねられている点で
あれを批判する人間って言うのは
「障がい者は健常者になったほうが良いに決まってる!」とか
「障がい者は国のお荷物なんだ!」とか
「弱者は切り捨ててゆかなければならないんだ!」と言う思想が根っこにあるんだよね
あの作品は、マジで国民の心の根っこの部分を滅茶苦茶煽った作品で面白い作品だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています