荒野に夢、街に暴力があふれる、ボンクラたちの理想郷……その名も
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心躍るコピーだのぅ
センチメンタルな雰囲気もあってレベル高けぇよ ないな
それを言うならTwitterでしょ
ここは街なんかないし夢も無いよ
あるのははげ山の麓に点々と並ぶボロ屋だけだよ >荒野に夢、
「荒野」という単語で日常から離れた環境を一瞬で想起させ、そこに「夢」を抱かせる
日常とは違う世界に引き込んでから夢という可能性を持ち出すことで
現実が否定する可能性を受け入れやすくする高騰テクニック
>街に暴力があふれる、
急激なシーンの切り替え
一つ目で引き込んだ世界観とのギャップはあるのもの
映画、アニメ、小説、漫画などで創造力を鍛えられた現代人ならば無意識に対応可能
この手法を非常に上手く活用したのが、トヨタ・ハリアーのCMだろうか、印象に残っている 検索すると見れるだろう
『彼の名はH.H., H.H.は不思議な存在だ。 ; 荒野の彼は、どこか都会的で, 都市にいる姿は、旅人のようだ。』
>ボンクラたちの理想郷……その名も
さらに追い打ちで切り替えている
しかも、「荒野」「街」といったシーンの切り替えではなく
「ボンクラ」という個人の状況へ切り替えている
これが「荒野」→「街」→「海」などだったら、おそらく受け手は飽きるだろう、お腹いっぱいだ
しかし切り替えの先を、 シーン → シーン → セルフ にするフックを利かせている
シーンの切り替えで想像の変化に慣れさせ、三段目でも切り替え手法を用いるも、それは環境ではなく心情への切り替えとなっている
大変高度なテクニックだ 嫌味も感じない
ここで嫌味を感じないのは、「ボンクラ」であるからだ
これがたとえば「王子」であったなら、多くの人は嫌味を感じ白けるだろう
そんな現実ありえんよ、、、 と しかしボンクラである 私の事だ
そのボンクラたちの「理想郷」
ここでシーンへの誘導に戻っているのだ
シーン → シーン → (セルフ → シーン) とすることによって、微妙に生じる違和感を希釈している >ボンクラたちの理想郷……その名も
とどめが来た
上記>>4のように大いに引き込み、そして・・・・・ である
スレタイと、開いて見れる本文 という環境を、とても上手に使っている
よく似た手法が、TV文化では雑に活用されている
「CMのあとで!」 というあれだ
スレ主はこれと同じ心理手法を、CMではなく
スレッドを開くという行為によって
「待ち」によって生じる期待感の増幅効果を引き出している
そして・・・・・
>ニュー速VIP
くそどうでもいいな
落ちだ、これが落ちだよとはっきり読める
ここが雑だ
だから伸びねぇんだよ スレ主がおらん、仕方ない
トヨタ・ハリアーのCMの話しに切り替えよう
もう一度、記載する
『彼の名はH.H., H.H.は不思議な存在だ。 ; 荒野の彼は、どこか都会的で, 都市にいる姿は、旅人のようだ。』
荒野の彼は、どこか都会的で
都市にいる姿は、旅人のようだ
この、街と野の切り替えは素晴らしい いや無理だ
そもそも>>1氏のセンスが輝いて目についたスレッドだ
トヨタのCMなぞどうでもいい
誰もそんなものを期待してスレを開いてはいないだろう
このスレを開いた人たちは、なにを期待して開いたのだろうか
そこが重要だ
>>1氏のセンスは並外れているが
その並外れたセンスで引き込んだ人々の期待を放り出している
このままでは、その才能は全く見向きされないだろう
なぜなら他者の期待と全く接点がないからだ
言ってしまえば、世界最高の料理を期待している人と、世界最高の音楽を奏でられる人が対面したかのようだ
もったいない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています