お前らは「人間の意志や行為が予め決められている」という決定論に対してどう考える?
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つまり自由意志など存在せず、全く同じ遺伝子で全く同じ環境で育った人間は全く同じ人生を送るのかどうかという話
ただ、脳内ニューロンやシナプスの情報伝達には揺らぎというランダム性があり、どういう考えをし、どういう行動を取るのかは予め決まっていないということがよく決定論の否定にあげられるが、揺らぎを自分自身で操作・決定できない以上、決定論の根本的な否定にはならないのではないだろうか?
揺らぎがあろうと因果律によって決定されていることには変わりなく、すごろくでサイコロを振ればやがてはゴールするように、やはり決定論は存在し自由意志は否定される、つまり揺らぎに作用されているだけの決定論が存在すると俺は思ってるのだが、お前らはどう思う? 神が何でも願いが叶う世界って結局誰も幸せになれないじゃんって結論に達した
いい願い事だけ叶う世界にするんだって >>2
そもそも神などいないと思う
人には自由意志などなくシナプスの揺らぎによって決定される
何億何兆というサイコロを投げているようなモノ 簡単にまとめると
人の思考や行動はランダム性があるから決定論などありえないって言われてるけど
そのランダム性は自分自身で操れるモノじゃない以上
やはりどう行動するかはすごろくのように縛られたモノなんじゃないかってことね
お前らはどう思うこれ >>4
神様が人間の願いを叶える時代は終わって人間が神様の願いを叶える時代になったんだぞ? 自由意志はないと思うけど決定論の定義が1とは違うかな
やっぱ決定論って言われるとラプラスの悪魔のように未来が決定しているって論のように思える
そしてそれは1も言っているようにシナプスの揺らぎや量子論的ランダム性があるから未来は決定していない
重ね重ね言うけど自由意志はないっていうのは同意 「どのような事象にも外的要因が存在する、人間の思考についても例外ではない」
ということならそりゃそうだろとしか >>7
俺の拙い文章で伝わったようで安心した
確かに決定論そのものが成り立つわけじゃないが
ランダム性は自分自身で操作できない(自由意志がない)以上ランダム性を有する限定した決定論が成り立つと思ってるんだよね俺は
それは決定論とはいえないと言われればそれまでだが
要は生まれてから死ぬまではすごろくのようなものでどういう人生を歩みどうゴールするかはすごろくでサイコロを投げてそれぞれのマスに止まるようにランダム性に作用された結果しか起きない
サイコロを投げるのは自分自身じゃなく勝手に投げられてその通りに進んでいるわけだから
ゴールから見ればどう行動するかはすでに決定されていたと考えることもできるのではないかという話
重ね重ね分かりづらくてすまない 自分の選択を外力のせいにして責任から逃げてるようにしか見えない >>8
つまりどれだけ外的要因が作用されていて決定論に結びつくかという話
>>10
実際に揺らぎを考慮しても自由意志は存在しないと言えるのだから個人に責任というものは本来ないよ 突き詰めるとあるようでないとも言える
因果も縁も結局は偶然の産物だから >>11
証明しようがない
自分で責任を負いたくないだけでは? >>12
偶然を作り上げているのは何かという話だね
>>13
シナプスの情報伝達の揺らぎがあるのに自由意志が存在すると言えるだけの根拠を上げないと意味がないよその主張は 責任なんてものは無いけど、悪因を改善しなければ悪果になって帰ってくるだけだから、身をもって知ることになるだけだよ ランダムだとされているものにも法則があるんじゃないかなーっていうアインシュタインと同じ考え
完全決定論派 自由意志は存在しないかもしれないが、大半の人が自由意志が存在すると思っているので自由意志は存在する
世の中理屈じゃないんですよ そもそも決定論以前に
意思決定自体が行動の後に起こることなので
自分の意識は自分という存在の船頭ではなく
自分という存在の観戦者に過ぎない 自由意識があろうが無かろうが結果は変わらないわけでしょ?
だったらそこに大きな意味は無い、何も生み出せない >>1
どう考えるって、そのとおり。としか。
自由なようで基本的にどうなるか定められているから本当には自由ではないでしょ。
世の終わりも予定されているし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています